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制限がある中で


制限がある中で表現し続けていくことにより気がつくこと、生まれてくるものがあることを最近特に感じることが多い。

50代半ばで始めた俳句がまさにそうである。
以前にも述べたとおり、俳句は言いたいことが言えない。
五七五という型が存在し、季語、切れを入れるといういくつかの制約が存在している。自由俳句、自由詩のように制限がない形式もある。
私の体験で感じてきたのは、制限される型があること、さらに季語や兼題で入れる言葉を限定すること、さらに作る時間を限定すること等で、最後は計らいを越えて直観で生まれてくるものがある。
案外、そんな感じで生まれた俳句が意外に計らいがなくなり、いつもの私ではない新鮮な感覚、味わいが含まれたりする。

言いたいことが言えない|junchan (note.com)


写真・カメラでも同じようなことが言える。
60歳近くになるまで写真・カメラは嫌いだった。
ところがホロスコープを学び、自分の太陽や水星を意識するようになり、無性にカメラが欲しくなり、10年以上も前のコンパクトデジタルカメラを購入した。
手のひらに収まるサイズで、マクロ撮影もでき、スナップ撮影には最適でこの2年愛用してきた。

他のnoteで投稿されている方の写真を見て、明らかに私のカメラでは物理的に撮影できないなと感じることは多々ある。

望遠レンズのようなズーム機能がない、焦点距離を長くして背景をぼかすことができない等。
反面、俳句と同じようにこのような制約がある中、表現し続けていくことで、身体感覚的に、この場面ではこういう設定で写すという感覚が生まれてきた。あくまでも自分自身の感覚的な世界であるが、他者からどう思われようと自分で尊重して良いのでは最近思う。

本来、不器用な私においては、俳句等のように制約がある中で、継続していくことで、自分らしい表現、自分らしい感覚を育んでいくことが、改めてい良かったなと感じている。

毎朝、インスタグラムに1枚の写真をアップし、それに一句を添える。
インスタ映えという写真が夥しく流れていく世界とは、かなり距離を置いている私であるが、インスタの画像編集機能は私のようなレベルにおいてはとても優れていると思うので、写真と俳句の直観を鍛錬する場として活用させていただいている。

毎朝、1枚引いているタロットカードもそのカードから何をイメージするかという直観の鍛錬でもある。
カードの象徴性はタロットバイブルという本で知識としては得ることができるが、やはり自分自身に照らし合わせて、その象徴性の要素が現実的にどのように働いているのかという視点でイメージする作業を大切にしている。
そのことはまさに、ネイタルチャートやトランジットのチャートの惑星エネルギーが12のサインを通して現実世界の12のハウスにどのように働いているのかというプロセスと一致する。

直観は海王星もしくは天王星の要素が働いているように思うが、それは現実世界の良い、悪いという判断を越えたものであるように思う。
土星が支配する現実世界では、どうにもならなくなった局面で働いてくるトランスサタニアンと言われる天王星、海王星、冥王星のエネルギーは、結果としてそれらのエネルギーが働いていたのではと後追いで意識させられることが多い。

私はアセンダントが水瓶座(支配星が天王星)でアセンダントとネイタル獅子座天王星が180度の関係。また、水星と蠍座海王星が180度で、冥王星が太陽と木星とスクエアということでトランスサタニアンの影響が強い。
その影響で、現実的な仕事の世界、多数派の好む世界に対しては、感覚的に合わず距離を置く傾向が強い。




新しきカーテン吊るすみどりの夜

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