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卓球少女たちの青春×恋愛小説【短編】銀河4.178 m²

ついに開催されたオリンピック、毎日テレビの前からなかなか動けません……! 先日の卓球・水谷、伊藤選手の活躍は記憶に新しいです、素晴らしいものを見せてもらいました……! さて、奇しくもこのタイミングで卓球をテーマにした短編を頂いたので掲載します。執筆したのは気鋭の作家・安藤敬而さん。ジャンプ小説新人賞出身のミステリ大好きな作家です。今回頂いた作品は、卓球に青春を賭ける少女たちの恋愛ストーリー。ボールに込めた、言葉にできない思いとは……。


著者プロフィール

安藤敬而(あんどうけいじ) ジャンプ小説新人賞で特別賞を受賞。TVアニメ『荒野のコトブキ飛行隊』小説、『5分で読める胸キュンなラストの物語』に参加するなど。ミステリジャンルを愛好する新鋭作家。


銀河4.178 m²

 野球場6,600m²、サッカーコート3,400 m²、25mプール385 m²、バレーボールコート162 m²、バドミントンコート70 m²。
卓球台――4.178 m²。
 小四で強制的に入らされる学校のクラブ活動に卓球を選んだ理由はそれだけだ。狭ければ狭いほど動かなくてよい。動かないことは、運動音痴の私にとって正義だった。
「……影!」
まあ運動ができない奴の考えることは皆同じで、卓球クラブには学年中の運動音痴が集まっていた。しかし、よく考えれば卓球も運動の一種である。運動音痴の私が卓球に限って得意かといえば、当然そんなことはなかった。ラリーを続けることさえできない酷い有り様だった。
「……も影!」
だがそれでいい。私は運動したいわけではない。卒業まで適当に玉遊びをして乗り切ろう、その程度に思っていた。……そう思っていたはずなのに。
「下影(しもかげ)、おい下影! 聞いてるか!」
 唐突に真横から聞こえた怒鳴り声。コーチがマスク姿で私を睨みつけていた。
「……集中してました。すいません」
「もう時間だ、さっさと下降りるぞ! ラケットの許可証は持ったな。いいか、落ち着いていけよ。振り回されず、自分の卓球をするんだ。そうすれば必ず勝てる」
「……はい。自分のペースを崩すことなく頑張ります」
「うん、そうだそうだ!」
 私の素直な、そしてまるで誠意のない返事にコーチは気をよくしている。
会場には間隔を空けて何台もの卓球台が並んでいる。カッカッカッと、直径40 mmの白球が台上を跳ねる音がこだましていた。青いフェンスで区切られた通路を通り、選手たちの後ろ姿を眺める。各県の上位四名に入った優れた選手たち。どの姿も似通っていて、髪は黒々として肩口で切り揃えられている。皆、無表情で淡々とアップしていた。
「……」
 ふと、会場内にいる彼女の姿を探している自分に気付く。
 溜まった唾を飲み込む。
緊張しているのだろうか。
会ったときなんて声をかければいいだろう。
久しぶり――とか?
 ラケットを取り出し、指定されたコートに入ったところで。
「わぁ、モカちゃんだぁ!」
「……!」
 背後からその声が聞こえた瞬間、ぶわりと冷や汗が湧き出た。臓腑がせり上がる感覚。
「モカちゃんモカちゃんモカちゃん!」
 場違いな大声は背後からどんどん私に近づいてくる。
「ねえねえモカちゃん! 聞こえてないの? ねえってば!」
振り向くと、そこに彼女は立っていた。童顔かつ低身長。髪色はアッシュで耳には赤色のピアス。会場内ではあまりにも浮いた容姿。だが背中の「照日(てるひ) 」というゼッケンは、彼女が選手の一人であることを如実に証明していた。
 動揺を必死に抑え、私は努めて平静を装いながら応えた。
「……久しぶり照日。一年半ぶりくらい?」
「全然違うって。一年と七か月二十三日ぶり!」
「誤差でしょそんなの。……ってか髪色。大丈夫なのそれ?」
 彼女はアッシュの前髪を指でつまむ。
「ん? 言われたよ、染め直せって。でも押し切ったんだ。停学もらったけど」
「……押し切れてないでしょ、それ」
「黒に戻して、アクセ外せば卓球強くなる? ならないでしょそんなの」
「心意気とかの問題なんじゃない?」
「なら大丈夫だよ。あたし卓球にマジだもん!」
「……」
 本戦トーナメント表を見たとき、悪質な冗談かと思った。四か月という短い期間ではあったが照日は中学の同級生だ。
「にしてもモカちゃん、わくわくで昨日は眠れなかったよ! これって運命? あたし絶対に負けないよ。中学のときとは別人だから!」
 相変わらずのやかましさ。中学時代とまるで変わっていない照日がそこにいた。
「そう、それは楽しみ」
「おい、下影!」
 コーチに呼ばれベンチに戻ろうとした私の背に、照日が声をかける。
「ねえモカちゃん。あたし、今日を本当に楽しみにしてた。絶対に負けないから!」
「……うん、そっか」
 相変わらずだ。そうやって臆面もなく、照れもせず、感情をそのまま素直に表せる。表せてしまう。あんたのそういうところが、気に食わなかったんだ。

