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違和感の正体を解明せよ!~ 「プロレス深夜特急/TAJIRI」レビュー~

好評のプロレス本「プロレス深夜特急」

2021年 7月1日に発売した"ジャパニーズバズソー"TAJIRI選手の近著「プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人」というプロレス本が好評だという。

新崎人生選手、田中将斗選手、小島聡選手、CIMA選手といった大物レスラーが自身のTwitterでこの本の感想をツイートしたこともあり、「この本、読みました!面白い!」というSNSにおいてなかなかの反響を呼んでいる。

また書店で売り切れが続出し、Amazonでは37件の評価がつき、星が4.7という好評価がついている。(2021年8月21日時点)

そのレビューの一部を紹介してみよう。

「イタリアマルタ編から始まり師弟対談の朱里選手との対談その国 独特な人達との出会いや試合や風土、TAJIRI選手の心の成長が
見えるのが面白い本です」
「『読み手に楽しんでもらいたい』というのが文章からひしひしと伝わってきます。続々と出てくる実物の人(キャラクター)の癖が凄い、というよりうまい具合に昇華されてますね」
「プロレスラーの一般的な自伝本とは違い、
プロレスで世界各地をめぐり、触れ合った人々の夢と文化、そのエネルギーをリアルに伝えてくれる本です」

実は私は以前、TAJIRI選手の著書をブログでレビューを書いたことがある。

プロレス研究者の矜持~「プロレスラーは観客に何を見せているのか」おすすめポイント10コ~【ジャスト日本のプロレス考察日誌】

この本は評判がよかったのだが、実際に読んでみるとめちゃくちゃ面白かった。TAJIRI選手の的確で深いプロレス論をきちんと読みやすくまとめている印象を強く持った私は「おすすめプロレス本」としてこの本をプレゼンさせていただいた。

そうこうしている内に手元に話題のプロレス本「プロレス深夜特急」が届いた。

ここで「プロレス深夜特急」の商品説明。

プロレス深夜特急―プロレスラーは世界をめぐる旅芸人/TAJIRI【徳間書店】

内容紹介
小池栄子さん(女優)推薦!
「私がTAJIRIさんを初めて知ったのは
ハッスルのリングでした。
それぞれ個性の強いレスラーの皆さんの中、
私はTAJIRIさんのパフォーマンスに
他の選手達とは違う知的さを感じたのを
覚えています。
この本を読んでその個性のルーツを知りました!
世界を旅した強い肉体!
世界を旅して磨かれた感覚!
プロレスラーTAJIRIがわかる本です。」

特別師弟対談
vs.朱里選手(スターダム)
メキシコ遠征でのすごい体験

プロレスと酒、そして旅があれば生きていける―

世界最大の米WWEから
ノーギャラも当たり前なアジアの新興団体まで
世界のプロレスを知るTAJIRIが放つ
闘いと酒と食と文化と
おかしなヤツらに出会った旅の記録

イタリア、マルタ、ポルトガル、オランダ、
アメリカ、フィリピン、シンガポール、
マレーシア、香港
並みの旅行記では読むことができない
プロレスを通して見えてくる豊穣な世界と
未知なる各国の素顔。

100カット超の激レア現地写真満載
長文な写真キャプションもいちいち楽しめる。
旅とプロレスが存分に楽しめぬコロナ禍の今
読んだそばから、旅の空の下にとべる
窮屈な時代に必読の書!

ハッスル以来の師弟コンビ
スターダムの朱里選手との
旅と人生をめぐる対談も特別収録!

『プロレス/格闘技DX』の超人気連載を
大幅加筆&書き下ろし多数で書籍化!


目次
まえがき プロレスラーは、プロレスがなければ死んでしまう生き物である 

第1章 美少女の国と砂の男の国―イタリア、マルタ篇 

第2章 旅人は理想郷をさがし求める―ポルトガル、オランダ篇

 第3章 プロレスで金持ちになれる世界唯一の国―アメリカ篇 

第4章 混沌と神秘、アジアのプロレス―フィリピン、シンガポール、マレーシア、香港篇

 特別師弟対談 VS.朱里(スターダム)プロレスラーを磨く、タフな旅に出よ! 

