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全文公開 『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』第5回

友達なんていらない。彼氏も彼女もいらない。ぼくたちは居場所がほしい。
ゾンビがいたってかまわない。
どこか居場所を求めてゾンビのように彷徨う若者たちの、ポップでせつない青春小説。

第4回ジャンプホラー小説大賞、初の金賞受賞作『マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に』全文公開第5回。

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それではお楽しみください。

マーチング・ウィズ・ゾンビーズ ぼくたちの腐りきった青春に 第5回


 連絡したら、白石(しらいし)はすぐにうちへやって来た。
 玄関であいつが母さんと話しているのを自分の部屋で聞いて、僕は慌てて床にあぐらをかき、鏡を覗きながらハサミで髪を切っていった。もう僕は死んでいきますんで、みなさん、そこんとこよろしくお願いします、って具合にアピールするためだ。
 部屋に入ってきた白石は……なんかちょっと興奮していた。
「おまえの母親、美人だな」
「バツイチでよければやるよ。夜十時以降の糖分摂取禁止ってハウスルールもある」
「義理の息子が同い年とかなぁ……あ、でも、おまえ、もうすぐ死ぬのか」
 白石は僕の背後に座り込み、コンビニ袋から剃刀を取り出した。
 手鏡で彼の様子を探りながら、僕はなんとなく、けれど慎重に訊いてみる。
「……ダンス大会は?」
「自然消滅。最初から誰も出る気なかっただろ」
 てっきり、おまえがう○こ漏らしたからだろ、と言われると思ったけど、白石は気にすることなく僕の頭にクリームを塗りたくっていった。
 自宅療養を選択した僕はさ、こいつにちょっぴり期待することにしたんだ。
 腕や脚が残っているうちに、なにか楽しい思い出を作ろうと、僕は思っていた。自分を偽って作った中・高の友達ではなくて、もっと気のおけない連中と一緒に青春を謳歌したかった。ありのままの自分で笑える時間をさ、先輩たちと一緒に作りたかった。
 そして最期は先輩たちに囲まれながら、ゆっくりと意識を闇の中へ投じていく。そんな安楽死を、僕は目指していた。
 出足は順調。ほら、見てよ、僕の頭を剃ってくれる白石の姿を。先輩も涙腺が緩んできちゃったんじゃない?
 ……まあ、世界は僕を中心には回っていなかったけどね。
「水口(みずくち)はキョロ充の仲間入り。ご機嫌取るために体臭弄られてさ。あれは見てるこっちが恥ずかしくなるな」
「松尾(まつお)先輩は?」
「学校、来てないっぽいよ。どうせ除籍されるんだし、就活でもしてるんじゃね」
「真面目かよ。……あの人は? エナさん」
「松尾先輩と同じく、学校来てないな。もう留年決まったし、あの様子だと後期も捨てるんじゃね。ほら、新しい彼氏ができたって、毎日ライン来るだろ? くそどうでもいいことばかり」
「……ああ。毎日届いてる」
 実はエナさんからはさ、彼女の部屋を訪れて以来、頻繁にメッセージが届いていたんだよね。白石の言う、くそどうでもいいことばかり。最初はテキトーに返していたけど、正直、面倒くさくて無視することにしていた。白石や水口にも送っているとか言って僕に嫉妬させようとしたり、う○こ漏らしたこと皆にバラすからと脅してきたりしたけど、僕は徹底無視を決め込んでいた。
「だから言っただろ。メンヘラとは関わるなってさ」
 白石はやれやれと首を振り、
「あいつら、皆、腐ってるよな」
「……陰口たたくおまえもどうかと思うけど?」
「それは今に始まったことじゃないだろ」
 なにを今さら、と言わんばかりの白石に、僕はちょっとだけ居心地が悪くなった。
 ……わかってる。僕もまた人として終わっている。
 今だって、髪の毛で床が汚れないよう、先輩から受け取ったA4原稿用紙を敷きつめているし、その中にはファッション雑誌の切り抜き──もちろん、白石のモデル写真だ──を混ぜている。フリマアプリで買っておいたものを、白石に気付かれないよう、こっそりね。
「村上春樹が言ってた。肉体こそが人間にとっての神殿だって。……この身体は腐ってる」
「おまえ、ハルキストだったんだな」
 貞操観念が違うんだよな。

