見出し画像

地域と繋がるpart2~外国につながる子どもたちのために~

今、日本にはたくさんの外国につながる子どもたちが住んでいます。
彼ら彼女らは、それぞれの土地でさまざまな文化や背景を抱えながら、暮らしています。
これからもっと日本社会にはそのような子どもたちが増えていきます。

時には、言語の問題や文化的な問題、さまざまな理由からマイノリティーの立場になりやすくもあります。
でも、さまざまな文化背景を持ちながら、育つことはデメリットではなく、むしろ、多才でタレントに溢れた人になり、将来、国際社会で日本がより彩り豊かな国になるためには、欠かせない人たちなのかもしれません。

少なくとも、彼女ら彼らが「ハッピー」と思える教室や学校は、そこにいるすべての子どもたちにとっても「ハッピー」な空間と言えるのではないでしょうか?


私は、教員生活5年目が終わった時に、JICAの青年海外協力隊に現職で参加して、2年間グアテマラにて算数教育の発展に携わっていました。

元々、私自身がブラジルで生まれたというルーツもあり(ブラジル日系移民)、教員になったときには、日本にいる外国につながる子どもたちの橋渡しができるような先生になりたいなぁと漠然と考えていました。
そんな私にとっては、JICAの青年海外協力隊のプログラムに参加するのはごく自然な流れでした。

ポルトガル語はブラジルに住んでいた経験もあり、もともと少し話せていたので、これでスペイン語も話せるようになると、もっと役立てるのではないか、そうも考えていました。

でも、現実はそんな甘くなかった・・・そんな奮闘記です。


「協力隊になんか行かなければよかった・・・」


派遣国であるグアテマラから帰国して、半年ほど経った頃、私はこのように思っていました。
「こんなはずじゃなかった」
「協力隊の先にはきっともっと明るい何かが待っているはずだった・・・」

2年間の協力隊経験で、ホストファミリーに、職場の同僚にも、隊員仲間にも恵まれ、今思い出してもとても幸せな時間を過ごすことができました。

さまざまな困難はあったけれども、当初思い描いていた活動目標も、やりたいと思っていたことも、それなりに達成することができ、満を持しての帰国。
協力隊の経験を現場に還元しよう、グアテマラの人たちから教えてもらった「人とのつながりの大切さ」や自分らしく生きて働くことを日本でも実践していこうと息巻いていた気がします。

グアテマラの子どもたちと。
現地の先生を対象に、いろんな研修会も行いました。


しかし、帰国後すぐに6年生の担任を任され、
しかも初めての学年主任!
初めての児童指導担当。
4月1日からアクセル全開。

グアテマラで獲得した「ゆったりした時間の中で、自分らしく働く」というスタイルは、復帰1週間で、すでに足枷のようになっていました。
学年主任として責任、大量に降ってくる仕事、毎日をこなすのに精一杯で、協力隊の経験や得たものを発揮する機会もほとんどない・・・。

むしろ、考えれば考えるほど、理想を追い求めるほど辛くなり、最終的には「協力隊になんか行かないほうがもっと楽に先生をできたのではないか?2年間の経験は果たしてこの仕事に必要だったのか?」
と考えるまでに至りました。

私は勝手に協力隊のその先には、あたかも新しい道が用意されている・・・とでも思い込んでいたのです。
 

グアテマラで学んだこと 

派遣1年目、私は任国のために少しでも力になろうと、躍起になっていました。
しかし、研修会やミーティングを企画しても、なかなか受け入れてもらえず、それどころか、平気で遅刻してくる、授業にも緻密さがなく、自分に教えられないところは平気で飛ばす、企画した研修はさまざまな理由ですぐに中止になるといった始末。

「だからダメなんだよ!こういう部分を変えていかなきゃ・・・!」
とにかくイライラしていた気がします。

職場の同僚たちと。ほとんどがマヤ民族の末裔

でも、グアテマラの人々の真のあたたかさ、人を思いやる気持ち、家族を何よりも大切にするところ、古代から受け継がれるマヤの文化、そういったものに触れる度に、自分の中の何かが少しずつ変わっていくことを感じました。

もしかしたら、日本が失ってしまったもの、失いかけているものをこの国の人たちはまだ持っているのかもしれない。

「この国の人たちを、日本人のように変えにきたわけではない。彼らには彼らにしかない良さがある。」
 
私は、グアテマラの人たちから、そして、協力隊の経験からたくさんのことを学びました。
・周り(他人)を変えたければ、まずは自分が変わること。
・チャンスは一瞬、そのチャンスを逃さないこと。無理と思うことも、思い切って飛び込んでみること。
・うまくいかないことがあっても、周りのせいにせず、置かれた場所で花を咲かせること。
・そして、自分の中に“変わらない”強さを持つこと。

算数を教えた先生の卵である教え子たち。今はきっとグアテマラで先生として活躍しているはず!