あとがき 人類が危機に襲われても空は蒼く、人生の旅は続くのだ 

著者等紹介 
TAJIRI[TAJIRI] 1970年9月29日生まれ。熊本県玉名市出身。1994年9月19日、IWAジャパンでの岡野隆史戦でデビュー。その後、メキシコ・EMLL、アメリカ・ECWなどで活躍したのち、世界最大のプロレス団体・WWEに入団。長きにわたって“日本人メジャーリーガー”として活躍した。日本に帰国後はハッスルに所属、新日本プロレスに参戦、さらにSMASH、WNCを率いて独自の世界を築き、プロデューサー、若手の育成にも高い評価を得る。2014年にはWRESTLE‐1に移籍。2017年にWWEに復帰するが、ヒザのケガによって退団。同年の帰国後から本格的に全日本プロレスに参戦し、佐藤光留、ウルティモ・ドラゴンを破り、世界ジュニアヘビー級王座を2度戴冠する。2018年には「Jr.TAG BATTLE OF GLORY」で岩本煌史とのタッグチーム“ひと夏のかげろう”での優勝や、秋山準を破ってGAORA TVチャンピオンシップ王者となるなど、ヘビー級とジュニアヘビー級を超越した活躍を見せた。2021年1月2日後楽園ホール大会にて全日本プロレス入団を発表。同年2月、ジェイク・リー率いる新ユニット「TOTAL ECLIPSE」に加入(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


実際にこの本を読み進めると意外な感想が…

ここから「プロレス深夜特急」を読むことにしよう。

「なるほど。こういう思いがあってこの本を出したのか」
「うんうん、これはいい言葉だぁ」
「世界のプロレスも色々とあるなぁ」
「オランダのプロレスかぁ、興味あるなぁ」

そう思い読み進めていくに連れて意外な感想を抱くようになる。

「これ、かなり癖がある文章だなぁ」
「結構、読み進みにくいぞ」
「あれっ、本当にこの本は好評なのか?」

「ええっ、これは困った」というのが本心の感想。実はこの本はアメブロの「おすすめプロレス本」シリーズで取り上げようかなと思っていた。だが、なんとか読み進めていくに連れて感じたのは…。

「これは自分が皆さんにおすすめプロレス本として紹介できない」


単なる好みの問題?
そう切り捨てることは簡単だ。
なんでもかんでもただ批判することは安易な行為だ。

でも、それだけじゃない理由があるような気がした。
なんとか読み解きたい。
解明したい、私がこの本を読んで感じた「違和感」の正体を…。

もう一度この本を読んでみることにした。
するとなんとなく答えが見えてきた。

その読み解きのレポートをこのnoteでまとめることにした。私は「おすすめプロレス本」ではあまりネタバレなことはしないが、ここでは一部、本の内容に踏み込んでしまうかもしれない。そこはこの本についてきちんと批評するための手段ということでご容赦いただきたい。

各章ごとに感想について綴り、「プロレス深夜特急」という本を解明したいと考えている。

さまざまな受け止め方はあると思うが、このような考えもあるということで皆さんに捉えていただければありがたい。


まえがき 
プロレスラーは、プロレスがなければ死んでしまう生き物である 

【感想】 
このまえがきに関しては100点である。気持ちよくて、読み進みやすい。「文豪レスラー」TAJIRI選手の持ち味が出ている。「思考」という単語が幾度も出てくる。とにかくこの人は「考える葦」なのだ。

「プロレスラーは、プロレスがなければ死んでしまう生き物である」

これは名文だと思う。よくよく考えたらそうで、大仁田厚選手が7回引退して7回復帰するというのはその象徴。要はプロレスジャンキーなのだ。

ちなみにこのまえがきに関しては心地よい。やっぱり3~5行続いてから、1行間をあける効果が効いているのではないだろうか。だから、TAJIRI選手が伝えたいのであろうプロレスやプロレスラーに対する持論がよく目立ち、立派なパンチラインになるのだ。

国内旅行も行きにくく、海外にはなかなか行けにくいコロナ禍だからこそ、この本から海外の息吹を感じてほしいという思いはよく伝わった。

今の世の中を踏まえてこのコンセプトを提示しているのは大正解である。

要は読者は「プロレス深夜特急」の乗客で、TAJIRI選手は場内アナウンスも行う車掌なのだ。

これは期待できる。
おすすめできるプロレス本なのかなと思っていたのだが…。













第1章
 美少女の国と砂の男の国―イタリア、マルタ篇 

【感想】
いよいよ、本編に突入。どうやら各章の冒頭に取り上げた国のプロレス情勢が分かる説明文が記載されている。これは分かりやすくていいと思う。あとその国の地図も黒のシルエットとして浮かんでいる。世界中のプロレスを伝えるんだという意気込みを感じる。