 かくして、僕は白石と一緒に久しぶりに大学構内へ踏み入ったわけだけど、世界はすっかりその姿を変えていた。
 僕には行き交う学生たちが異世界の住人に思えてならなかった。オークとかエルフとか、そういった異人種だ。会話も通じないのかなって心配になったくらい。
 いや、世界が変わったのではなく、僕が追いつけなかっただけなのかな。
「こいつ、マジくせぇ!!」
 大講義室前のちょっとした広場で、何人かのリア充に混じって「おまえら、えぐっ!!」とへらへら笑う水口の姿があった。彼はクールルノワールの香水を自身に振りまき、身に纏ったミント臭をリア充たちに嗅がせていた。
「うわっ、ついてくんなよ臭男!!」「やっべー」「鼻もげるわ」
 僕の中のなにかがブチッと音を立てて切れた。
「おい、やめとけって」
 白石の制止を振り払い、僕は水口へと歩んでいった。
 水口は僕を見つけると、へらへら笑いながら「おぉ」と言ってきた。
「生きてたか、藤堂(とうどう)」
 僕の視線に気付いた水口は、手にしたクールルノワールの香水を見せてくる。
「ほら、見ろよ。おまえに言われて買ったんだ。これ、マジ効くわ」
 それを使っていいのはゾンビ患者だけだ。
 僕は右手を振るって水口の手から香水を弾き飛ばした。床に落ちた香水の瓶がバラバラに砕け散り、辺りにミント臭が爆発した。
 顔色一つ変えない水口の胸に、僕は人差し指を突きつける。
「ピエロかよ!! 鼻つまむ前に、まず鏡見ろ!!」
「なに? 殴んの? わかった、来いよ」
 水口は両腕を広げ、余裕の笑みを浮かべてみせた。スポ薦で入ったその肉体は、陽に焼けた筋肉をこれでもかと隆起させていた。何度も言ってるけどさ、ラグビーが続けられないっていうのに、こいつは未だにプロテインを愛用し筋トレを日課にしているんだ。
 勝てるわけがないとはわかっていたよ。こっちは骨と皮のゾンビ患者だからね。
「なんだよ、藤堂。口だけか?」
 僕は水口の顔に拳を叩き込んだ。ごきっと、僕の骨が軋む。
 びくともしない水口は、こめかみに血管を浮き上がらせ目を剥いた。
 殴りかかってくる彼の拳をかわすように、僕は水口の懐に抱きついた。背中を強打されるけど、腕を放せば致命的な一撃を食らう。水口の太腿の外側を膝で蹴ろうともがきながら、僕は必死に抵抗した。
 白石が僕を引き剥がし、リア充たちも間に入って水口を引き離した。
 僕は唾をまき散らしながら、水口に叫ぶ。
「なんでラグビー部がおまえの周りにいないか知ってるか? あいつらが見てたのは〈3〉っていう背中だよ!!」
「俺は骨折しただけなんだよ!!」
 僕の全身から力が抜けた。
 水口は両目を手の甲で乱暴に擦りながら、止まることのない涙で唇を濡らす。
「ダンスだって、俺は一人で待ってたんだ。おまえら、二人とも来なかったよな」
 リア充たちに慰められながら、大講義室へ入っていく水口の背中から、僕はしばらく目を離せなかった。

