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【文選】屈原の『離騒』~悲劇の忠臣の苦悩を描いた詩作

『文選』は、中国南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集です。全30巻には、春秋戦国時代から南朝梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余の作品を、37のジャンルに分類して収録されています。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされています。収録作品のみならず、昭明太子自身による序文も六朝時代の文学史論として高く評価されています。

屈原の「離騒」


「離騒」は、中国戦国時代の楚の屈原が書いた長編詩で、全93節、約2500字に及ぶ自叙伝的な作品です。この詩は、屈原が讒言によって朝廷を追われた後、自らの人生を振り返り、悲しみや苦悩を表現したものです。また、神話的な世界観を描き、比喩や擬態語を多用しています。題名の「離騒」は、「憂いに遭う」という意味があるとされています。

屈原とは

屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人です。姓は羋、氏は屈、諱は平または正則、字が原です。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名で、中国において詩が作者名を伴って記録、記憶されるようになったのは、屈原が出現してからのことであるとされています。屈原の代表作としては、長編詩『離騒』が挙げられます。

屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人であり、中国において詩が作者名を伴って記録、記憶されるようになったのは、屈原が出現してからのことです。 また、屈原は楚辞の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛されました。

離騒

『離騒』の原文

前望舒役先駆兮

後飛廉役奔属

鸞凰為余先戒兮

雷師告余以未具

吾令鳳鳥飛黱兮

継之以日夜

瓢風屯其相離兮

師雲霓而来御

紛総総其離合兮

斑陸離其上下

吾令帝閽開関兮

倚閶闔而望予

『離騒』の書き下し文

望舒ぼうじょを前に先駆せしめ

飛ひ廉れんを後にして奔ほん属ぞくせしむ

鸞らん凰こう余が為に先づ戒いましめ

雷師らいし余われに告ぐるに未だ具そなはらざるを以てす

吾われ鳳鳥ほうちょうをして飛黱ひとうせしめ

之これに継ぐに日夜を以てせしむ

瓢ひょう風ふう屯あつまつて其れ相離れ

雲霓うんげいを師ひきゐて来り御むかふ

紛ふんとして総総として其れ離合し

斑はんとして陸離として其れ上しょう下かす

吾われ帝閽ていこんをして関を開かしむるに

閶闔しょうこうに倚よつて予われを望む

『離騒』の現代語訳

月の車の御者である望舒を先頭に馬車を走らせよう

風神である飛廉を後ろにつけて走らせよう

鸞と鳳凰は私を守ろうと警戒しつつ飛んでいく

雷神はまだ準備ができていないと教えてくれる

まず鳳凰を飛ばしてそのあとについて

昼に夜を継いで急ぐと

風神が集まってきてはまた離れ

雲や虹を引き連れて迎えてくれる

入り乱れたり離れたり合わさったり

混じっては分散し上がってはまた下がり

天帝の宮殿の門を開けてもらおうとするも

門番は門に寄りかかったまま私をながめるのみ

解説とまとめ

「離騒」は嘆きの詩ですが、そうかと思うと一転こうした神話的な世界が詠われます。壮大なファンタジーの世界です。

「離騒」という詩は、中国の古代詩人である屈原が書いた詩です。この詩は、屈原が故郷の楚国が滅びゆく様子に嘆き悲しむ内容で始まります。

しかし、詩の中では突然、神話的な世界が描かれます。月が馬車に乗って空を駆け巡る様子や、その馬車を引く御者の名前が「望舒」ということが詠まれています。このような描写は、壮大なファンタジーの世界を思わせますね。

また、この詩の中には「継之以日夜」というフレーズも登場します。このフレーズは、中国語でもよく使われる表現であり、日本語では「昼に夜を継いで」という意味になります。この表現が、現代の中国語にも残っていることから、日本語においてもこの詩から影響を受けているのかもしれません。

この「離騒」という詩は、外国人にとっては難しい詩かもしれませんが、読み砕いていくとすばらしい幻想の世界が現れます。屈原が嘆き悲しむ一方で、神話的な世界が詠まれることによって、読者は異なる世界観や感情を味わうことができるでしょう。

このような詩は、文学や詩の魅力を感じる上で重要な存在です。言葉の力で、私たちは様々な世界や感情に触れることができます。是非、この「離騒」という詩を通じて、幻想的な世界を楽しんでみてください。

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