ここから10ページに入るとファビオという人物からTwitterのDMが来たというくだりがあって、そのメッセージ内容を読んで私の脳裏に?マークが浮かんだ。

「セッシャはイタリアのマッシミリアーノというプロモーターの奴隷をしているファビオという男でござるにて候。来たる3月31日に我が団体がミラノでイケイケな大会をやっちまうので出る気あるならブッチギリでよろしくお願いボンゴーレ」

英語文で綴られていたDMをTAJIRI選手流に和訳したようだが、 ここで感じたのは「やっぱりTAJIRI選手の文章は癖が強い」ということである。

以前、ベースボールマガジン社で「TAJIRIのプロレス放浪記」という書籍を買って読んだときに感じた印象と同じ。

とにかく、回りくどくて読みにくいのだ。そこに無数のトリビアを入れ込んできているからさらに癖の強い文章になってしまっているのだ。

「怪しいDMの印象だったんだよなというのは分かるが、普通に訳せばいいやん」と思いつつも、「それも個性の出し方だよね」と勝手に納得して読み進めていく。

そして気になった箇所を発見。16ページのイタリアのプロモーター・マッシミリアーノという人物の写真が登場するのだが、このキャプション(写真の説明文)がまた私の心に
引っ掛かってしまう。

「『怖い債権者から高額な生命保険への強制加入を迫られている崩落資産家風な写真をぜひ!』というマッシミリアーノ本人たっての希望で撮られた一枚のようでもある」

なんなんだ、これは。
ちなみにこの本ではTAJIRI選手が巡った国で撮られた写真が多数掲載されていて、そこにはキャプションがあるのだが、ほとんどこのようなわけのわからない内容のキャプションなのだ。マッシミリアーノの写真は4行のキャプションだったが、他の写真とかだと6行とかもあって、写真に出会う度に、キャプションが目についてしまって、本文が読み進めにくいのだ。

書いている内容は別に構わないと思うのだが…とにかく、すらすら読めない!

これは個人的には大きなマイナスポイントである。

それでもレビューを書くために読み進めていくと21ページからTAJIRI選手のプロレス論が展開されていく。

「オレの自論だが『技』はそれ自体を魅せることが目的ではなく、リングで戦うレスラーの『心』を表現するための『手段』なのだ。善玉で戦うレスラーは、その心にふさわしい正義の技を堂々と駆使する。逆に悪玉レスラーは、その心にふさわしい荒々しかったり小ズルい技を破壊的にイヤミに駆使する」

これはTAJIRI選手がよくいうサイコロジーの話である。以前、TAJIRI選手が出した「プロレスラーは観客に何を見せているのか」(草思社)という本でサイコロジーについて、「『人間はこうなれば、ああする』を研究してみようというお勉強」「当たり前のことを当たり前に展開する」と説明している。その辺のプロレスサイコロジーにおいてはTAJIRI選手は論客。さすがとしか言いようがない。要は善玉には善玉らしいアティチュード、悪玉には悪玉のアティチュードがあるということである。

また、42~43ページでTAJIRI選手がプロレスを指導するポイントを3つ挙げている。これも「プロレスラーは観客に何を見せているのか」(草思社)という本に記載されている。

① マット運動の際に「進みたい方向を見る」
② リングのうえに「十字の2本線」と「対角から対角への2本線」を描きイメージすること
③ 大抵の動きは最後の一瞬で加速すること

この3つの基本について分かりやすくTAJIRI選手が説明している。さらに「初級者の上級あたりからガンガン反復させる唯一の技がある。アームドラッグだ。アームドラッグの攻守のタイミングさえしっかり身に付いていれば、ほとんどの技に応用できる」という理論は興味深かった。

ただ癖のある文章やキャプションのなかでいきなりプロレス論を展開されても、ややボヤけてしまう印象を持ってしまった。

書かれている内容は同じでもいい。でももう少し、彼のプロレス論が際立つ構成にはできなかったのだろうか。

さらに第1章を締めくくる「旅のあと①」では、イタリア篇に登場する子供が、現在全日本プロレスで活躍するフランシスコ・アギラであることを明かしている。またマルタ篇で登場するウエインという人物は、全日本プロレスに来日したギアニー・ヴァレッタであることを明かしている。二人ともTAJIRI選手に導かれて来日し、全日本で評価された外国人レスラー。その出逢いが「プロレス深夜特急」で描かれているのは素晴らしいと思う。

