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双極性障害の患者を間近で見て

少し前になりますが、事態が少し落ち着いたので気持ちと頭の整理の意味も込めて個人が特定されない程度に記しておきたいと思います。
いわゆる精神病、は周囲の人に多大な影響をもたらすということを実体験したという話です。


登場人物
・自分
・義理の母
・義理の母の姉:息子2人、娘1人、がん患者
・Aさん:義理の母の姉の息子(双極性障害の診断)

自分の義理の母の息子さん(Aさん)は、義理の父が経営する中小企業で働いていました。
普段、接している限りおとなしい、温厚な方。
そんなAさんが、飲酒にまつわるトラブルを4回ほど連続で起こしてしまいました。

概要としては、
・酔っ払いすぎて階段から落ち、他人に怪我を負わせてしまった
・酩酊状態で自分の車と勘違いした他人の車を開けようとしてるところを見つかり、警察に連行される
・カードが使えないと度々言われている店で現金を持たずに飲食してしまい、警察に通報される
・キャッチの人とトラブルになり、暴力沙汰

で、あまりのトラブルの多さと事の重大さから家族・兄姉で話し合いをし、精神病院にかかることになりました。
結果、双極性障害との診断を受け、少し前まで薬を服用しての通院生活をしていました。

誰が ”お世話” をするか

Aさんは結婚もしていて、子供もいます。
以前から奥さんとの関係は健全とも言えず、今回の立て続けのトラブルがそれに拍車をかけてしまったのか、Aさんとの関係を避けているような状態です(離婚はしていない)。で、そういったときに誰がAさんの面倒を見るか。
選択肢としては、関係性の近い順に両親、兄姉となりそうです。

結局、父親はAさんについて諦めているのか深く接しようとはしておらず、兄にも姉にも家族がある。
自ずと、Aさんの母親にその役割が回ってきたという形です。

上述のように、Aさんの母親(義理の母の姉)はご自身も闘病生活中。
それぞれがそれぞれの思いを持っているのでしょうし、母と息子はいつまで経っても母と息子の関係であるのは理解するところ。
でも、母親の負担が大きすぎやしないか、と思うわけです。

今回、Aさんは医師の判断で断続的に入院をして治療をしていました。
入院中の服の管理(洗濯は自宅で行う)や院内で使うお金の支払い、入退院時の送り迎え・・・細々あげると結構な量になります。

負担の偏り

子供を産んだ責任は一生ついてまわる。
そういって、母親に背負わせるのは一番インスタントな解決策でしょう。

介護問題も、どこか「貴方を産んでくれた両親に感謝して最後まで面倒を見るのが当たり前」というような空気が、以前より薄まってきている気がしますが、まだあるように感じています。
介護する側が体調も万全、金銭面でも問題なしで、世話になった両親のため、と思って取り組める介護であれば、それは是非すべきですし、その機会を奪うべきではないと自分でも思います。
でも、それが介護者の負担になっているとしたら。

それは、ただの個人の問題として片付けていいものではないでしょう。

上の例では、たまたまお金に多少余裕があり、時間と体の自由が聞くお母さんがいたからこそ、負担はかかるがなんとか「回せている」状態になっています。
でも、もしお母さんがいなかったらAさんはどうなっていたのか。

もしかしたら兄姉や父親、関係は希薄化しているけど奥さんなりが何かしらの方法でお母さんの役割の代替をしていたのかもしれません。
さらに状況が悪く、代替してくれる人もいなかったらどうなっていたのか。

今回のケースはあくまで身近に起きた1事例ですが、介護の問題であったり障害を持った子を持つ親、抽象度をあげると多くの人に関係する課題であるように思います。

公的な補助とそれ以外の選択肢

来るべき高齢化社会に向け、介護職の給与水準の向上や外国人労働者の受け入れなどの動きがあります。
至近で十分な人手を確保する手段が他にない以上、こういった取り組みは進めていくべきかと。

保育士を増やすために待遇を改善するというのも、大局的には少子高齢化を解消すべく手段という点では同じことですね。

一方、今回自分が体験したような「少子高齢化」という文脈には乗らないものの、なんとかしないと特定の個人に過度な負担、皺寄せがいってしまうケースは他にも多々考えられます。
お金も人もリソースは限られているのは承知の上ですが、もし住みよい国を目指すのであれば、政策を立案していく方は多くのケースを見聞きし、国民がどんな困り事を抱えているかをきちんと把握してもらいたい。
そう願うばかりです。もちろん、自分で取り組めることは取り組んでいきたいですが。

色々と考えさせられる出来事でございました。









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