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【追悼・櫻井敦司】R.I.P Atushi Sakurai. BUCK-TICK/MY EYES AND YOUR EYES 

とてつもない悲嘆に暮れています。

余りにも早すぎるお別れに。。。。言葉がありません。

ステージ上で意識不明の重体で、そのまま世を去った櫻井さん。
こんな形での終わりを誰が予想できたのか。

ダークな世界観をPOPさで彩るセールス的にも成功した先駆的ヴィシュアル系バンド。それがバクチク



GACKTさんも、こんなツイートを。。。。

YOSHIKIさん、hydeさん、一緒にライブをやった元黒夢/SADSの清春さんらも追悼していることだろう。
それだけ日本のヴィジュアル系オルタナ・ポストパンクに与えた影響は大きかった彼である。

何しろ、Xより早く、あのようなメイクをするメジャーバンドだった。
しかもシングル、アルバム共にチャートの1位に送り込んでいる。

最期の最後まで、チャレンジ精神を忘れなかった、あっちゃんとバンドメイト。

追加情報ですが、ギタリストの今井寿さんが、バクチクを継続していくという。もし、そうであれば、ぜひ、なんらかの形でやってほしい。
別のボーカリストは絶対に加入させないでくれ。その理由は下に書いてあります。※で始まるところに。

因みに、

櫻井敦司さんのご長男は芥川賞受賞の遠野遥さん


櫻井敦司さんは1991年にスタイリストの渡辺さゆりさんと最初の結婚をされ2人の間には1人息子さんがいます。
遠野遥さんは偏差値70を超える神奈川の県立高校から、慶應義塾大学に入学卒業され、下記のような活動をされています。
父親の持つ歌詞の文学性が遠野さんにもしっかりと受け継がれている。ということなのでしょうか。

息子の遠野遥さんは2020年に「破局」で第163回芥川賞を受賞されています。

息子さんが一歳の時に離婚されてらして離れて暮らしていたこともあり雑誌の対談では親子でありながらも櫻井敦司さんは息子を「遠野先生」とそして遠野さんは「櫻井さん」と呼び合っていたそうです。

でも息子の遠野さんはBUCK-TICKを小学生の頃から聴いていたそうです。

遠野さんはBUCK-TICKの音楽を「ダークな世界観が確立されているバンドだなと思っていたんです」とリスペクトされていたようですね。

その言葉に対して櫻井さんは「ありがとう。感激しちゃうな」と喜ばれていたそうです。

なんともステキな親子関係ではないですか。理想の父と子です。


MY EYES & YOUR EYES 歌詞

歌:BUCK-TICK

作詞:今井寿  作曲:今井寿

きらめく数えきれない想いが あふれ出して
AH わかり合えずに I・・LOVE
OH CRUSH IN THE NIGHT

求める事もしないで 確かめ合う夜には
AH 忘れかけてた I・・LOVE
OH CRUSH IN THE NIGHT

互いに信じ合えた あの夜を過ごそう
力を抜いた体が 窓に透ける光に照らされた

砕けた二人の想い 両手でかき集めて
AH 声にならない I・・LOVE
OH CRUSH IN THE NIGHT

悲しみに染まる事も 気づかずに抱き合う
涙でくるんだ笑みが 震えながら胸に転がった

初めて知る夜の 月の青さによく似た
凍てつく MY EYES AND YOUR EYES
トケズニイタダケドスベテハ

互いに信じ合えた あの夜を過ごそう
力を抜いた体が 窓に透ける光に照らされた

悲しみに染まる事も 気づかずに抱き合う
涙でくるんだ笑みが 震えながら胸に転がった

初めて知る夜の 月の青さによく似た
凍てつく MY EYES AND YOUR EYES
トケズニイタダケドスベテハ

初めて知る夜の 月の青さによく似た
凍てつく MY EYES AND YOUR EYES
トケズニイタダケドスベテハ


バクチクとわたし・・そして櫻井敦司



彼らのことはインディーズの頃から知っていて、ぼくらもバンドをやっていました。彼らと同じく新宿ACBでライブもした。

当時のぼくらは、テレビでやっていた素人バンドの登竜門番組、「イカすバンド天国」に本気で出場をしようともくろみ、プロのテストも受けた。

そのころ、その番組のチャートで、プロのバンドのダントツ1位がこのバクチク。彼らはロック少年たちのヒーローであり、頂点だった。
そのヴィジュアル、歌詞、メロディー、全てが神がかっていました。