さて、第1章「イタリア、マルタ篇」を読み、私は「このレビューは難題になること」を悟ったのである。

何やら、この「なぜTAJIRI選手は癖のある文章を書くのか」ということを突き止めたいという思いが募る。違和感の正体もそこを突き止めれば解明できるのではないだろうか。














第2章 
旅人は理想郷をさがし求める―ポルトガル、オランダ篇

【感想】
イタリア、マルタの次はポルトガル、オランダ。TAJIRI選手のヨーロッパ巡りは続く。第1章を読んで感じた「癖の強い文章」だというイメージは根強く残った状態での第2章に移行することになった。

「どうなるんだろうなぁ、この本」という不安を抱えながら私は読み進めていく。

相変わらずの癖の強い文章が続く。あと写真のキャプションも同様である。とにかく説明が長いキャプションなのだ。ただ第1章で多少の免疫ができたので、そこは受け止めるしかないと判断してページを開いていく。

そして70ページの格闘技道場の写真に記載された「以前、何かの動画で、この道場とソックリなカルト宗教団体の修羅場を見たことがあった」という説明文を見て、私はこんな感想を抱いた。

「これはTAJIRI選手は大喜利の『写真で一言』をやっているんだな」

どうもひねった文章。シンプルに写真の説明だけでいいのに、なぜか一笑いを狙いにいっているかのようなキャプションなのだ。

もし本当にそこを狙ったのなら画期的だが、止めておいた方がいい。そんなことは大喜利のスペシャリストに任せておけばいい。

とにかく読み手にとっては余計なことを考えてしまうプロレス本なのだ。ちゃんとストーリーが脳に入っていかない。

ただポルトガルやオランダを巡り、プロレスを若い世代に伝えていく伝道師なのだということを自覚したTAJIRI選手が「今のオレは生かされているんだな」「プロレスを世界中の若者に伝えていく」と決意を新たにしたの第2章の締めくくりとしてはよかったと思う。

癖が強い文章だけど、「起承転結」の「結」はきれいに収まっているのは評価できる。

それでも全体的には及第点。第1章ほどの癖の強さではないが、やはり読みにくいのだ。















 第3章 
プロレスで金持ちになれる世界唯一の国―アメリカ篇 

【感想】
第1章、第2章と癖の強い文章にやや翻弄されながらもTAJIRI選手の人生を変えた国・アメリカ篇に突入。この地で彼は「世界のTAJIRI」「世界のジャパニーズ・バズソー」となった。

TAJIRI選手は2019年3月にアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコに遠征に旅立つ。そして今回のアメリカ遠征は全日本プロレスの外国人トライアウトも兼ねていて、当時全日本プロレス社長だった秋山準選手(現在は全日本を退団し、DDTプロレスリングに移籍している)が同行しているのだ。

そういえば、秋山選手は全日本プロレス社長から現場を仕切るGMとなり、選手の育成を務めていたのだが、そこから紆余曲折の末に全日本を去りDDTに移籍することになった。あの時、秋山選手は「今後、選手の育成はTAJIRI選手が教える」とオーナーであり社長の福田剛紀氏から告げられたという。

全日本にフリーとして参戦していたTAJIRI選手が、全日本の選手コーチとなり、全日本プロレス社長だった秋山選手が全日本を去りDDTに移籍。プロレスとは本当に一寸際が誰にも読めないジャンルである。そんな二人が
この時期に共にアメリカ遠征に旅立っているというのはかなりドラマティックである。しかも互いが互いをリスペクトしていることがよく分かる。プロレスキャリアでは先輩の秋山選手がTAJIRI選手を「TAJIRIさん」と呼び、それに対してTAJIRI選手が恐縮するという構図はなんとも微笑ましい。

TAJIRI選手はサンフランシスコでECW時代のライバルであるスペル・クレイジーとシングルマッチで対戦。この二人はECW TV王座をかけて幾度も名勝負を残してきた。ジャパニーズ・スタイル、アメリカン・プロレス、ルチャ・リブレという世界三大プロレスが見事に融合された珠玉の名勝負数え唄。かなり盛り上がった試合だったようだが、久しぶりにリングで再会した両雄の試合。どんな試合だったのか、どんな心境だったのかという点は記載されていなかったのは残念である。

そこから読み進めていくとTAJIRI選手は今回のアメリカ遠征(2019年3月)で感じたことを綴っている。これがかなり興味深い。

「いまアメリカのプロレスはビッグバン寸前感がハンパないということ。WWEの一国独裁がAEWの登場により変化を起こそうとしているいま、その周囲を衛星のように取り巻くその他大勢の団体も、共に大変化を遂げる夜明け前だ」

