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原点は旅、さらに言えば高校卒業後

こんにちは。今回は参考情報というより今の行動に至るまでの原体験を振り返ろうかと思います。

noteに今まで書いたことがないかつ、今の自分を形成する上での大事な経験をシェアすることでみなさんの人生のヒントになればいいなと思います。

なのでまだ学生で進路に悩んでいたり、今やりたいことが見つからなくてモヤモヤしている人に向けて書きます。

・今の自分

一言で言うならば、今の自分は「筋トレ大好き秋田のゲストハウスで暮らしている若造」です。

すでに筋肉キャラで定着してるのでブランディング成功です。

今は自分のやりたい軸

下記3つ

・ダイエットコーチング(コーチング含め)

・筋トレ

・ゲストハウス(暖かい空間)

をとことん突き詰められる環境に身をおいて生活しています。

毎日ジムに行き筋トレしながら、朝と夜のどちらかを週に3〜5回ゲストハウスで働いて、ゲストハウスの裏側を知ったりお客さんとBarでお話しして秋田の良さを吸収しています。

・原点は旅?

今の自分を形成する上で欠かせないのが旅の経験。3年前の20歳の時、人生で初めて日本を出ました。

成田空港にてアメリカン航空の飛行機に乗り、ロサンゼルス→ダラスと2回乗り継いでメキシコのグアナファトへ。

メキシコに着いた瞬間、日本語は当たり前に使えない、土地感覚もない、メキシコ人の性格もわからない、そんな状況でした。

そんな中、タクシーを拾って第一声、「Hola.」この一言を口に出した瞬間、本当にメキシコに来たんだと嬉しくなったことを覚えています。

異国の地でタクシーの運転手とスペイン語で会話をする。こんな小さいことでも自分の中では小さな成功体験でした。

実際に、メキシコのグアナファトには1ヶ月ほどホームステイをし、平日は語学学校でスペイン語を勉強、土日は別の町へ観光という日々を送っていました。

〜そもそもの話、なんで初海外でメキシコを選んだんだろう?と疑問に思われる方もいると思うので少し説明〜

簡単に言うならば、安くスペイン語が学べる場所、そしてステレオタイプのある場所を自分の目で確かめる、この2つが理由です。

スペインかラテンアメリカの選択で、費用は圧倒的にラテンアメリカが安い、そして麻薬組織、テキーラ、治安が悪いといったステレオタイプがメキシコにはあったため、メキシコを選びました。他の地域はそもそも情報がなさすぎて選択肢から除外しました。

〜説明終わり〜

話は戻りますが、9時に学校で授業を受け、お昼を家で食べ午後はジムに行き、夕方は散歩や買い物、夜はホームステイ先のみんなで食卓を囲むといったように、平日はメキシコ人と変わらない生活を送っていました。

平日は日常、土日はバスを使って別の州に観光をしていました。

グアダラハラまでは高速バスを使用してもグアナファトから時間にして3〜4時間かかりました。

メキシコシティまでは4〜5時間ほどでした。

といったようにグアダラハラ、メキシコシティ、グアダラハラ州のテキーラ村へ行きました。

そして、メキシコのグアダラハラ州で宿泊場所として選んだのがゲストハウスでした。

ここでのメキシコ人の女性とアメリカ人の男性夫妻との出会いが僕の人生の一つのターニングポイントです。

・原点は高校卒業後

メキシコへの一人旅から2年前の出来事です。高校3年生の僕は将来やりたいことも無いし、どうしようか進路に悩んでいました。

そこで、過去自分が続けているものや好きなことを洗い出してみることにしました。

そうすると小学校6年生からずっと高校1年まで英会話教室に通っていることに気付きました。

確かに、英語を学ぶことは簡単じゃないし、英会話教室に5年弱通っていても成績はそんなによくなかったです。

でも成績の良し悪しではなくて、日本以外の人たちと話せるようになったらどれだけ世界が広がるだろうとはずっと考えていました。

高校1年生の時に一回英会話教室をやめた後、また1年後に入り直しました。先生の一人に大学の先輩がいて進路相談をしたり、大学のイメージを聞いていました。

もう一人の先生には外国語大学で英語を学んで英語を使った職業に就きたいとも相談しました。

相談すると、6年前の僕に先生はこう言いました。

「これからどんどんグローバル社会になっていくから英語を話すだけだと市場価値は低くなるよ。世界中の人と交流したいなら英語だけじゃなくて別の言語も学んでみなよ。」と。