 インターハイ本選女子シングルスの部一回戦。
試合前に互いのラケットを交換するのがマナーだが、今年は感染症対策という点から近くで見せ合うだけだ。照日のラケットはFL(フレア)グリップのシェーク 。ラバーは両面裏ソフト。中学のときに私が買ってあげたものを今でも使っているらしい。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
 サービス獲得のためのジャンケン。昔から彼女は力むとグーを出す。私の勝ち。本当に中学のときと何も変わっていない。
 一分間のラリー。フォアからバックへ。まだ手の内は見せない。
「えへへへ」
 いきなり照日が笑い出した。怖いっての。無視して球を打ち続ける。
ラリーを終え、手に球を握る。サービスは私から。
「0―0(ラブオール)」
 審判の声はマスクでくぐもって聞き取りづらい。
「さぁ来い、モカちゃん!」
 叫ぶ照日を無視し、私は静かに息を吸い込む。
(……なにが来い、だ)
手のひら に載せた白いスリースター を投げ上げる。
息を吐き、バックハンドでサービスを放つ。前陣で構えていた照日は意表をつかれたのか、返球が甘い。そこを見逃す私ではない。照日の反対側のコーナーへ打ち返す。彼女は飛びつくも打ち上げた球は大きくアウト。審判が私側に手を上げる。
(……よし)
 最初にスコアボードが捲られたのは私だ。1-0。
 続いて二回目のサービス。フォア前に下回転。照日がドライブを打ち込んできた。冷静にカットして対処する。照日は再度ドライブ――強い上回転がかかった球は私のコーナー際へ落ちてきた。
ドライブ主戦型――それが照日のスタイルだ。上回転をかけた強烈なドライブを打ち込む攻撃型の戦型。
既に大きく下がっていた私は、球に下回転をかけて返す。攻撃型の照日に対して私のスタイルはカットマン――相手の球を全て拾い、どこまでも粘ってミスを誘う守備型の戦型だ。今現在、卓球選手でカットマンは少数派である。
照日は再びドライブをかけてきたが、球はネットに阻まれた。
 スコアボードが捲れて2-0。いい滑り出し。
 照日は首を傾げながら、ネット際のボールを手に取った。
「んん、違うかな。もっと、ぴーんて感じだよね。ぴーんて」
 相変わらずの独り言。無視に限る。
 サービスは2点交代のため、照日へと移る。
(甘い)
彼女のサービスをなんなくブロック。照日はやはりドライブを放ってきた。私はそれをカットし、右コーナーへ。台のエッジぎりぎり。彼女はバックハンドでドライブをかけようとした。が、球は打ち上げられコート外へ。0-3。
「いいぞ下影、その調子だ! そのままいけ!」
 背後から飛ぶコーチの声に、思わず笑ってしまう。
 その調子? そのままいけ?
(何も分かっていない)
 照日はラケットを素振りしていた。ひゅん――と空を切る音が響く。ラケットが振るわれるたびに、彼女の眼光は鋭さを増していく。
(照日はまだここからだってのに!)
 彼女のサービスをカット。照日は再びドライブ。強烈な上回転のかかった球は大きく山なりに私のコート内へ。ループドライブ――照日の得意とする技。大きく下がってそれをカット。向こうは再びドライブ。落ち着いてそれを返す。
ドライブ、カット、ドライブ、カット――応酬が続く。
 こっちが返すたびに、彼女の球威は増していく。
「あはは!」
 唐突に照日が笑った。笑ったというよりは漏れ出たというべきか。
(だから怖いっての)
 初めて彼女と打ち合ったときもそうだった。
(あんた、何も変わっていないのね)