世界中で蔓延したコロナ禍の影響はあるものの、AEWの誕生は今のアメリカン・プロレスに大きな一石を投じたことになるようだ。かつてのWWF(現・WWE)とWCWの企業戦争になるのだろうか。そうなるとアメリカン・プロレスはさらに面白い展開が待ち受けていそうだ。

ちなみに第3章「旅のあと③」でTAJIRI選手が書いた「エンタメに関わる人間は、繊細かつブッ飛んでいないと面白いものはつくれない。そんな人間たちがウヨウヨしている、アメリカのプロレスがいつの時代も面白いのは、至極当然のことなのだ」は、名文。確かにその通り!繊細さと大胆さの両方向で突き抜けることが、エンタメの成功者への最短距離なのかもしれたい。

アメリカ篇に関しては面白かった。癖の強い文章ではあるが、旅のエピソードでやや中和されているのかもしれない。















第4章 
混沌と神秘、アジアのプロレス―フィリピン、シンガポール、マレーシア、香港篇

【感想】
さて本編の最終章である第4章。アジアのプロレスがテーマ。アジアのプロレス先進国である日本。日本以外のアジア諸国でプロレスをやっているところは韓国ぐらいしか思い浮かばない。確かディック東郷選手がコーチとしてベトナムでプロレスを根付かせようとしたが、挫折している。プロレスを布教したり、普及させるのは本当に難しいものだ。

とにかく文章を集中して読むことにしよう。写真のキャプションは申し訳ないがレビューを書く際には邪魔になってきたので無視である。

この第4章はフィリピンから始まる。かつてTAJIRI選手はフィリピンでプロレス興行を行っているのだが、その興行を見て感化された現地の若者がフィリピンでプロレス団体を起こしたらしい。これはTAJIRI選手の言う通りで「オレのおこないが本人が知らぬうちにフィリピンでプロレスを誕生させていた」である。

発展途上国でプロレスに取り組む若者たちの姿に自然と「頑張れ!」とエールを送りたくなる内容。そしてこのフィリピン篇からはまるでテレビ番組「クレイジージャーニー」の丸山ゴンザレスさんの回のように、どこかハングリーで、どこかデンジャラスで、どこか生々しい世界観がそこにある。

またTAJIRI選手を招聘したフィリピンのプロレス団体MWF主宰者のタレックについて「自分の仕事、使命を楽しんでいる。そういう人間がボスとして君臨している組織は下の者もノビノビやれる。そして、そういう組織をファンも応援したくなる」と評価したのが印象的である。なるほど。さすが世界のTAJIRI選手である。世界中のプロレスを見てきたからこそ語れるパンチライン。

だが実際にMWFの興行を見たTAJIRI選手は絶句してしまう。要はMWFで展開されていたものは彼が考えるプロレスではなく、 「プロレスの真似」だったのだ。

TAJIRI選手はここで危機感を文字として伝える。

「ここ最近、世界各国のプロレスをつぶさに見にきて、WWEの試合を上辺だけ模倣した『プロレスの真似』が世界に広がり、それはもしかするともう取り返しがつかないのでは?と思えるほど蔓延しているという現実。オレは、我が子がそんなナンチャッテのプロレスに向かっていくのは耐えられない。彼らが誤った方向へいかないために、フィリピンにはより良い指導者が要る」

そしてTAJIRI選手はセミファイナルで元ストリートチルドレンで、プロレスに人生を懸けているファビオと対戦。TAJIRI選手曰く、ファビオは別格で、基本的なムーブで試合を構築していたようである。

試合後、アドバイスを求めるファビオにTAJIRI選手はこう言った。

「とにかく試合数をこなすだけ。試合して試合して試合して、もうとにかく試合数をこなすしかない」

そしてこの項の最後に「プロレスは日々の修練の繰り返し繰り返し。そう、プロレスは『道』である」で締めくくった。癖の強い文章を書いていたTAJIRI選手にしてはかなり爽やかな一文。めちゃくちゃいい。フィリピン篇はこの本で読んだ中で一番よかった。感動したし、プロレス界に対するTAJIRI選手の警鐘も心に響いた。

次のシンガポール篇。初めて読んだ印象は「読みにくい」「癖が強い文章」だったが、何度も読み直すことで、「いい部分」と「ダメな部分」が見えてきた。そして第4章はかなり読み応えがある。恐らくTAJIRI選手が己の武器であるプロレス論を要所要所で出しているからだと思う。

