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些細な覚醒を生じさせてくれた一言

「見返してやろう!」
そう言って、母は私の背中を軽く叩きました。

振り返ってみると「あの一言がなかったら、人生変わってたかもな」と言う言葉がいくつかあります。

簡単に自分の紹介をさせてもらうと、自分はいわゆる田舎と言われるエリアで公立の小中学校に通っていました。その後、地方の進学校になんとか滑り込み、旧帝国大学にも現役で合格。大学院まで進学した後、大手企業に就職。ひょんなつながりもあり、現在は社会人ドクターをしています。

文字だけ見ると、順風満帆で優秀そうなイメージを持たれてしまうかもですが、謙遜でなく、頭がいいわけでも人に言えるような特技や得意分野があるわけでもありません。
それでも人並みの人生を歩めているのは、冒頭の母の一言かあったからだな、と振り返ってみるとそう思います。

中学生の時、それなりに真面目に勉強にも取り組んでいたので、成績は中の上といったところ。状況は大きく変わることなく、中学3年生を迎えます。
中学3年生といえば、いやでもやってくるのが高校受験。
実は自分には優秀な兄貴がいて、県内一番の進学校に通っていました。
そんな兄貴に負けたくない、と言う気持ちもあり三者面談にて自分の担任に希望を伝えました。
すると、担任は「こっちの高校もいいんじゃないか?」と別の少しランクの低い高校を勧めてきました。
今思うと、自分の希望する高校は高望みだし、担任としては確実に狙えるところを受験してほしいという気持ちがあったことがよくわかります。でも、当時の自分としては「お前にはそんな高い高校は無理だ」と言われているのと同義でした。

三者面談も終わり教室を出ると、母も自分の気持ちを察してくれたのか、沈黙の中二人とぼとぼと歩いて家に向かっていました。
すると突然、母が笑顔で冒頭の言葉をかけてくれ、自分の背中をポンと叩いたのでした。だからといって、突然気持ちが明るくなるわけでもなく、口数も少ないまま家に戻りました。

自分は、4人兄妹。父親も高卒で働き始めたと言うこともあり、決して裕福な家庭ではありませんでした。自分の住んでいる県では、公立の受験に失敗=滑り止めの私立に進学というのが定番コースになっています。
今、自分も親になってみて思うのですが、親としても家計のことも考えると安全牌で合格できそうな公立高校を選んでほしい気持ちがあったに違いありません。
どんな気持ちであの言葉をかけてくれたのか、今となっては知るよしもありませんが。

高校入学後も、決して順風満帆ではなく、若干回転の遅い脳みそに時間と努力とで知識を詰め込み、希望を叶えてきたというところです。
でも、そういう道を歩んでこれたのも、高校受験において実力の不足を頑張りで補い、希望を達成した成功体験ばベースになっています。
本当にありがとう。
面と向かっては恥ずかしいのでこっそりNOTEにしたためました。

自分にもまだ小さいですが娘がいます。
親に負けないように、最高の応援者でありたいと思う、今日この頃です。

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