その38 学校教育を、少しだけパズルに例えて考えてみた…(1889文字)
1 はじめに
100ピースのパズルがあります。
お花やお山等色とりどりの背景がデザインされています。
中央には、かわいいキャラクターもデザインされたパズルです。
このパズルを楽しむ方法は、幾通りもあるでしょう。
教室にいる30人の子ども達が、パズルを前に、どんなことを思うのでしょうか。
子ども達一人一人が、それぞれ目の前にある100ピースのなかから、1つのピースを手に取り始めました。
ということで、学校教育を、少しだけパズルの遊び方から考えてみます。
2 授業のあり方について
学校生活の大半は、授業時間です。
同じ年齢の子ども達が、同じ教室で過ごす特殊な場所、時間です。
30人いれば30通りの楽しみ方(学び方)をするのが、子ども達の持つ無限の可能性だと思います。
そして、それを叶えてあげるのが、導いてあげるのが、学校であり、教師であると思います。
パズルを目の前に、外枠から作り始める子ども、同じ色のピースばかり集める子ども、キャラクターを作りたい子ども、カラフルなお花を作りたい子ども、誰も彼も楽しそうな雰囲気が想像できます。
また、ブロックのように組み立てたり、ビースとピースを絡め合わせたりすることでしょう。
3 パズルを例えに
(1)小学1年生の教室
先生が、子ども達に一斉に大きな声で呼びかけます。
1年生の教室では「一番外側の枠になるパズルだけを集めましょう。他のパズルは、箱の中に片付けましょう。」と授業が行われました。
先生の考える範疇で、パズルの良さを伝える為に、6年間を系統立てて、1年生で学ぶべきことを計画(プラン)します。
授業の計画通り進めて、プランを達成できるように授業を行います。
プランの元となる考え方は、どこから出てくるのでしょうか。
学習指導要領?指導書?隣のクラス?指導教諭?文科省?
一つ言えるのは、決して、目の前の子ども達を見とった結果でないことだけは、確かです…。
「パズルとは、こうするものだ」という画一的な概念を教師が与えている事実に、一年後の子ども達の姿から理解することができます。
先生という人は、真面目故、この授業に向けて描いたプラン通りの学びを大切にします。
このような教室では、すべての子どもが学べていない事実が明確です。
つまり『個別最適』ではないのです。
『個別最適』に『真面目』に向き合う選択肢を持ち合わせない先生が、少なくありません。
大切な学びが、どこかに置き去りにされていることを感じずにはいられません。
(2)小学2年生の教室
2年生の教室では「1年生で習ったように、まず、縁取りを完成させましょう。それができたら、一番中心となるキャラクターを作りましょう。」と授業が行われました。
仮に、子どもが「学びをおもしろがる本能」の赴くままに、お花の部分から作り始めようものなら、先生から「⚪︎⚪︎さん、話聞いてた?」の言葉に続いて、指導が為されることでしょう。
やはり、子ども理解という概念よりも、この授業までに描いた系統的で、画一的なプランの実践が優先されるのです。
『個別最適』では、ありません…。
(3)既存の教室
『これまでの授業』というのものは、目の前にいる『集団』としての子ども達に、先生が計画どおりに実践することでした。
そして、『より多くの子ども』が、学べることを大切にしてきたのです。
ここで言う『授業』とは、
先生主体
子ども受け身
である『型通りの学び(教師に忖度する学び)』のことです。
『より多く』が条件であり、『すべての子ども(個別最適)』ではないのです。
先生に忖度できない子どもは、良い評価を得られないことが現実として起こっています。
不登校になっていくことも、一つの事実になっています。
子どもの可能性の芽を摘み取る大元が、先生にあると言うこともできます。
4 おわりに
こんな学校・教室・先生という事実…なんともやるせない気持ちです。
どうして、このようなことが起こるのでしょうか。
学習指導要領に問題があるのでしょうか。
『ブラック』と言われる教育界の現状に問題があるのでしょうか。
子どもを育まない家庭に問題があるのでしょうか。
40人学級に問題があるのでしょうか。
コロナ禍に問題があったのでしょうか。
働き方改革に問題があったのでしょうか。
その昔、発展途上だった日本国に、問題があったのでしょうか。
明確な答えを導き出せないまま、今回のnoteの結びとさせていただく今日この頃です…。
夏休み期間の今だからこそ、『パラダイムシフトする妄想』を思い描いてみませんか。
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