英語しか学んだことのない自分に先生は別の選択肢を与えてくれました。

そこで英語以外の言語を調べると、真っ先に目に飛び込んできたのがスペイン語でした。文化とか発音は一切わからなかったですが、もう直感です。これだ!!と思い、スペイン語を学べる大学を調べました。

それが僕が卒業した大学です。でもそこには別のストーリーもありました。

僕はいわゆる大学を4年かけて卒業したわけではなく、専門学校に2年行き、編入という形で大学3年次に編入学をし2年間通いました。

大学は受けずに専門一本で受けました。

英語とスペイン語だけを学べる環境に行きたかったからです。両親とも喧嘩しました。折れずに、自分の意思を貫き通しました。

そして2年間語学の専門学校で英語とスペイン語を基礎から学び、卒業の1ヶ月前に2年間学んだスペイン語をアウトプットする旅をしようと決めました。

・メキシコ人女性とアメリカ人男性との出会い

2章前の続きです。ここでの出会いが今の自分を形成するはじめの一歩です。

ゲストハウスは夫婦で運営していました。HostaLife(今は廃業しています)という名前で門は頑丈で安全面も保証されていたほか、食事もものすごく美味しくて最高の2日間だったことを覚えています。

そこで感じたことは、何よりも暖かい空間。

お互いの国の文化やお互いの価値観、どんな人生を歩んできたのか、どんなことが好きなのかスペイン語で共有したことが何よりも忘れられない経験で自分もこんな場を作りたいと思うようになりました。

・福島での経験

専門学校を卒業して大学に編入し、すぐに就活です。周りの人たちと同じように企業訪問やインターンシップを受けていました。

そんな時に大学のHPに復興・創生インターンシップという名の東北3県への住み込みながら1ヶ月のインターンシップを見つけました。


東京で働こうと思っていた自分が地方の暮らしと観光業の取り組みを肌感覚で知りたいと思い、応募しました。

選んだのは、福島県福島市のさらに北の温泉街で有名な飯坂町。松島屋旅館で1ヶ月間生活をしながらNPOでインターンをしていました。

インターン生活では、20人を超える町の方々にヒアリングをさせていただく中で、地方に対して少しの憧れを抱くようになりました。

都市部で生活していた自分にとって、町の方々の繋がりや恩の貸し借りなど、地方のいいところがどんどんインプットされていき、地方に住みたいが大きくなっていきました。

松島屋旅館の社長と女将には滞在中色々な場所に連れて行っていただき、自分の中で新しい価値観がアップデートされていきました。

ちなみに一番の思い出は、雪道にタイヤがはまってしまいJAFを呼んだことです。笑

・アップデートされた価値観

これらの経験によって、東京ではなく東京以外のどこかで働きたいと無意識に思うようになりました。

その結果が今だと思います。遠回りもしているし、まだまだ知らないことがたくさんあるけど、少しの積み重ねの結果こうして好きに素直に慣れてる自分がいるのかなと。

今、何がやりたいかわからなくてモヤモヤしていたり、進路に迷っているという方は一度自分の好きなことを振り返ったり、少しでも興味があることに手を出してみるのがいいと思います。

まだ好きなことに出会ってないだけかもしれない。

実は好きなことに気づいていない。

それだけです。

やり直しなんていくらでもききます。

一人でモヤモヤしてたら家族や友達、先生に相談しましょう。自分一人でできることには限界があります。知り合いの方だったら僕も相談に乗ります。

楽しい人生を歩むための少し悩む期間だと思って、どんどん楽しいことに挑戦していきましょう。

このnoteがこれからの一歩になる手助けができていれば、嬉しいです。

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