 中二の秋だった。階下から響くバスケ部 の声。体育館二階にある横長の空間が男子・女子卓球部の練習スペース。もっとも女子部員は私一人だけだ。
 私は男子部長の田口(たぐち)と打ち合っていた。彼のスタイルはドライブ主戦型、対する私はカットマン。田口は下回転のかかった球を打ち上げ、アウトになった。
「……し、下影さん。少し休憩にしないか」
「まだ始めたばかりじゃない」
「走り込みも筋トレもやった後だよ。朝から無茶だって」
「……そう。それじゃあ小休止ね」
 入学当初は彼の実力が上だったが、今では私が完全に追い越していた。練習相手として不足だが仕方ない。
少し休んだ後で練習を再開。
 彼がドライブを打ち込む。私は下回転をかけカット。
 うん、調子が出てき た――と思ったところで。
「ねえ。ねえねえ。すごいじゃん!」
「は?」
 不意に聞こえた声に、私のスイングは盛大に空ぶった。彼のドライブが頬に突き刺さる。顔を抑えながら横を見ると、制服姿の女子が立っていた。
ニキビ跡一つないきめ細かい白皙(はくせき)の肌。大きくて黒々とした瞳。髪はくすんだ灰色で、赤いピアスを付けている。祖母の家に飾られていた陶磁器の人形を思い出す。
「ねえねえねえ、私もやりたいな」
「は? え? だ、誰あんた?」
 彼女は目を輝かせ、ぐいっと顔を寄せてきた。近い。ってか肌が白すぎる。
「照日さん、だよ」答えたのは田口だった。「ほら、転校生。C組の」
「ああ……この子」
 噂は聞いている。髪は染めるわ、ピアスは付けるわ、教師の注意に反抗するわと問題児らしい。ヤンキーをイメージしていたが、目の前の彼女はまるで小学生のようだ。
「面白そうなことやってる! あたしもやりたい! それ、貸してほしい!」
「え、僕の……。いやまあ、いいけどさ」
 彼女は田口からラケットを受け取った。シェークラケットを指も立てずに握っている。ずぶの素人らしい。
「ありがと! よーしやるぞ。来い!」
「……え? 私と?」
「そ! ねえ、早く!」
 しぶしぶ台の前に着く。出会って一分でため口。このタイプの人種には心当たりがある。学園祭後、打ち上げでカラオケへ行くことを提案してくるタイプ。安い言葉を使うならば陽キャ。つまりは私とは対極な奴ら。
 ボールを構え、
(カラオケとかカフェとか……男の家とか。行くとこ沢山あるんでしょう?)
 宙へと高く上げた。
(私の世界に……入って来るんじゃないっての!)
 横回転をかけサービスを放つ。転校生のラケットに触れた球は、あらぬ方向へ。
「わ!? なに今の!?」
 田口は渋面を浮かべて私を見つめている。
(し、下影さん! 初心者相手にあんな回転を……)
(接待してんじゃないんだから)
 無視して二球目のサービスを放つ。転校生はラケットを当てるも、球はコート外へ。ボールを拾いに行くその小さな背中に声をかける。
「初心者向けの簡単な打球なんだけど。難しかった?」
うわ……クソみたいな性格だな私。でもこれでいい。あんたに付き合って試合をするつもりなんてさらさらない。早く練習に戻らせてほしい。
 だが予想外に、振り向いた転校生は笑顔だった。
「ううん! このままでいい! すっごい球! でも絶対に返すから!」
「……」
 言ってろ。11-0になったときどういう顔を浮かべているのか楽しみだ。転校生の素人丸出しのサービスを難なく返し、点数を積み重ねていく。
彼女が一点も返せないままスコアカウントは10-0。完勝は相手に失礼だからわざと1点を与えるなんてマナーもあるが、知ったことか。完敗して惨めに去れ。
「なんか違うんだよね。こう? いや、こうかな? う~ん、違うかな」
 転校生はラケットを素振りしていた。空を切る音が聞こえてくる。
 なんというか……初めの頃より様になっている。
(見た目だけでしょ)
 転校生側のサービス。これを決めて私の勝利。下回転をかけて返す。
 だが彼女は三球目を返してきた。ガッ、と球が力強く台を跳ねる。
「っ!」
 強い上回転がかかっている。バウンドした球をカットして突き返す。転校生はラケットを下から大きく振るった。強いドライブが返ってくる。それをカット。
……遊ぶ気はない。下回転をかけコーナーめがけて打つ。これは追いつけない。
 だが転校生は、既に大きく後退して待ち構えていた。
「もっとこうやって、ぎゅいんって感じだよね! よし――こう!」
 リノリウムの床を、足で踏み込む大きな音。ラケットが振り抜かれる。彼女の放ったドライブがネットを超えてきた。だが勢いが強すぎる。
(これはアウト――)
 コンマ数秒後、その考えは覆った。上回転のかかった球は山なりに急降下――ループドライブだ。台のエッジに当たり、球は真横へ。飛びつくが追いつけない。白球は床をこんこんと転がっていく。
「――っ」
 田口に目をやる。彼が転校生側へと拳を上げた。
「わー、やった! ぴかぴかだ! ぴかぴか!」
 転校生は訳の分からないことを言ってぴょんぴょん飛び跳ねている。
 無邪気に喜ぶ彼女を見てはっきりと思った。
 ああ、私はこいつが嫌いだ――って。

「一ゲーム目、よかったぞ下影。このままの調子でいけ。相手のドライブも大したことない。全部お前のカットで捌(さば)けている」
 コーチの話を聞き流しながらドリンクを口に含む。
「元気ないなあ。声出してけ、声! 気持ちで負けるなよ!」
「……はい」
言われなくても分かってる 。照日の癖は中学の頃と何も変わっていない。バックは未だに苦手らしく、返球は甘い球ばかりだ。
だが、だからといって侮れない。
照日に初めて得点を許したのは4―0から。彼女の放ったドライブは急降下し、台の上をスリップした。カットし損ねて、私の球は大きくアウト。そこから点を許し、最終スコアは11-5。
 コートを入れ替え二ゲーム目開始。
「えへへへへ」
 サービスは照日から。その小さな体躯からは想像もできない強烈なサービス。私のレシーブは上がってしまう。照日はそれを見逃さない。凄まじいパワードライブが襲い来る。が、私はそれをカットしバックロングへ。彼女はバックでドライブをかけてきたが、回転が甘い。フォア側のコーナーへ叩き込む。先制点は私だ。
 続くサービスも私が得点し、2-0。サービスエースなんて与えない。
だが、そこまでだった。
「うん、うんうん」
照日の黒々とした瞳が輝きを帯びた気がした。
 横回転をかけた私のサービス。一ゲーム目は苦戦していたそれを、彼女はなんなく返してきた。対応している。ドライブとカットの応酬。打ち勝ったのは照日。1-2。
(……本当に)
 私は手のひらに球を乗せ、高く上げる。
(本当に強くなりやがって、クソ)
 輝いた瞳で私を見つめる彼女に球を打ち込む。