シンガポール篇では「プロレスにおけるキャラクターとは何か」の回がめちゃくちゃ面白かった。SPWという地元団体のエースで主宰者であるアンドリューとの会話が深い。

「ビンス・マクマホン(WWEのオーナー)が求めているのは、すごい動きよりもキャラクター。ていうか、プロレスは技じゃなくてキャラクターで魅せるものなんだとオレは思う」
「キャラクターっていうのはシンプルに『この人はこういう人なんだな』と、すぐさまその性質を理解できる。そして『何を願っている人なのか?』がわかりやすい、そういうのがキャラクターなの」

ここはさすがプロレス学研究家・TAJIRI選手。そこにはリングを支配するサイコロジーが弾き出された確固たるプロレス論がある。

アンドリューがTAJIRI選手の講義を受けてどのように成長するのかが楽しみだ。

フィリピン、シンガポールと面白い内容が続く第4章はマレーシア篇に移行、「ようやくこの本に慣れてきたなぁ。やっとだよ(泣)」と思いながら読み進めていく。

だがここで私が読んで最も気になった記述を発見。それはレビューを書くために見るのを避けていた220ページに記載された写真のキャプション。見たくないのに、見てしまったのだ…。

「松田優作主演の角川映画『蘇る金狼』で主人公の朝倉くんが役員たちに呼び出され『会社のために殺ってくれるね?』と無理強いされたあの部屋のような照明だな、なんてことを考えながら試合している」

フフフ…。

やっちゃいましたね…TAJIRI選手! 

何を言いたいのは分かる。
彼がキャプションで例えたその映画のシーン、私は何度も見ている。
でも、やっぱりそのキャプションはいらない。文章の邪魔だと確信した。

そして、まずこのことを指摘したい。

TAJIRI選手、それは「蘇る金狼」ではなく、「蘇える金狼」なのだと。

なぜそこを私が突っ込むのか。
私は「蘇える金狼」が好きだから、余計に気になるのだ! 原作だって何度も読んだ、映画もそうだ。昼間はサラリーマン、夜は殺し屋という二つの顔を持つ朝倉哲也は私にとってはダークヒーローなのだ。

写真の説明というのはさらっとでいいの。
くどく言わなくていいの。
大喜利じゃないの。 

せっかくいい感じで読み進めてきたのに、落胆しながらその後も読むことにした。

またも続くいらない写真のキャプション。そうすると肝心の内容もいいことを書いていても、印象に残らない。

あと気になったのは、240ページの香港篇で登場するホーホーという人物との電話による会話。こちらに関しては、240ページの7行目くらいから電話の話になるのだが、そこは1行目に据え置く方が読みやすいような印象を受けた。細かいところだが、この本で電話のやりとりってあまりないので、そこは際立たせた方がいいのかなと思った。

あと第4章の締めくくりにある「『いままでどおりでは生き残っていけない』そんな時代の足音が聞こえてくる。地球上の誰しもが、それぞれの新たなる深夜特急の旅に出発せざるを得なくなる…出発時刻は、もうすぐそこまで迫ってきているのかもしれない」はまえがきの前に女性との写真が掲載されたページがあるのだが、そこに記載された文章。これは恐らくなのだが、「ひとつの旅が終わると、新たな旅が始まる。人生は旅の連続」という意味もあるのではないかと考えてしまった。これはかなり深い。

ここで本編が終了。 
読んでいて疲れるってなかなかない。
アジア篇は内容に関しては一番いい。だがやっぱり「癖が強い」。ハッピーエンドではなく、バッドエンドを突きつけられたような気分に陥る。それが「プロレス深夜特急」という普通じゃない本なのかもしれない。













 特別師弟対談 
VS.朱里(スターダム)プロレスラーを磨く、タフな旅に出よ! 

【感想】
この本の付録となる対談企画。その相手は愛弟子のスターダム・朱里選手。ハッスル、SMASH、WNC、REINAで苦楽を共にしてきた師弟がどんな会話を繰り広げるのか。

これに関しては、朱里選手の過去のインタビューとかでも登場したエピソードも多い印象を受ける。

ここで気になったのは「コロナ禍」の話。特に無観客試合については興味深い。TAJIRI選手はスタジオマッチとかもあり、意外と無観客試合はやりやすいという。朱里選手はなんだか不思議な気持ちになったようだ。

この対談の詳しい内容は、この本を読んで確認してほしい。読み応えはあった!