突然舞い込んできたSOS


帰国後、職場で忙殺される中で、私はもがきながらも、なんとか実践を積み重ねていました。
・6年生に向けた協力隊経験の講演会
・総合的な学習の時間でのグアテマラやブラジルの小学校との国際交流

など、自分にできることを見つけては必至に取り組んでいました。
また、学校外での市内のブラジル人やペルー人コミュニティにも顔を出し、市内に点在する外国につながる子どもたちを対象にした放課後学習支援教室や、土日に行われるスペイン語母語教室などの支援者ともつながりを持つようになりました。

そんな時、懇意になっていたブラジル人教会の牧師さんから
「新しくブラジル人の人たちが市内でたくさん増えてきている。彼らの子どもたちは日本語が話せず、学校現場で困っている。」
というSOSが舞い込んできたのです。

私が勤務する市は、自動車の下請け工場や大手菓子生産工場もあり、もともと外国につながる人々の多い地域ではありましたが、その多くは日本生まれ日本育ちであり、多少の問題は抱えながらも、日本の生活に馴染み、小学校にあがる頃には日常生活に困らない生活言語を身に着け学校生活を送る児童・生徒が多い印象でした。
しかし、2018年ころの入管法の改正を境に、全く新規の日本語が話せない子どもたちが日本の公立学校に入ってくるようになったので、現場も大慌てだったのです。
 

つながり始めた支援の輪~彩とりどりの子どもたちプロジェクト始動~

そんな中に舞い込んできたこのSOSを私は看過できませんでした。

そこで、顔見知りとなっていた何人かの支援者と連絡を取り合い、この問題について話し合うことになりました。
まずは、市内の教職員や外国につながる保護者、教育委員会にも声をかけて、勉強会セミナーを行うことになったのです。

私たちはこの集まりを、日本にいるすべての子どもたちが自分らしく彩り豊かに輝けるようにという願いを込めて「彩とりどりの子どもたち」と名付けました。

支援者や教育関係者を交えた勉強会。

勉強会やセミナーを行う度に、人は増えていき、最終的には、100~200名を集める講演会にまで発展していきました。

そして、以下の2つの側面でアプローチしていきました。
①   外国につながりのある児童生徒の保護者
②   市内の園小中学校の教員、および市役所と教育委員会の関係者

①   外国につながりのある児童生徒の保護者
外国につながりのある保護者に対しては、日本の学校のシステムや学習について学ぶ勉強会を開催しました。
働いている保護者のことも考えて平日の遅い時間や、土曜日の教会での礼拝後を狙って企画しました。
特に受けがよかったのは、かけ算やわり算の筆算について解説です。
日本と諸外国ではその方法が異なり、学校の宿題を教えるのに苦難を強いられている保護者が多く、この勉強会はとても好評でした。

保護者向けの「日本の学校って?」勉強会。教会の礼拝後に行った。

②市内の園小中学校教員に向けて
夏休みの教員研修などを利用して、教職員向けのワークショップ勉強会も行いました。
現場の困り感や、外国籍児童・保護者に対しての誤解や偏見を少しでも解消したかったからです。
先生たちに、外国につながる保護者の体験談や生の声を伝え、具体的に何ができるのかをまさに膝を突き合わせて一緒に考えました。

「外国につながる児童生徒」の課題について管理職も交えて真剣に話し合う機会はおそらく今までほとんどなかったように思います。

話し合いの中で、
「問題を改善するために、行政や教育委員会に対してハード面やシステムの改善を訴えていくことは時間もお金もかかり難しいけれど、まずは、我々教員の意識を変えていくは今日からでもできる。」
という先生たちの声が出てきたことには大きな希望を感じました。

回を増すごとにセミナーの参加者は増えていきました


彩とりどりの子どもたちプロジェクトから学んだこと


このプロジェクトを通して、外国ルーツの子どもたちの母語、母文化を守ることが何よりも大切だということが分かりました。
彼らが日本の未来の彩り豊かな多様性を生み出していくのです。

そのためには、 学校現場での理解のある大人との出会いがとても重要です。たった一人でも、その子に寄り添い、理解し、接することができれば、その子は救われます。
我々教員は、彼らと日本社会を繋ぐ最後で最大の砦です。

外国につながる子どもたち一人ひとりにとって、そういった自分を支えてくれる大人との出会いこそが、その子の人生が彩られ、豊かになるかどうかを決めると言っても過言ではありません。

その子の母語・母文化を守ること、母語・母文化へのプライドを育ててあげること、彼らが日本に来て、どんな大人(支援者)と出会うかがとても大切です。

最後に


社会は多様化し、学校が抱える問題も複雑化しています。
学校だけでなんとかしようとする時代はとうに過ぎ去りました。
これからの時代には、まさに学校の門戸を広く地域に向けて開き、地域の支援者や外部機関と連携していくことで地域の課題を解決していくことこそが、鍵だと思います。
それがひいては、国籍やバックグラウンド関係なく日本に暮らすすべての子どもたちの幸せにつながると信じて。

「協力隊になんか行かなければよかった・・・」と思っていた私ですが、今は、声を大にして堂々と言うことができます。「やっぱり協力隊に行ってよかった!!」と。協力隊に行かなければ体験できなかった未来にいる自分に今は、誇りを持っています。

つばっち_川原翼@神奈川

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?