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言いたいことが言えない

言いたいことが言えない家で育った。
そして対人関係の中でも言いたいことが言えないことが続いた。
一対一の関係ならば何とかやりとりができるが、複数になるとその場での自分の立ち位置が定まらなくなる。
自分がなくなり、まわりに気を使い過ぎて、過剰にエネルギーを消耗させてることが多かった。

ホロスコープを学ぶことで、私の月乙女座が、ものや対人関係に表れやすく、私の場合は、月乙女座が7室であることでさらに強調されることを知り、腑に落ちた。

以前にもnoteでも述べたが、10代は心の居場所を本に求め、週末になると本屋で加藤諦三先生の本を読み漁り、気に入った1冊を求めるのが楽しみであった。
先日、加藤諦三先生のニッポン放送のテレフォン人生相談に関してまとめられた「心のマスクを忘れるな」という本が発刊された。

https://www.neowing.co.jp/product/NEOBK-2660091

その出版記念も兼ねた加藤先生と20数年、一緒にされてきた愛先生の動画ライブがアップされた。
加藤先生ご自身も厳格で支配的な父親の下で育てられ、20代から本を出版されてきたが、ご自身のために本を書かざるおえない状況であったと伺った。同様に愛先生も神経症を患わられて私と同様に加藤先生の本を貪るように読まれていたことを伺い、とても私の悩んでいた状況と重なって親しみが湧いた。

親から親の価値観を押し付けられることにより本来の子供の持ち味を発揮する力が押さえつけられ、それにより自己肯定感が失われていく。
ホロスコープにより本当にひとりひとりが異なる惑星、サインの影響を受けながらこの世に生まれてきたということを知り、自分の太陽、惑星を輝かせていくことが何よりも大切で、それを妨げていることが月により築かれた固定概念、常識、ルールであることを知った。
今回のライブの最後に自己肯定感を持てず、神経症になりやすい人に対して、自分自身を結果ではなく過程を評価をすることが大切であると語っておられた。
色々な方が色々な形で耳にした言葉ではあるが、お二人の今までの長年にわたってのご経験の集大成としての重みを感じた。

https://www.youtube.com/watch?v=1cSjFd5orhM


そんな私が言いたいことを言えない文学である俳句と出合った。
今更であるが、俳句は五七五という型が存在する。
そして結社にもよるが季語と切れを入れるという基本の型がある。
さらに韻をふむことによってうまれるリズム感。

創られた俳句が句会という座に投げられたら、その作品は作者から離れ、読み手に委ねられる。結果として作者が思ってもみない解釈をされることもある。
自分で作った俳句を味わうことは、自分の思いや囚われが働くのでなかなか難しく、自分でよかれと思った句でも句会ではダメという場合が多い。
代表が作品の何を観て判断されているのかに関しては確かに感覚的なものや好みも影響される。
私なりに気がついたことは以下の通りです。

・普遍的なものがある(読者の内側にイメージを生むものを内在している)
・計らいのないこと(その人らしい素直さが輝いている)
・類想感がない(俳句は短いために同じような感覚を表現することが多い)
・季語が動かない(動くという感じもとても感覚的であるが)
・韻文になっている(音韻によりリズム感が生まれる)
・切れがある(切れによりイメージの広がりなどが生まれる)

自分よがりの俳句は作品にはなりにくい反面、他者からの評価を意図する作品もまた本来の在り方からは離れていくように思う。
月星座乙女である私は、他者からの評価に過剰に反応する傾向があり、楽しむものが楽しくなくなっていくこともある。
月乙女座の働きを意識して、自分自身の結果ではなくそのプロセスを楽しむことを意識している。

水澄むや言ひたいことを言へるひと


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