あとがき 
人類が危機に襲われても空は蒼く、人生の旅は続くのだ 

【感想】
いよいよ、あとがき。混沌としたこの本をどう締めくくるのか。

ここに関してはまえがきとは違い「うーん」となってしまう内容。

パンチラインは決まっている。

「プロレスラーは世界をめぐる旅芸人」
「プロレスラーはプロレスがなければ死んでしまう生き物である」
「そして、旅をしないと死んでしまう生き物である」

ただそこからTAJIRI選手は自身の将来について綴っている。どうやら海に近い地方に移住して、プロレスラーを続けながら自宅で針灸院と旅人宿をやりたいようだ。その理由や「夢想未来空間」というくだりが、読んでみて、「うーん」となってしまう。

いいことは書いている。でもなんなんだろう。消化不良感があるのだ。いい言葉を羅列に並べてもいいわけではなく、要は文章としてのバランスなのだと思う。あと、やや「くどさ」も感じてしまう。

そして、「プロレス深夜特急」を読んでみて、とにかく「読み心地がよくなかった」ということである。

書いている内容はいい。エピソードとかも。これに関しては次の総括で書きたいと思う。恐らく、少しのさじ加減、ひとてまでいい方向に大きく変わっていた作品だったと思う。

そう考えるともったいない。


【総括「プロレス深夜特急」】
違和感の正体を解明せよ!~それは松田優作主演映画「野獣死すべし」的文章表現がもたらす異形と陶酔と深奥と粘着質の食べ合わせ ~

ここからが大変である。
「プロレス深夜特急」で感じた違和感を解明するという勝手に定めたこのレビューにおける最後の仕事がある。

まずTAJIRI選手はなぜ「癖が強い文章」を書くのかである。

かつてTAJIRI選手は「プロレス放浪記」(ベースボール・マガジン社)のまえがきでこのように書いている。

「『文章を書くことによって、プロレスを学んでいける』あるいは『プロレスをやることによって、文章を学んでいける』ことだと」

TAJIRI選手にとって、プロレスと文章はリンクしていて、繋がっているのだ。
そう考えた時に、ふと思ったのだ。

恐らくTAJIRI選手は自身のキャラクターをどうやったら文章表現できるのかということを突き詰めてきたのではないだろうか。その現れが「癖が強い文章」なのだ。

ただ、個人的な感想。
プロレスは無限大の許容力がある。
だからどんなキャラクターでも突き通せば受け入れるスポンジのような吸収力があるのがプロレスという不思議なジャンルだ。

東洋の神秘、知性派、サイコパス、ひ弱さ、技巧派、俯瞰性、奥深さ、ナルシサス、サイコロジー…。

TAJIRI選手というキャラクターを形成しているあらゆる概念がある。

その概念の集合体がリングに立ち、プロレスをすることで最高の魅力を放つ。

そのキャラクターを文章表現に持ち込んだ場合はどうなるのか。

TAJIRI選手に関しては「癖が強い文章」になる。プロレスでは成立しても、文章としてはうまく成立しにくいのだ。文章の世界はプロレスと比べると自由度や許容力は低いと私は思う。だからこそより気をつけて書かないといけない。

やはり、読んでいてノイズを呼ぶ文章というのは、よくないと思うわけである。

ただ、TAJIRI選手の「癖が強い文章」が見事に作品として昇華されたのが「プロレスラーは観客に何を見せているのか」(草思社)である。私はこの本は名作だと思っている。

「プロレス深夜特急」と「プロレスラーは観客に何を見せているのか」は何が違うのか。

その理由は編集にあると考えている。
「プロレスラーは観客に何を見せているのか」は茂田浩司さんが編集者として携わっているのだが、TAJIRI選手の「癖が強い文章」を滑らかにして読者により分かりやすい作品として提示していた。しかもTAJIRI選手が伝えたいことや魅力もきちんと抽出した上である。そしてTAJIRI選手の「癖が強い文章」も活かした上である。茂田さん、見事な編集力だと思う。分かりやすくて深く伝える編集ってめちゃくちゃ難しいと思うのだ。

一方の「プロレス深夜特急」。こちらに関しては残念ながら編集に課題を残した。もっとTAJIRI選手の「癖が強い文章」を活かしつつも、読みやすく分かりやすい編集するべきだった。そうすれば「違和感」を抱くことはなかった。恐らくTAJIRI選手が「書けるプロレスラー」ということで、彼の文章力に頼ってしまったのではないだろうか。ちなみに同時期に徳間書店さんから発売されたビッグバン・ベイダーの自伝。こちらに関しては編集者の力がかなり発揮されている名作だ。「遺言」じゃないのかというほど鬼気迫るベイダーの言葉をきちんとまとめて時系列やデータもちゃんと調べて書かれていた。