「あー、またその回転! だからそれ無理なんだって!」
 真横へ吹っ飛んでいく球に、照日は地団太を踏んだ。
「そう。じゃあやめるわ」
「駄目! 絶対にやめないで。打ち返すから!」
「……面倒くさい、あんた」
 平日朝七時から、私は照日と二人で打ち合っていた。女子卓球部に入ってから早二週間、彼女は毎朝のように練習に参加していた。
「ねえモカちゃん」
 ラリーの最中、急に彼女が言う。
「え? なにその呼び方? どっから来たのよ」
「え? 下影(しもかげ)だからモカちゃん」
「シモカ……そっから取る? っていうか、その呼び方なんか……」
「なんか?」
「……痒いから 、嫌なんだけど」
「モカちゃん。あたし、強くなりたい」
「聞きなさい。ってかなに? 強く? あんたが?」
「そ! モカちゃんに負けないくらい卓球が上手くなりたい。なれるかな?」
「……さあ。なれるんじゃない。頑張れば」
 嘘だった。彼女の返球をコーナーに叩き込む。確かに照日には才能がある。センスも反射神経もいい。だけれど私以上に強くなるというのは無理だ。こっちだって毎朝毎晩練習している。つい二週間前から始めた素人に追いつかれてたまるか。
「そっか! いいなあ、なれたら。うん、てかなるから! 絶対!」
「へー、そう。じゃあそのときが楽しみ」
 私のサービス。横回転をかけた私の球は、真横へと飛んで行った。
「ああ、またそれじゃん! もう、絶対に返してみせるから!」

(昔は一球も返せなかったのに)
 私は裏と表ラバーを使い分け、異なる回転をかけて返球する。だが彼女は一瞬でその回転を見極め、臨機応変に対応してくる。
(確かにあんたは強くなった。あのときから考えられないくらいに。でも――)
 勢いよく振りぬく照日のパワードライブ。なんとかカットするも打球が重い。球の重さが2.7 gとか嘘っぱち。1 kgぐらいあるでしょ。
(でも――勝つのは私なんだから)
 カット、カット、カット。ひたすら粘る
 スコア8-11。二ゲーム目も、制したのは私だった。
 ベンチで汗を拭う。喉がやたら渇く。
焦りがあった。一ゲーム目に比べ照日との点数は縮んでいる。
「お前はお前のペースでいい。バックが弱点だぞ。積極的に狙ってけ!」
 コーチが捲し立てているが何も頭に入ってこない。
 再びコートへ。三ゲーム目。これを取れば私の勝ち。大丈夫、私が照日に負けることなんてない。私の方が絶対に強い。大丈夫、大丈夫、大丈夫……。
「ねえ、モカちゃん」
 ボールを持った私に、照日が言う。
 顔を上げて真正面を向く。照日にはもう後がない。追い詰められている。それにもかかわらず彼女はなぜか満面の笑みを浮かべている。
「めちゃ楽しいね、今」
「……そう、ね」
 楽しい――私は卓球に対してそんな感情を抱いたことがない。意外にも、運動音痴な私にも才能があった。それが卓球。だから、ずるずる続けている。理由はそれだけだ。
(私とあんたは全然違う、照日)

「ラケット買いに行くよ」
 放課後、私の言葉に照日はきょとんとしていた。
「なんで? まだ全然使えるよ。これ」
「部室の隅で放置されてたやつでしょそれ。温泉卓球レベルの安物」
「ラケット……買いに……!」
照日の顔はみるみる明るくなっていく。
「わぁ、やったやったぁ! えへ、どんなの買おうかな」
「それも私が考えてる。裏表のラバーも。ドライブ型に合うやつ」
 スポーツ用品で照日に合うラケットとラバーを見繕い、私は部室でラバーを貼り替えてやった。ハサミでラケットからはみ出た部分をカットし、側面にサイドテープを貼る。完成品を手にして、照日は目を輝かせている。
「わぁ! これあたしのラケット!? マイラケ! かっくいい!」
「ちゃんと手入れすんのよ」
「ねえモカちゃん、やろやろやろ!」
早速、照日はラケットを持ち体育館へ向かおうとしている。
「だから聞きなさいって……」
「絶対に大切にする。友達から何か買ってもらったのって初めて!」
「……あんたが財布すら持ってないとは思ってなかった」
 物をやたらに失くすため、スマホも財布も親に管理されているらしい。この高いラケットを失くしたらただじゃおかない。
ラケットを買い替えたことによる効果は如実に出ていた。小さな身体をフル駆動して放たれる彼女のドライブ、その威力は凄まじい。
 自らの打つ球の感触に、照日は身体を震わせている。
「すごい、すごいすごい! しっくりくる! うわ気持ちいい!」
「そ、よかったね」
「決めた! あたし、ラケットもラバーも、絶対に、一生変えない!」
「アイドルの握手会じゃないんだから……。身の丈に合った物に変えればいいって」
「だってこれ付けてればずっと一緒って感じがするし。モカちゃんと!」
「うわっ。……気持ち悪いこと言わないで。急に」
「ねえモカちゃん」
「何?」
 その呼び方に慣れてしまった自分が憎い。彼女のドライブをカットして返す。
「今、すっごく楽しいね」
「……私は別にだけど。あんたうるさいし」
「あたしは楽しいけど。超楽しい!」
「何度も聞いたからそれ」
「うん、よし!」
 照日が踏み込む音が響く。
「……っ!」
強烈なパワードライブがコート内でバウンドし、身体の横を通り抜けていく。反応することができなかった。頻度は高くないが、時々彼女は反応できないほど強烈なドライブを打ち込んでくる。そしてそのとき、決まって言うのだ。
「やった! ぴかぴか!」
 ぴょんぴょんと彼女は笑いながら飛び跳ねている。
「……突っ込むの負けた気がするから嫌だったんだけど。何? ぴかぴかって」
「モカちゃんも打ってるとき、なるでしょ? 好きなんだ、あれ」
「……いや何を言ってんの本当に?」
 いつもこうだ。会話ができないんだこいつは。
「え? なるよね。なんない? ぴかぴかって」
「……訊いた私が馬鹿だった。頭が変になりそう」
 朝に彼女と卓球をして、放課後に彼女と卓球をして、休日は彼女と卓球場へ行って、そんな日々が続いて、冬になった。彼女との卓球が日常の一つに――いや中心になっていた。
SHRが終わると着替えて体育館へ向かう。
(全く……。行かなかったら騒ぐし、煩わしいったらない。……ん?)
 体育館の入口を見て、足が止まる。入り口脇に照日がおり、その前に立つのは――美幸(みゆき)だった。戸田(とだ)美幸(みゆき)。夏前まで卓球部に入っていた同級生。元副部長。
「ごめんね、照日さん。急に時間貰って」
「別にいいよ。でも練習あるから早くしてね」
「練習って女卓だよね」
「そ! 早く打ちたいんだ! 新技を考えててさ!」
「……照日さん。あなたさ。その、なんていうか、変なことされてない?」
「変なこと? 誰から?」
「部長の……下影さん」
「モカちゃんから? どういうこと?」
「モカ……? あの、理由とか聞いてない? なんで女卓が一人なのか」
「モカちゃんが練習熱心で付いてけない、ってやつ? あたしは大丈夫だけど」
「それも一つだけど別の理由があるの。下影さんってさ、その――……」
(……!)
 私は耳を塞いで、そこから逃げ出した。
 心臓が跳ね、身体にはべっとりと汗が噴き出ていた。
 前にやった道徳の授業を思い出す。
 戸田のやったそれはアウティングと呼称される行為だった。
 
