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使う言葉の解像度と成長について思ったこと

規模の大きな企業に勤務して良かったことの一つは、多種多様な人間と社内で関わることができることだと感じている。

その中の1人。もう第一線からは退き、社のアドバイザー的ポジションについている方で、「この人すごい」と尊敬している方がいる。幅広い専門知識(かつ深い)、視座の高さ、人間性。どれをとっても自分は到底叶わないレベルであるが、接していて痛感するのは
「発言・言葉の密度がめちゃくちゃ濃い」
という点。
適切な表現ではないかもしれないが、決して発話量が多いわけではないのに、話す内容が深く理解できる。その方の打つメールも、余計な装飾がなく短いのに、こちらの頭にズブズブ入ってきて、腑に落ちる感じがする。

思い返してみると、イチロー選手や野村監督の本を読んでも似たような感覚を持った。イチローは発言集も書籍として販売されているし、保険会社だかの企画で相談に答えていた記憶があるが、やはり共通して、言葉は短いけどよくわかる、納得感があるという印象を受けた。
両者に共通するのは(レベル感やスポーツ、机上業務という違いはあれど)1つの道を極めた者たちということ。

で、最近冒頭の本を読んで目に止まった一説があった。

コンサルに入って厳しく言われたのが「認識のブレが少ない言葉を使え」ということでした。そのため、ミーティングでは常に辞書を携帯することが義務付けられていました。

自分達の母語である日本語だからこそ、なんとなくの理解でも意思の疎通は可能である。例えば、「もっと部内のコミュニケーションを活発にしよう!」というのが誰かが提案するとして、意味わからん!となる人はほとんどいないと思う。でも、
このレベルの解像度だと
・飲み会を増やす
・メールを減らしてface to faceの会話を増やす
・チャットやslackなどに密に投稿する
など、いずれも回答になり得てしまう。
自分が課題を認識し、解決したいと思うのであればこの「認識のブレ」は致命的になってくるのは自明だろうと思う。
おそらく、本書の引用の意味するところは、課題の認識と解決を最短距離で行うために、物事を観察するときの解像度を高めることを意識せよということなのだろうと思う。

一流のスポーツ選手が、足の筋肉を鍛えよう!というレベル感ではなく、こういう動きをスムーズに力強くやるには、この部分の筋肉の強化が必須だから、どういうトレーニングをしようという言語化できることと同じである。

最近、わからない言葉をあえて辞書を引いて調べるという手間を惜しむようになってきてしまった・・・これを機に、言葉の使い方に気をつけたい。
そんなことを思った今日この頃でございました。

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