まだ、拙い演奏は評論家に指摘されていたけれども、彼らの将来性は高く認められていて、実際にそうなって、35年も続く偉大なバンドに成長して、今だに多くのファンがずっと支援している。

櫻井さんの完璧な美貌、今井さんのソングライティングの才能。
しかも彼は作詞家としても超一流。
ヒデも、ユータも、アニィことヤガミさんも温厚で、この5人の結束力は信じられないほど鉄壁で、次々と名曲と名アルバムを日本のロック史上に刻み込んでくれた。

5人は家族以上の存在で、そんな彼らをぼくらはもう35年もずっと応援している。携帯もウィンドウズ95もない時代からだ。
こんなことがあろうか。
彼らは解散の「か」の字もなく、何があっても、良質な音楽を届け、見た目も衰えるどころか、年齢とともに大きく成長してくれた。

彼らがインディーズレーベル、太陽レコードと契約するときに提示した条件がある。それはこうだ。重要箇所は太字にしておく。

※バクチクをスタートさせたときの4つの約束

  • 髪型、メイク、衣装などは今まで通りのままでイメージ・チェンジはさせないこと。

  • メンバーはこの5人のままであること。

  • レコーディングにはスタジオ・ミュージシャンを起用しないこと。

  • プロデューサーをつけないで、自分たちでセルフ・プロデュースをやっていきたいこと。

強く、固いメンバーの意志と覚悟が伺えるというものだ。

どんなバンドも数年すれば仲たがいしてケンカして、分裂するのがバンドの宿命だとすれば、バクチクはそんな常識を破り、メンバー全員で曲作りやライブに全力を傾注できた。稀有で奇跡のバンドだろう。

名曲だらけで、音楽性豊かな彼ら。今回、どの曲を選ぶのか、それは至難の業でした。しかし、最もぼくが愛聴した、メジャー第1作の「セクシャル×××」からラストの曲に決めました。

このタイトルはピュアな男女二人のストーリー。
ぼくも20代前半。恋もしたし、若すぎる結婚もした。
仕事も精一杯取り組んだ。

今日は午後から、このアルバム、CDをリピート演奏中だ。
昭和の終わりと平成にかけて聴きこんでいた。。。。
それから、後からもだ。

このタイトルは今日、櫻井さんから、ぼくらに届けたメッセージでもあると思うと熱いものがこみ上げてくる。

残された4人の心中を察すると言葉に出来ない。
最初にコピーしたという、ザ・スターリンの「ロマンチスト」。遠藤ミチロウさんとも天国できっと再会できることだろう。

最期まで美しかった、櫻井さん。

「あっちゃん」と言ったら、ぼくらにとっては、前田敦子さんでもなく、中田敦彦さんでもない。だって、櫻井さんが最初の、あっちゃんだったのだから。

外見と違い、気さくでネコ好きで、シャイな櫻井さん。
既にYouTubeなどでは、海外からも追悼コメントが続々と書かれている。

その美貌と耽美的な声、挙動の全てが美しく、欧米の人たちをして、ロック界で最も美しい男と、称賛されていたことはもうずっと昔からです。

日本を誇る美男子。イケメンなどという安っぽい言葉でなく、真の美形。
真の飾らない、カッコイイ男。

「美しい男は、美しい女より美しい」


誰か、哲学者の言葉でした。

どうか、安らかにお眠りください。

最高のバンドの最高のボーカリスト。

さらば、櫻井敦司。



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