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いじめた子は刑務所に入るべきか

※この記事は5分で読めます。

凄惨な「いじめ」が行われていることが発覚した場合、社会はどのように対応すればいいだろう?

①  被害者

「いじめ」の被害にあった子は、心のケアのため、カウンセリング等を通して気持ちを精算する治療を、無料で不利益なく受けられるべきだと思う。
災害や事故に遭って、怪我を負った子に治療が必要なのと同じだと思う。転校せずに学校生活が続けられたらよいが、フラッシュバック等の症状がある場合は円滑に転校ができればよいと思う。
しかし、これができるのは自殺せずに生きてくれている場合だけだ。だから「いじめ」は早期発見が必要になる。

②  加害者

「いじめ」をした子は、どうすべきだろう。
私はこの子も治療が必要だと思う。往々にして、加害者側は「いじめ」をしたと認識できていない。他者への共感ができず、想像力が欠如しており、精神的に未熟又は異常と思われる。
既存の環境における「教育」では精神が健全に成長しておらず矯正(共生)できていない以上、そのまま大人になって凶悪な犯罪を起こさないよう「社会防衛」のために、より強く矯正させる「医療」(個別の専門教育)を提供すべきだと思う。

ここで障壁になるのが、「いじめ」の加害者側の保護者(親)である。親は自分の子が精神異常者と扱われるのを嫌がる。親である自分だけは子の味方でいたいというのは、親として当然の在り方だと私は思う。
また、学校や教育委員会といった現場だけで対処しようとすると、刑事手続のような厳格な証拠に基づく事実認定がされない以上、「冤罪」や「身代わり」が生じるおそれがある。学校現場任せだと、二次被害が生じてしまう危険が高いことをおそれ、毅然とした対応ができない場合も多いと思う。

そこで、私は少年事件プロセスを有効に活用すべきだと思う。
積極的に「強要罪」や「傷害罪」等で起訴して、「裁判所」で有罪判決を出すべきだと思う。
「裁判所」の有罪判決で、親から子を引き離すことが合法的にできる。学校からも排除できる。
また「冤罪」等による二次被害も減る。当番弁護士が弁護人につくことで裁判上の権利は守られる。
さらに「無罪」になれば、加害者扱いされた子の名誉を完全に守ることができる(この場合、被害を訴えた子のほうに精神異常があるので、そのための治療が必要になる)。

ただ「有罪」になっても、少年院に入って規則正しい生活をすれば、「矯正」されるわけではないと思う。
専門医の判断の下で投薬等の治療を受けたり、カウンセリングによる自覚を促した教育が必要だと思う。
そのため、少年事件用の「刑罰の在り方」を考える必要がある(「執行猶予」では何も解決しないと思う)。

今の「強要罪」では立件が難しいようなら、「誘拐罪」のように、被害者が未成年であることに着目した「未成年者強要罪」を新たに設けたらよいと思う。
また、「いじめ」は撲滅させる必要がある一方で声をあげづらいことから、立証のハードルを下げたらよいと思う(とはいえ、民事事件以上の「因果関係の立証」は要求されるべきではないかと思う)。

以上を実現するには、人材確保、政策運用、研究蓄積等が必要になる。そのため「法務省」に「少年庁」を設置すべきである。
「少年庁」には、「文部科学省」「厚生労働省」「家庭裁判所」「警察庁」「地方自治体」等からも専門職員を出向してもらう。また、大学や日弁連等から研究職や専門職の人材も派遣してもらう。
「いじめ」をした子の「予防・発見・対処・矯正・復帰」の一連の流れを、一貫した政策で対応できるようにする。縦割り行政を打破するには、専門の省庁を設置して強い権限を与え、関係機関から人材を集めるとともに、プロパーを育成したほうが早いと思う。

「いじめ」の加害者側に手厚すぎるだろうか。
私は「社会防衛」のために必要なことだと思う。
「矯正」しておかないと、別の形で同じことを再び起こし、次は自分や家族が被害者になるかもしれない。誰もが被害側になり、加害側にもなりうる。
殺人事件では被害者が2人以上いないと「死刑」にならない実態がある。殺人での立件が困難な「いじめ」の加害者を、「死刑」にして社会から排除することは不可能なので、どうやって「矯正」するかを考えたほうが建設的だと思う。

私的制裁(誹謗中傷やネットリンチ等)がされれば、「萎縮」により「矯正」されて「共生」できるようになると考えるのは短絡的だ。
私的制裁は「冤罪」等による二次被害を大きくするだけで、「社会防衛」にはならない。むしろ私的制裁は「法」による社会を破壊しかねない。「臭い物に蓋」をするだけでは何の解決にもならない。