照日と顔を合わせるのが怖かった。
朝、家を出るのが億劫(おっくう)になり、学校へ行くのをやめた。

 一週間学校を休んで、母親に説得されてようやく登校を再開し、練習を休んで、冬休みになり、松の内が明けてから体育館へ足を運んだ。
 二階から響くピンポン玉の音。照日になんて言おうかなんて考えながら階段を昇る。いたのは男子卓球部の田口だった。
「あ、下影さん。久しぶり」
「……あなただけ? 照日は?」
「え? 聞いてないのか」
 田口は意外だという風に目を丸くした。
「……なんのこと?」
 無言のまま、田口は眼鏡を押し上げた。
「照日さん、二学期の終わりで転校したよ」

 タオルで汗を拭う。三ゲーム目、カウントは10-8で私のマッチポイント。
 照日からのサービス。彼女が上回転のかかった球を放つ。ブロックで球をいなす。照日が放つドライブをカット。カット、カット、カット――。
(あんたと別れてから、ずっと不安でしょうがなかった)
 最後に、何も言葉を交わすことはできなかった。
 あんたは私を嫌ったのではないか。
 だから何も言わずに去ったのではないか。
 次にどこかで会っても嫌な顔をするのではないか。
(杞憂だったのね、全部)
 だってあんたはあの頃と変わらない。笑顔を向けてくれるし、同じラケットを使い続けてくれている。それが私たちを繋いでいた何よりの証左だ。
(ここ!)
 裏ラバーで最大級の下回転をかけ、低めに、照日のバック側へと打ち込んだ。
照日はそれを返せない。なぜなら彼女の裏ラバーを選んだのは私だから。照日の裏ラバーはコントロールを重視した薄いスポンジ。反発力は小さく、あのラバーではこの回転は決して持ち上がらない。
「決めた! あたし、ラケットもラバーも、絶対に、一生変えない!」
 照日の言葉が脳裏に響く。
 皮肉だ。あんたは私との絆を大切にしてくれた。それが理由で試合に負けるのだ。
 案の定、照日はバックハンドでその球を返そうとする。
無駄。その球は持ち上がらない、あのラバーでは十分な上回転をかけられない。球は持ち上がりネットを飛び越えていく。そしてコート外へ飛んでいき、私の勝利。
――とはならなかった。
上回転のかかった球は大きく山なりに落ちた。ループドライブ。私の目の前で弾けるように台上をバウンドし、後方へ飛んでいく。
 スコアボードは9―10。
「……は? え?」
 どうして? どうしてあの球が持ち上がる? あのラバーであそこまでの回転はかけられない。現にこれまでの試合運びもそうだったはずだ。
 照日のラケットに目をやる。黒い裏ソフトラバー は、心なしか厚い気がする。
まさか、違うの?
 ラケットの裏面に貼られている彼女のラバー。試合前には普通、互いのラケットを交換する。ラバーの種類で相手の戦法もある程度は見抜ける。
 だから油断していた。馬鹿正直に一年以上も前の言葉を信じ切っていた。それはあくまで口約束であり、書面上交わした契約でも何でもないのに。
 あれは私が貼り替えてあげたラバーじゃない。
「あたし、ラケットもラバーも、絶対に、一生変えない!」
 かつての照日の言葉が虚しく反響する。
 卓球台の広さはわずか4.178 m²。球の直径はわずか40 mm。打ち込まれる球は時速150 kmを超える。動揺が試合運びに影響を与えないわけがない。
 背後からのコーチの声はまるで頭に入らない。
 デュースに突入し、私は打ち負け、三ゲーム目を落とした。
「後半どうした。集中切れてたぞ。集中集中集中!」
「……」
「いいか落ち着いてけ。地力(じりき)ではお前が勝ってる。対処すればきちんと――」
「――地力ってなんですか?」
「ん?」
「あの子が卓球を始めたのは中二です。反射神経、センスにおいては私なんかよりずっと勝ってます。しかも上り調子。それで地力って、私の何が勝ってるんですか?」
「よ、弱気になるな! いいか、お前はカットマンだ。粘って粘って――お、おい!」
 コーチの言うことは正しい。私がしてるのはクソみたいなヤツ当たりだ。じゃあこの気持ちをどこへ向ければいいのか。