 大講義室での必修科目は全く耳に入らなかった。隣で白石は必死にノートを取っていたけどさ、僕はどうせこの講義の単位を取ることができない。出席数もそうだけど、そもそもテストまで生きていられるかどうかもわからないからね。
 廊下側の席を見たけど、エナさんの姿はなかった。さっき、ベランダから飛び降りるってメッセージが届いていたし、今頃、家でテレビでも観ているんだろうね。
 春奈(はるな)ちゃんは一番前の席で講師の話に頷いていた。テスト前には皆にノートを見せるほど、彼女は真面目で優しいんだ。べつにどうでもよかったけどさ。
 後ろのほうの席で、水口はリア充たちに混ざって漫画雑誌を開いていた。時々、楽しそうに「ふはは」と笑い合っている。
 先輩も知っていると思うけど、水口は純粋なやつだ。あんななりをしているけど、その心は、お目目がうるうるしちゃうほどピュアなんだよね。
 でも、高校から必死に取り組んできたラグビーの道を断たれ、行き場を失った。あいつがまだ身体を鍛えているのはさ、自分を見失わないようにするためだと思うんだ。
 そんな水口が、ああやって笑顔を取り繕っている辛さは、自分を偽ってきた僕には痛いほどわかった。いや、わかったつもりになっているだけなのかも。
 ああ、僕は後悔していた。これといった目標もなく、ただ思い出が欲しいとかいう漠然とした欲を振りかざし、水口を泣かせてしまったんだから。ダンス大会も、春奈ちゃんと仲良くなるためじゃなく、彼は僕のためを思って参加しようとしていたんだよ。
 隣の白石の首元を見る。そこについた真新しいひっかき傷は、さっき、僕を水口から引き剥がす時についたものだ。
 ひょっとして、これ、僕がいないほうが皆幸せになるんじゃないの?
 一度、そう考えたらさ、世界がどんどん僕から離れていった。ほら、不思議の国のアリス症候群ってあるじゃん。あれみたいに、ぐ〜んと黒板が離れていったんだ。
 僕は席を立ち、静かに大講義室を出ていった。
 廊下に出た僕は、そのまま男子トイレへと駆け込み、洋式便所に頭を突っ込んだ。
 口から吐き出されたのは緑色の汚物だった。たぶん、腐った臓器の一部だ。鼻を突きぬけるのは胃酸のつーんとした刺激臭じゃなくて、猫の糞尿にザリガニの死体を混ぜたような、ざらついた苦味を伴う腐敗臭だった。
 酩酊状態みたいなぼんやりした頭でさ、僕は便器に溜まった自分の一部を見下ろしていた。液体というより、限りなく固体に近い物質……これ、流していいの? トイレ、詰まっちゃわない?
「おいおい、大丈夫かよ」
 僕を心配していたみたい。廊下から覗き込んだ白石が、慌てて駆け寄ってきた。
 背中をさすってくれる白石の手を、僕は振り払った。力は入らなかったけど、白石は悟ってくれたようで、代わりにハンカチを差し出してくれた。こいつもこういう気遣いができるのかって、偉そうだけど感心したよね。
 白石がギョッと目を見開いたのは、僕がそのハンカチを受けとった時だ。
 ……べつに悲しくはなかったかな。僕の口周りを汚しているのはただの吐瀉物じゃない。この緑色の汚物が洗っても落ちないことくらい、僕にでもわかった。
「ああ、悪い。自分の使うから──」
 ハンカチを返そうとして──僕はその手を止めた。
 目に飛び込んできたのは、〈HARUNA〉という刺繍……。
 わけがわからなかったよね。〈カルマ〉と書かれているんじゃないかって、何度もそのハンカチを見直したよ。前世で僕はとんでもない罪を犯している気がしてたから。
 白石は首の後ろを掻きながら、僕から目を逸らす。
「……ごめん。付き合ってる」
 やっぱり僕は、どこかに取り残されていたみたい。

 この際だから、正直に話そう。
 僕は春奈ちゃんをいいなと思ったことはあっても、彼女を好きになったことはない。
 でも、春奈ちゃんを好きになろうとはしていた。
 きっかけは去年の教職概論だ。たまたま一緒のグループになった白石と、大学近くのラーメン屋に食べに行こうって話になったんだ。次の講義まで時間が空いていたし、学食は混んでいるからって、白石に誘われてね。
 ──気になってるやつとかいねーの? 俺、陽沢(ひざわ)さんとか、タイプだわ。
 考えてみてほしい。文庫本はやっぱ紐付きに限るわと抜かす僕と、ファッションセンスって要は生まれもったスタイルだろとのたまう白石に、そんなありきたりなこと以外のどんな共通の話題があるんだってさ。
 ──僕も、陽沢さん、タイプだわ。
 孤独な大学生活を送る僕にとって、白石修二(しゅうじ)くんは神様からの贈り物だった。友人になれなくても、この絆を保っておくことは、今後の学生生活を豊かにするに違いない。そう思った僕は、白石との共通点を偽造したんだ。たぶん、水口も同じ。
 ああ、春奈ちゃんが誰と付き合おうが僕にはどうでもいい。大体、ハンカチに自分の名前を刺繍するとか、幼稚かよ。
 でもさ、相手が白石となれば、話は別じゃん。