ただ、世の中にとって分かりやすい公的制裁を行う機関がなければ、私的制裁が一定の支持を得てしまうだろう。刑事司法への信頼がなくなってしまうと、「仇討ち」が横行してしまうようなものだ。

そのため、強制力のある公的制裁として「隔離医療」を与えることができる「刑罰の在り方」があっていいと思う。そういう意味では、刑事未成年(14歳以下)にも応用していいと思う。そういった公的制裁を行う機関として「少年庁」が存在すべきだと思う。
なお、「裁判所」に刑事事件を起訴できるのは「検察官」だけだが、少年事件は「少年庁」が任命した「いじめ制裁官」(少年庁の職員、少年課の警察官、少年院の矯正官等から任命される官職)が3人以上の連名で起訴できるようにして、捜査・起訴・矯正の一本化をはかってはどうかと思う。
「いじめ制裁官」が冤罪を生む可能性については、判決までのプロセスに「裁判所」が介在するうえ、単独では起訴できないようにし、人事評価や異動も適切に行われることで、防ぐことができると考える。

③  傍観者

被害者でも加害者でもない、その周り(近く)にいた子や教員にはどうすればよいだろうか。
私は、治療に至らない程度のカウンセリングが必要だと思う。一定のショックはあり、中には傍観していたことや気づかなかったことに強い自責の念を抱く子や教員もいると思う。
ただ、このカウンセリングは、教育委員会等の学校現場に任せてよいと思う。被害者や加害者への治療と違って、スクールカウンセラーやマニュアルで対応できるものだと思う。
なお、カウンセリングの中で加害者や被害者である可能性に気づいた場合には、権限を持つ専門家が対応すべきなので、「少年庁」や「いじめ制裁官」に通報するようにしたらよいと思う。「いじめ」を行う精神異常者から「学校」を守るだけでなく、加害者自身を救済することになる。

④  やじ馬

メディアなどの「やじ馬」は、本来的には「いじめ」の問題解決には役に立たず、二次被害を生むことにしかならないと考える。
ただし、現状は「少年庁」のような専門的に特化した制裁機関が存在せず、学校現場任せになっており、「いじめ」の加害者への毅然とした対応ができず、闇に葬られる実態がありうる。
そのため、メディアによる報道に一定の意義を見出ださざるをえないと考える。
とはいえ、度が過ぎる「やじ馬」には、学校、PTA、警察が連携して、生活秩序を守るために毅然と対応すべきである。
執拗に電話等を行われ、その対応で通常の学校業務に支障が出ている場合は、積極的に「公務執行妨害罪」の疑いで「やじ馬」を排除すべきである。
また、盗撮や声かけ等で条例違反の疑いのある「やじ馬」にも、相応の対応が必要である。
警察が動けるように、どのように証拠を保存すればよいか等の連携が重要になる。

最後に

以上のとおり、凄惨な「いじめ」に対しては、精神論ではどうにもできないし、教育機関において対応できることにも限界がある。
また、ネット社会において私的制裁のようなこともされている(これも一種の「いじめ」ではないか)。
そこで、「少年庁」という「いじめ」や「少年犯罪」に特化した公的な制裁機関を創設し、実効性のある「制裁」を行うことについて書いてみた。
「制裁」と言うと「罰」のイメージだが、私は「制裁」として親権を排除した「強制的な隔離下での精神医療」に重きを置いている。
ただ「身体の自由」が奪われる以上「制裁」には間違いなく、これが許されるには「裁判所」による有罪判決が必要だと私は考える。

私も十分に考えを練っているわけではないが、悲惨な「いじめ」の被害者の報道等に接する中で考えてきたことをnoteに書いてみた。
実際にやるとしても、新少年法の制定が必要になり、専門家会議の検討だけで数年間は費やされることになると思う。

少年事件は犯罪歴として前科になり、内申書や履歴書に書かなければいけないかといった問題もある。
しかるべき期間は強制隔離して「矯正」したうえで社会復帰し、被害者への賠償や贖罪を行うことができる制度でないと意味がないと私は思う。

この記事は公開を迷っていました。考えがまとまっておらず、公開した今も消すべきか悩んでいます。

人間は「社会的動物」であり、「社会」は人間と人間の関係性で成り立っています。「いじめ」というのは「社会」から排除したい人間に対する本能的な性(サガ)であって、「社会」から無くなるものではないのではないかとも思えます。人間性を失えば「いじめ」は無くなるかもしれませんが、本末転倒です。
私見は、専門機関の「仕事」として、隔離した状況で孤立させ、投薬等によって洗脳するという、人間性を失わせるための作業のようにも思います。あまり良い考えではないかもしれません(これで本当に「いじめ」が少なくなるのか…疑問です)。

長い私見になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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