 四ゲーム目のサービスは照日から。彼女がボールを上げる。台上を滑るすさまじいドライブ。私の甘いレシーブを、照日がパワードライブで叩き込む。それをカットするも球は大きくアウト。先制点は照日。
 1点を取り返すも、私のサービスを取られて3-1。
 打てば打つほど分からなくなってくる。
どうしてあんたはラバーを貼り替えたのか。
(……期待してたの?)
 あの子が約束を守ってくれることを? たかが口約束。破って当たり前。でもその口約束だけが、私と彼女を繋ぎ止めてる気がしていた。どうしてラバーを変えた? 戸田に吹き込まれたから? やっぱりあんたも私を避けてるの? ああ駄目だ。ちくしょう、集中しろ集中、でなければ負けっぞクソクソクソ!
 10-6、照日のマッチポイント。最悪なことに向こうのサービス。私のレシーブはネットに阻まれた。試合は最終ゲームにもつれ込んだ。
 見上げれば天井の照明が眩しい。遠くからコーチの怒鳴り声が聞こえる。私がベンチへと戻ろうとすると、照日が駆け寄ってきた。
「モカちゃん、どうかしたの? 大丈夫?」
「……どうかって、何が?」
「動きがおかしいから。足とか痛めた?」
「別に問題ない。大丈夫だから……」
「大丈夫じゃないよね。」ぐっと顔を寄せてきた。「変だよ明らかに。途中から」
「……」
 心臓が早鐘を打つ。尋ねるべきではない。答えを聞いても良いことなんて何一つない。失望するだけ。そう分かっていながらも抑えられなかった。
「ねえ照日。あんた――本当に今日を楽しみにしてたの?」
 私の言葉に彼女は信じられないといった風に目を丸くする。
「してたよ! すっごくしてた! ……なんでそんなこと言うの?」
「あんな別れ方をしたのに?」
「あんなって?」
「中学のとき」
「んぇ? 確かに最後は会えなかったけど……」
「……戸田と、話してたでしょ。体育館前で、私のこと」
「戸田? ん……あ~……? あったかも。うん。少し話したよ」
 耳元に心臓があるみたいに、どくどくと脈打っている。
「……聞いたでしょ、私のこと。なんで女卓が一人だったか」
 私の問いかけに、照日はこくりと頷いた。
「うん。聞いたよ」
「……あんた、どう思ったの。それ聞いて。嫌だったでしょ」
 キモいもんね。私の問いかけに照日は腕組みをし、眉間に皺を寄せている。
「嫌? ううん別に。ふーんって思っただけ」
「……ふーん?」
「うん、ふーんって感じ」
「……いや、何それ。もっとあったでしょ。何か……感想」
「うーん、どうなのかな。私さ、皆が言う恋愛ってあまり分かんなくて。男子を好きになったこともないし。付き合ってもよく分かんなかった。だからモカちゃんのことも、そうなんだって思っただけ、だったかな? っていうかさ、そんな昔のことどうでもいいよ!」
「ど……」
 どうでもいい? よくない。私はずっとそれを気にして――。
「あたしが訊いてる のはそんなことじゃなくて! どうして急に動きが悪くなったかってことなんだけど」
「……原因、それだから」
「え?」
「……怖かったの。嫌われたと思ったから。あんたに」

 中二の、夏休みに入る前だ。あのときはまだ女卓は私を含めて4人いた。皆、部活外でも仲が良くて、休日は揃って出かけたりした。中でも戸田、部の副部長。快活で明朗で私を支えてくれていた。そんな彼女に魅かれていた。
少し浮かれていたのだろう。自分は好かれていると思っていた。思いを受け入れられると思っていた。だから告白したとき、彼女が困ったように目を泳がせるなんて想像もしていなかった。
あー……、まじなんだ。冗談とかじゃなくて。……そう。うん、大丈夫。そういうの理解ある。大丈夫。うん、オッケイ。うん、大丈夫だから。
別に、関係を発展させようと思って告げた のではない。ただ、自分の思いを彼女に届けられたらそれで十分だった。友達のままで満足できると思っていた。
数日後に帰ってきたラインは、
「ごめん、考えたけどやっぱ無理。限界」
 それだけだった。
 返信に既読は付かない。既にブロックされているようだった。夏休み前に彼女を含めた部員たちは退部。噂は学年内の女子間で共有され、あらぬ尾ひれも付いたらしい。