ひとてまでいい。そのひとてまによって、最高の一品になるのか、微妙な一品になるのかが変わるのだ。

私はTAJIRI選手がやっている文章の世界観について考えてみた。「蘇える金狼」のくだりもあったので、ここは松田優作の映画で例えてみたい。

1980年に公開された、ハードボイルド作家・大藪春彦の原作を、当時日本のアクションスターとして大活躍していた松田優作が主演を務めた映画「野獣死すべし」。

この映画で主演の松田優作は10キロ減量し、さらに頬が痩けたように見えるように上下の歯を4本を抜いたというエピソードが有名である。さらに原作では主人公の殺し屋・伊達邦彦は野性的なタフガイなのだが、松田優作が演じた伊達邦彦は不気味で幽霊のような存在感を放っていた。

「野獣死すべし」で松田優作が演じた伊達邦彦には4つのキーワードが浮かぶ。

①異形(いぎょう/意味は普通とは違った形やそのさま。あやしい姿、ようす。また、ばけもの・妖怪の類)
②陶酔(とうすい/ 意味は陶然と酔うこと。気持よく酔うこと。ほろよい加減で、うっとりすること)
③深奥(しんおう/意味はおくぶかいこと。究極のところ。また、そのところやさま。深遠。おく。おくそこ)
④粘着質(ねんちゃくしつ/意味はねばり強く、感情的な動きが少なく、保守的で、時に爆発的な感情放出を行う気質)

この4つの概念で構成させた松田優作流の伊達邦彦。だが、この役つくりと、監督以上に現場を仕切ろうと自由気ままにやりたい放題にやっていた松田優作と松田に従順している「野獣死すべし」の製作現場に、この映画を配給元である角川春樹事務所の角川春樹はかなり怒っていたという話を聞いたことがある。

「お前ら、あまりにも自己満足に走っていないか?」 

松田優作を筆頭に「野獣死すべし」を製作したスタッフをある意味、常軌を逸した奇才だったわけである。そこに見ている観客の存在はなかったのかもしれない。ちなみにこの「野獣死すべし」は公開当時は『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』の2本立てだったようだが、利益が1億円に満たない興行成績で終了している。

この「野獣死すべし」の話をTAJIRI選手の「癖が強い文章」を読んでみて思い出したのだ。

そして、よく考えると松田優作が演じた「野獣死すべし」の伊達邦彦って、TAJIRI選手が目指している自身のレスラー像じゃないのかと。またこうありたいレスラーとしての自分をある程度はそのまま文章表現に持ち込んでいるわけである。

TAJIRI選手は人とは違い、唯一無二の個性を放つために、異形でありたいとあの東洋の神秘キャラクターに投影したのではないのか。

TAJIRI選手はそんな自分とプロレスというワンダーランドに陶酔している。プロレスをしている自分と周囲に。

TAJIRI選手は深奥である。そのプロレス論とサイコロジーに満ちたプロレスは、どこまでも奥が深い。

そしてTAJIRI選手はどこか粘着質である。さらっとしていない。ネチャネチャしているのだ。

この4つの別々の概念やアイデンティティーが文章表現がもたらす食べ合わせがどういう味になるのか…。

きちんとした調理方法、中和させる食材がないと、微妙な味になるし、場合によっては不味くなるのだ。

「プロレス深夜特急」を読んで感じた違和感の正体…それは「野獣死すべし」の世界観や手法を文章表現した結果、食べ合わせによって生まれた産物である。

ただこれは何度も言うが、これは編集者によっては、うまくまとまったような気がするのだ。構成に問題があったということである。

もし、続編があるのならば、もう少し読みやすく編集してほしい。特に写真のキャプション。あれに関しては、2ページ~4ページでもいいので、写真を紹介する項目をつくり、そこで「癖が強い文章」によるキャプション特集でもやるというのはどうかなと思う。

TAJIRI選手の「癖が強い文章」に関してはあまり変わらないとは思うので、そこは活かしつつも、うまくまとめた方が読み物としてのクオリティーは格段に上がるはず。面白い本だったと思うが、本当にもったいない。

最後になるが、プロレスは奥が深いのだが、文章表現というのもなかなか難しくて、奥が深いものだと実感させられた一冊だったことは間違いない。

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