「あいつはずっと騙していたんです」
 先輩の車の助手席で、僕は窓ガラスに額を押しつけながらぼやいた。
 ほら、先輩が「ちょっと遠出でもしようぜ」って、僕を軽自動車に押し込んだあの日のことだよ。また新人賞の一次で落っこちたんだろうなって、僕が渋々ついていった、あの日の出来事……。
「不幸なフリして、陰ではやりたい放題。あいつは僕や水口を嘲笑っていたんです。もちろん、先輩のこともね。マジで腐ってる」
「陽沢のツイッターを見たよ。グラスに映ってたな、白石の後ろ姿が」
 おかしそうに笑ってる先輩に、僕は額を窓ガラスに打ちつけた。
「〈人生で最高の瞬間〉ってツイート、あったじゃないですか。あそこに載ってたネックレスは、白石がプレゼントしたものだった」
「彼氏からの贈り物が人生で最高の瞬間ね。自撮りするやつって、ろくな人生送ってねーな」
「……先輩って、彼女いたことあるんですか?」
「彼女いない歴歳の数、恋の遍歴白紙で待つ、孤独がバズる、誰かギブミーラブ……やべ、左合図出し忘れたわ。後続車へ送る全力アポロジャイズ」
 先輩はハザードランプをかちゃかちゃ点滅させ、
「ヘミングウェイを読め。真実はそこにある」
 僕は黙って受け流した。
 誤解なきように言うと、僕だってヘミングウェイくらい読んでいたよ。でも、正直、なにを読んだかも忘れてしまうほど、ヘミングウェイの小説は僕の心に入ってこなかったんだ。それに先輩と文学を語り合う気もなかったしね。
 その時の僕は、足下に散らばったスナック菓子の空き包装や、灰皿から飛び出している吸い殻の臭いが気になっていた。
 白石と水口の知りたくない一面を知ってしまったからさ、もしかして、先輩は僕のミント臭に気を遣っているのだろうかと思ったんだ。気にしだしたら脇汗が止まらなくて、シャツが黒く汚れていった。他人に気を遣うのは慣れていたけど、気を遣われるのには慣れていなかった。
 ブー、ブー、とポケットのスマホが鳴り、僕は救われた。
 画面を確認する僕に、先輩は誰からの連絡かと気になっていたよね。
 僕はさして気にする素振りを見せないように、さりげなくスマホをポケットへしまった。
「エナさんからです」
「付き合っちゃえよ」
「死にかかってる人間に死ぬ死ぬ言ってくるんですよ?」
 いっそ、誰かに殺してほしいよ、あの人。
 高速に乗ってサービスエリアで休憩を挟み、先輩は山中湖へと車を走らせた。
 到着した時には陽が傾き始めていて、湖面に反射するオレンジ色の夕陽が眩しかった。
 車椅子マークの描かれた駐車場に車を停め、先輩はレジャーシートとラジカセを取り出し湖畔へと下りていった。
 砂利の上にシートを敷き、ヒーリングミュージックを流しながら、僕らは座禅を組み広大な自然を感じた。
「人間の悩みなんて、ちっぽけなものだ。おまえもきっと、自分のその命が、世界を総べる輪廻のほんの些細な一つに過ぎないとわかるはずだ。死ぬことは怖くない。そうだよ、藤堂。考えるんじゃない。感じるんだ」
 感じたのは不快感。薄いシート越しに砂利がお尻を刺していたからね。
 先輩が目を閉じている間、僕は何度も目を開けては、まだ続くのかこれって心の中で抗議の声を上げていた。先輩は完全に自分に酔っちゃってて、気付かなかったけど。
 やっとのことで目を開いた先輩は、遠い眼差しで眩しそうに夕陽を見つめた。
「俺は中退することにしたよ、藤堂。除籍より前向きになれるからな」
 僕は、やっぱりな、という気持ちでいっぱいだったよ。
「最後に、俺は文芸誌を作る。大学生活の思い出を形に残しておきたいんだ。このままじゃ、なにも残らないだろ?」
「……頑張ってください」
「いや、おまえも書くんだよ。おまえだけじゃない。白石と水口も書くんだ。あの前髪ぱっつんの女の子も」
「それは無理じゃないかな……」
「おまえの棺桶に入れて一緒に焼くって言えば、誰も断れないだろ」
 そんなことを言えば、エナさんの場合、逆に書かないと思うけどね。
 でも、文芸誌か……。
 正直、最初はとても魅力的な提案だと思ったよ。
 僕に足りないのはさ、実感を伴った形あるものなんだ。なんとなく文芸部の部室に集まるようになった僕、先輩、白石、そして水口の書いた小説が、一冊の文芸誌としてまとまる。それを胸に抱いてしまえば、それはそれで幸せな最期だと思える気がした。
「……先輩の思い出に、僕らを巻き込まないでください」
 突き放すように僕が言うと、先輩は目を閉じ虚空に呟く。
「おまえがそれでいいなら、そうするよ」
 結局、先輩が用意してくれたBBQセットとテントはしまったまま、僕らはサービスエリアで簡単に食事を済ませて帰ったよね。