 私の言葉にきょとんしていた照日が、静かに言う。
「もしかしてそれだったの? 冬休み、部活に来なかった理由って」
「……」
「三ゲーム目から調子が悪かったのも?」
「……そう」
「ふぅん……そっか」
 照日は息を大きく吸い込んで、そして大声で叫んだ。
「ふざけんな!」
 彼女は背伸びをして私の胸ぐらをつかんできた。慌てて会場のスタッフが間に入ってきた。取り押さえられてもなお彼女は私を睨みつけている。
「そんな? そんなことで? あたしがモカちゃんを嫌いになるって、そんな理由で? それで練習に来なかったの? ふざけんな! 冬休み中どんだけ暇だったと思ってるの!」
「……」
「あたし、楽しみにしてたんだよ。朝も放課後も! モカちゃんと卓球やるのだけが楽しみだったの! それで来ないなんてさ。なんなんだよもう! なるわけないじゃん。嫌いになんて! そんなことで――」
 照日が投げつけたボールを、顔の前で掴む。
「この時間を終わらせてたまるか!」
 この時間――私と卓球台を挟む時間。
「モカちゃんが誰をどう好きでも関係ない。好きだと何? 卓球が強くなるの? 弱くなったりするの? 関係ないでしょ! だから、あたしとの試合に集中しろ! 楽しめよ!」
「……」
 不思議な気分だった。この一年、悩みに悩んだことを照日が全く気にしていない。それが嬉しいようでいて、でも少し悲しくもあって。
 こいつの頭には、この試合を楽しむこと以外ないんだと思った。
「……あは。あはははは」
 思わず笑ってしまう。
 不思議なことになんかすっきりとしていた。
「おい、なんなんだ君! 騒いで! こっちへ来い。試合は中断で――」
 審判が照日を睨みつけて厳しい口調で注意する。
「――ごめん照日」
 彼を無視して、私はラケットを持ち、台の前に着く。
 そしてボールを手のひらに載せる。
「始めましょう、五ゲーム目」
 私の言葉に照日がにかっと笑う。スタッフを振り切って彼女も台に着く。困惑していたスタッフも、私がボールを構えたのを見て、仕方なく戻っていく。
 最終ゲーム。私からのサービス。
「行くよ、照日」
「来い! モカちゃん!」
 私のサービスを、照日がラケットを大きく振りかぶり打ち抜く。
 空気を裂く音と共に強烈なドライブが襲い来る。
 カットするも、回転が甘かった。身を乗り出した照日が打ち込む。彼女のドライブをカット。コーナーに打ち込まれた球を照日がバックで返すも回転が足りない。それは持ち上がらない。球はネットを超えることはなかった。1-0。
「強いじゃん、やっぱ!」
 私を見て照日が笑う。
 頭の中がクリアになっていく。
 そうだ。何も関係がない。この4.178 m²の台上では何も関係がない。どんなことも忘れて無心でただ打てばいい。返せばいい。打ち込めばいい。照日もそれを望んでいる。
 息を吐く。心臓の鼓動が鳴りやむ。雑音が消え失せる。目の前に照日が立っている。
 卓球を始めた動機は単純。面積が一番狭いから――それだけだった。
だがそれは思い違いだった。4.178 m²というのはあくまでも卓球台の広さ。競技領域は長さ14 m、幅7 m。カットマンは後方へと下がり、球がどれだけ遠くへ飛んでも追いついて、返さねばならない。
 五ゲームもやれば体力もいる。大会ならなおさらだ。毎日走り込むし、基礎トレもする。本格的にやる卓球は、台上のお遊戯とはかけ離れた過酷な運動だった。
 5-4。
 ドライブを打ちながら照日が吠えた。ちくしょう。そんな良い顔で、最高の笑顔を浮かべやがって。どうすりゃそんな快活な笑顔ができる。気に食わない。
(ごめん照日、私はあんたみたいには楽しめない)
 卓球をやってて良かったことなどない。辛くて苦しい思い出ばかり。
 6-6。追いつかれる。
 照日がバックでドライブをかける。ラバーは厚さによって性能が変わる。薄いものは球のコントロールがしやすい。厚くなればコントロールは難しいが、球威が増す。初心者の照日に、私は薄いラバーを選んだ。
 だが今の照日のラバーは厚い上級者向け。それもあってここまで強いドライブを放てるのだろう。しかもコントロールも抜群だ。
(何も変わってない……わけない)
これまでにどれだけの努力をしたのだろう。だが、私だって遊んでた わけではない。ドライブをカット。照日のループドライブが飛んでくる。来い、どんな球でも拾ってやる。しかし違和感に気付く。ドライブの回転が甘い。球は台を飛び越えアウトになった。
 照日は肩で息をしていた。照日の小さな身体であれだけのドライブを打てば体力を消耗する。しかし、私の体力はまだ余っている。そこがカットマンの優れている点の一つだ。大きく振り上げるドライブよりも、横へ薙(な)ぐカットの方が体力消費は少ない。運動したくない私がカットマンを選んだのは当然の帰結だった。
 照日の体力の限界は近づいている。にもかかわらず彼女は快活な笑顔を浮かべていた。私のカットをドライブで返してくる。全力で。
(どこにそんな体力があるの)
 球威はまるで衰えていない。
 9―10、照日のマッチポイント。
 そして彼女のサービス。
 滝のような汗を垂れ流しながら彼女は強烈な上回転をかけてくる。
 一球を打ち込むごとに彼女は笑う。
 だから怖いっての。
 全く何がそんなに楽しいんだか。
 こっちは疲れてるんだから。早くミスってほしい。
 そのときだった。
 不意に周囲の景色が消え失せた。
映像も、音も、全てがゆっくりフェードアウトする。
辺りは暗闇に包まれる。まるで闇夜に放り込まれたかのように。
 ただ目の前には卓球台がある。
 その上を三ツ星が刻まれた白いピンポン球が跳ねている。
 私はそれを打ち返す。
 その球の行きつく先に――照日がいる。
 彼女は笑顔でそれを打ち返す。
 私もまたそれを打ち返す。
 台上で何かがきらめいた。
 汗?
 いいや違う。
星なんだと思った。
 台上でそれは煌めいている。
 明滅して、瞬きを繰り返す。
ぴかぴかと。
 ああ、これか。
 これがあんたの見ている世界なのか。
 打って、打って、打って、打つ。
 終わらせたくないと思った。
 4.178 m²という世界一狭い銀河。
このまま、ここで、ずっと、永遠にあんたと打ち合いたい。
 それ以外には何もいらないとさえ思った。
 ――ミスをしたのは彼女が先だった。
 回転が足りない彼女の球はネットに阻まれる。
 10-10。最終ゲームでデュースに突入。 
「やったぁ!」
 快哉(かいさい)を叫んだのは私ではなく照日だ。
「……なんであんたが喜んでの」
「だって」
 私の問いかけに彼女は笑う。
「まだまだモカちゃんと試合できるんでしょ?」
「……あんたって、本当に」
 サービスは私から。点を取っては取られ、取っては取られの繰り返し。