 一体、僕はなにがしたいんだろう。なにが欲しいんだろう。なにを求めて、生死の合間を彷徨っているんだろう。
 頭に鳴り響いたのはさ、〈マーチング・ウィズ・ゾンビーズ〉で、あの知識人が言っていた言葉だった。
 ──現代人は、なにかを求めて彷徨い続けている。
 ──我々はみな、生まれながらにしてゾンビであると言えるだろう。
 はい、陳腐陳腐。
 そうやって僕はあの気取った知識人をバカにしていたけど、それは僕がまだ子供だったからだ。今なら、その言葉の本当の意味がわかる。
 とにかく、僕は空っぽだった。
 中になにも入っていないから、なにかを入れようと、見つけたものを片っ端から〈藤堂翔(とうどうかける)〉という容器に投げ入れていた。自分の中に入れたそれらが、果たしてなんであったのかなんてわからないままね。
 それでも僕は自分を満たすことに必死で、それをやめることができず、彷徨う足を止められなかった。目的と手段を完全にはき違えていた。

 白石、水口、そして先輩と距離を置き、孤独を取り戻した僕は、しかし大学へ通っていた。もう意味なんてないとわかっていたけど、母さんに昼代を貰い、まだ残っている定期券を消化するように、満員電車に揺られながら片道一時間かけてあの構内に足を運んでいた。
 そこまでして参加する講義で、僕は講師の話なんて一切聞かず、ノートへ呪詛のようにとある人物の名を書き殴っていた。
 そう、F・スコット・フィッツジェラルドだ。
 講師が講義の終了を告げると、僕はすぐに荷物をまとめて講義室を出た。
 さあ、ゾンビの藤堂翔が通りますよって、大きな足取りで廊下を闊歩する。孤独の王を気取るために、いつもより多めにクールルノワールの香水を振りかけていたからね。目に見えない臭いという武器が、海を目の前にしたモーゼのように、僕の前に僕だけの道を切り開いていった。
 最高に気分が良かったよ。自虐って、一種の麻薬みたいなものでさ、それに酔ってしまえば、無責任になんでもできたからね。
「まだ学校来てたんだな」
 白石に呼びかけられたのは、ちょうど第三講義棟を出たところだった。
 無視して歩き続ける僕に、白石はすたすたと駆け寄ってきて足並みを揃えた。
「松尾先輩が言ってたよ。文芸誌作るんだって?」
「あの人は口だけの人間だよ。自分の妄想を書き連ねるとか、哀れかよ」
「でも、好きなんだろ。フィッツジェラルド」
 まるでそれが僕の心の扉を開ける鍵だと言わんばかりに、白石は足を止めた。
 僕も思わず足を止めたよ。その名前は、僕の中でそれだけの意味を持っていたからね。
「おまえの書いた小説、俺にも読ませろよ」
 ……ああ、胸がドキッと高鳴った。
 その時の白石は最高にカッコ良かったんだ。少女漫画のヒロインの気持ちがさ、一瞬だけわかったよね。
 でも、白石は誤解している。それも重大な誤解だ。

 遊歩道のベンチに場所を移し、僕は文芸部に入った理由を白石に話した。小説が好きで好きでたまらず、でも中・高ではそのことを隠し通してきたこと。大学ではありのままの僕で行こうと、あの部室のドアを叩いたこと──まあ、大体全部、あいつは知ってたけどね。
「……え、おまえ、書いたことないの?」
 ほらね。小説が好きって言うとさ、書いてるんだなって思われるじゃん。
「逆に聞きたい。僕が小説を書いているところ、見たことあるか?」
「松尾先輩とこそこそやってただろ? おまえんちにもそれらしいものあったし」
「それらしいもの……ああ、髪を剃ってた時に、床に敷いていたやつのことね。あれは全部、松尾先輩が書いたものだよ。結局、読まなかったけど」
 白石は頭を抱え、そのまま地面に沈んでしまうんじゃないかってくらいうなだれた。
「……ってことはさ……ってことはだよ? あの中にあった俺の雑誌の切り抜き──あれも俺をディスってただけ?」
「そういえば、おまえが片づけてくれたんだっけ」
 白石の視線が痛かったね。
 僕は重いため息を漏らした。
「なにかしなきゃとは思ってる。なにもないまま死ぬなんてあり得ないからね。だから、頭の中で最高の瞬間を思い描くんだ。それを目標に頑張ろうと思う。でもさ、気付いたらそれはとっくに色褪せていて、陳腐でどうでもいいものに思えてしまうんだ。フィッツジェラルドの法則って呼んでる。これが一番の呪いだな」
 TLCウイルスのCは呪いのCだよ、なんて教えてあげようと思ったけど、面倒くさかったからやめた。
「文芸誌作ることも考えたよ。最後の思い出づくりにしたら、ダンス大会よりも何千倍もマシだ。でも、そうしたところで得られたものが、満足できるものじゃなかったら? 文芸誌を作っても、安楽死を選択できなかったら?」
 言ってから、僕はしまったと思った。こんなバカげたことを吐露するなんて、ただのイタイやつじゃん。
 気を取り直すように僕は顔を上げ、小川の向こう側へと視線を向けた。
 その白いセダンが視界に入ったのは、その時だ。
 エンジンを吹かしたまま停まっているそれは、僕に気が付くと、そのまま走り去っていった。
 はい、先輩。ここもちょっと覚えておいてね──この白いセダン、実は結構前から僕の周りをうろうろしていたんだ。何度か警察に通報しようと思ったくらい。ゾンビ狩りなんじゃないかってね。……でも、薬の副作用で見る幻覚だったら恥ずかしいじゃん? だから僕は無視していた。
 ただ、この白いセダンもずんちゃん同様、後でまた出てくることになる。いわゆる伏線ってやつだから、そこんところ頼んだよ。
 白石のじとーっとした視線に、僕はそっと足下の小石へ視線を戻した。
「……フィッツジェラルドって、そういうやつなの?」
 僕は首を横に振った。写真の中のフィッツジェラルドは色褪せているけど、彼の瞳に映る世界が、陳腐でどうでもいいもののわけがない。
「小学生の頃、父さんは家を出ていったんだ。ちょうど、夏休みの恒例行事だった沖縄旅行を前にしたある日。その前の年から不倫していたみたいでさ。小学生って言っても、結構、大人じゃん。あの家族旅行は全部嘘だったのかって、一週間後に旅行を控えていた分、すっかり冷めたんだ。その父さんが残していった荷物の中に、煙草のヤニの色がついた小説が入ってた。父さんの臭いが強く残っていたそれが、フィッツジェラルドの書いた小説だった。先入観を抱いてほしくないからさ、題名は言わない」
「俺はどうせ読まないよ」
 あっそう。
「その小説を読んでいたら、どんどん僕の中の父さんが色褪せていった。それ以来、頭の中でどんなことを思い描いても、その景色は色褪せていくようになったんだ。過度な期待は抱くなっていう、無意識に作り上げた心理的防衛機構なのかもしれない。あるいは無駄に小説を読みすぎているせいで、現実が見えていないのかもしれない。……それが、フィッツジェラルドの法則。僕は気まぐれな風と戯れる蝶なんだ」
 白石はしばらく僕を見つめた後、慰めるように肩に手を置いてきた。
「おまえ、闇深かったんだな」
「松尾先輩は家庭内別居経験してる」
「先輩は関係ねーよ。今はおまえの話をしてんだ」
 べつに他人と比べたわけじゃない。ただ、今の僕がこんな僕であることに、両親の関与を認めたくなかっただけだ。今まで育ててくれた母さんを、Y染色体を与えてくれた父さんを、悪いように取られたくなかった。……あっ、先輩の家庭環境を白石に教えたのは謝るよ。ただ、白石はそういうことを言いふらすやつじゃないからさ、あまり深く捉えないでね。
「でも、それじゃなにもできなくね?」
 顔を上げる僕に、白石は続ける。
「大切なのは結果ではなく過程だって言うだろ? おまえの言う通り、文芸誌を作ったところで、それははりぼての安っぽいものかもしれない。ただ、得られるものって、文芸誌だけじゃないだろ? 皆で文芸誌を作ったっていう時間の価値は、おまえにも俺にも未知数だ。だって、まだ誰にも見えていないんだから」
 失敗したこともなければ成功したこともなく、挑戦したこともなければ諦めてばかりだった僕にとって、白石の言葉は、まさに心を鋭く突き刺してきた。
「とりあえず、書いてみろよ。俺も書いてみるからさ」
 ウインクする白石に、僕はしばらく見惚れてしまった。


読んでいただきありがとうございました。
第6回はこちら


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