「ねえモカちゃん」
 十二月頭、私と照日の二人は体育館二階で打ち合っていた。
「なに?」
「あたし、ここで卓球をやれてよかった」
「そう。私は勘弁って感じだったけど」
 照日と出会ってから、まるで気の休まらない四か月だった。
「楽しみだね、全国で戦うの」
「……なに、全国って? 全中のこと言ってるの、あんた?」
「それ以外に何かある? あ、全日本もあるか! 高校ならインハイだね」
「馬鹿言ってんじゃないの。出られると思ってる?」
「出れるよ 。だってあたしたち強いし!」
……今年、私は全中を準々決勝で敗退している。それもかなり対戦相手に恵まれた状態でのことだ。全中もインハイも、あまりにも無謀な目標だ。
「よし、絶対に二人で全国ね!」
「……私に一回でも勝ってから言いなさいよ、そういうのは」
「うん、勝つよ。あたし強くなるから!」
「……そう。まあ、なっても私は負けないけど。強いから」

四十分にも渡る長試合、その五ゲーム目。
16-14で制したのは――。
「っしゃあ!」
 反射的に、私は腕を突き上げていた。
 照日のドライブがネット際を転がっている。
 五ゲーム目を制したのは、私だ。
 世界に光と音が戻ってくる。銀河から会場へ引き戻される。背後からコーチのはしゃぐ声。……コーチに酷いこと言った。謝らないと。
審判が私の勝利を宣言すると、照日は仰向けにばたりと倒れ込んだ。
「あー、すごくぴかぴかしてた! なのに勝てなかった!」
「……起き上がりなさいって。周りの迷惑でしょ」
 彼女は寝たまま足を上げ、降ろしたはずみで一気に立ち上がる。そして自らのラケットを私へと差し出した。
「モカちゃんはもう覚えてないと思うけど、あたし、このラバーを買ってもらったときに言ったんだ。絶対に貼り替えないって」
「……あったっけ、そんなこと」
「あったよ。うん、でもさ、やっぱ他の人とやる中で駄目だって思ったの。これじゃ全国なんて行けない。モカちゃんにも絶対勝てないって。だから変えたんだ。……ごめんね」
「別に、気にしてないわよ。覚えてもないし」
「それでも負けちゃったけど。やっぱ強い、モカちゃんは!」
「……でも、あんたもすごく強か――」
「ねえねえ、楽しかった。また今度やろうね! あ、あたし高校からスマホ持たせてもらえたの! ライン交換して! ラインラインライン! 」
「……珍しく褒めようとしたんだから、聞きなさいって」ため息が漏れ出る。「すごく疲れた。あんたとの試合はもうこりごり。よくもまあ試合中にあれだけ笑える」
「……っぷ! あはははは!」
 照日は背中をくの字に曲げて、大笑いを始めた。
「な、何? 急に」
「いやだって、それモカちゃんでしょ?」
「え?」
「モカちゃんも試合中、笑ってたじゃん?」
「嘘、そんなこと……」
 あるわけない。だって私は別に卓球を楽しいだなんて思ってない。そんな私が笑顔なんて浮かべるはずがない。
「ねえモカちゃん、覚えてる? 初めて会ったとき」
「……さあ、どうだったかな」
「あのときも笑ってたよね。そのモカちゃん見て、あたし、卓球やろうと思ったんだよ」
「……!」
 審判が入れ替わり、次の選手たちがやって来る。コーチが私を呼んでいる。
「ああ。あたし、やっぱ好きだなあ! モカちゃんも、モカちゃんとやる卓球も」
「……」
 照日は卑怯だ。自分の心情をいつも素直に表して。楽しいだとか好きだとか、人が必死で抑え込んでいる言葉さえも、あんたは簡単に言ってのけてしまう。
「……私も好き。照日、とやる卓球」
 やっぱり私はあんたが嫌いだ。
――あんたの言う好きは、私の好きとはまるで意味が違うくせに。