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2.人々は街で幸せになったか? −「感情の劣化」の問題−

【全8回連載目次】
1. 我々は街をどう見ているか?
2. 人々は街で幸せになったか? −「感情の劣化」の問題−(←今回)
3.「リアルな街」とは何か? −フュージョン体験と街−
4.人間の尊厳と街との関係 −廃墟が魅力的な理由−
5.僕たちは街と対話している −アフォーダンスとノイズ−
6.俯瞰的に街を見るとは? −生態系の一部としての人−
7.街が立ち上がり、人が輝く瞬間 −文学やドラマが捉える街−
8. 我々は街をどのように見ていくべきなのか?


まちづくりは人を幸せにしていない?

このセッション(「全まち会議2023in東京ちよだ」オープニングセッション)は冒頭の宮台氏のこんなコメントからスタートしました。

曰く、元々ひらがなの「まちづくり」は、僕らを幸せにするはずのものだったのに、今の都市計画は──ここで僕は渋谷を今思い浮かべますが──人々を幸せにするものから程遠いものになったのだと。

宮台氏発言

 この発言は、このセッションの重要なテーマの1つと言えます。では、宮台氏はなぜこのように考えているのでしょうか。これを理解するキーワードとして「感情の劣化」と「安全・便利・快適な都市」があります。まず前者について考えてみましょう。
 宮台氏は、概ね60年代以降、人の感情が劣化してきたと言います。なぜ劣化したのか、それは都市化と技術の革新と密接に関係しています。日本の高度な経済成長は都市への人口集中と様々な技術の革新により支えられました。都市及び生活に関する事で言うと、60年代以降、団地化、郊外化、コンビニ化、インターネット化、SNS化が進展し、それに伴って人々は地域との関係を希薄化させ、個々人が分断される社会が形成されていったと言います。90年代、渋谷のチーマーを取材していた宮台氏は、彼らは「仲間以外は皆風景」として社会を見ていると言いました。つまりごく親しい仲間以外は「関係のない人」というわけです。関係がなければ、恥ずかしいという気持ちも生まれないし、迷惑をかけても気にしないという訳です。これが分断の1つの側面です。その後分断は益々進み、SNSやバーチャルの世界に閉じこもる人達が出てきます。ちなみにこの傾向は若い人に限ったことではありません。

宮台真司氏(左)蓑原敬氏(右)
Photo:Nozomu Ishikawa

感情の劣化とは?

 感情が劣化するとはどういうことでしょうか。簡単に言うと、他人を気にしない、他人に気をかけないということです。これは哲学言語では「ピティエ(pitié/ジャン・ジャック・ルソー)」といいます。つまり、「自分はこの決定で良いが、あの人やこの人はどうなるのかと想像し懸念すること」が感情的な豊かさだと言うのです。そして、この感情の豊かさがないと民主制は機能しない、従って民主制を前提とした「まちづくり」も機能しないことになる、ということなのですね。
 さらに、このような人々の分断と感情の劣化を生み出した背景には近代の都市の形があって、このような都市計画を誘導した都市計画家にも責任があると宮台氏は言います。

「安全・便利・快適」な都市という目標

 もう1つのキーワード「安全・便利・快適な都市」について考えてみましょう。今の都市計画の仕組みは1919年に出来た旧都市計画法が基本となり、戦後1967年に新都市計画法が制定され、基本的な規制誘導手法、事業手法が適用されてきました。現代の都市は、戦後の復興から高度経済成長に至る過程で急速に整備されたものが骨格となっており、その過程で出来た都市をリニューアルし続けながら現在に至っていると言ってもいいでしょう。
 元々近代の都市計画は、都市の公衆衛生を確保することから始まっています。つまり病原菌が繁茂しない安全なインフラをつくることで都市に住む人の生命を守るということですね。その後、都市と経済が発展していく中で、人が効率的に居住し、産業が振興でき、スムーズにモノや人が運送できる交通インフラの発達が求められます。国家間の激しい競争に勝ち、国が発展するためにこのような強靱なインフラと建物が必要だったのです。経済が成長し都市が拡大する過程では、都市計画の重要な目標は、安全・便利・快適であったと言えます。
 このような都市をつくることで、地方から外国からさらに人が集まり、経済が発展するというシナリオです。実際に日本は、80年代までは急速に発展した先進国として、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と評され、各国が企業経営の仕組みを学ぼうとしていました。そして、郊外の住宅団地は所得の上がった世帯にとって、「理想的な住まい、住宅」として高い競争率で販売され人々は幸せを謳歌していたわけです。このように近代都市計画は経済成長と相まって、一定の成果を上げてきました。

人の幸せは「安全・快適・便利」では実現しない

 しかし、この「安全・便利・快適な都市」という目標は、現代の都市づくりの目標としては問題があるというのが、宮台氏、蓑原氏の指摘です。蓑原氏は言います。

僕の年代の人間は1945年の8月15日を経験して、民主主義というものが存在し得るという可能性に賭けて生きてきていて、民主主義がなかった日本から、民主主義をどう育てるのかという実験をしてきている。その中で、これから人口が伸び経済が発展し、人が豊かに生活をする場を作るということに人生を賭けてきている。その中で、いろいろなセクターの人、土木、建築、造園の専門技術をもった人、法律や経済、制度を創り上げている人たちが力を合わせて、いろいろな人が協働して、物事を作ってきたという60年間を経てきた人間だから、日本の近代化の成果を認めざるを得ない。自分たちがやってきたものでもあるし、それによって我々の生活は明らかに安全で便利で快適になったと思っているから、今の都市がいかに虚しくても、その責から逃れられない。

蓑原氏発言

 つまり、戦後復興から経済が成長する過程の中では「安全・快適・便利」な街というコンセプトは必要だったということなんですね。しかし、宮台氏は都市が「安全・快適・便利」になっても人は幸せになれないと言います。

過去四十年間、日本人の幸福度は世界50位前後から90位前後までの間を低迷しています。家庭や地域や職場や都市にテックが実装されて安全・便利・快適になっても、幸せになれません。幸せはざっくりした言葉ですが、社会と人の劣化を炙り出す唯一の言葉で、僕らを不幸なまま留め置く生態学的連関に僕らを差し向けます。

宮台氏発言

 なぜ「安全・便利・快適」になっても人は幸せになれないのでしょうか。これ、皆さんにも思う当たることはないでしょうか?「近所の商店街が気がついたらお店の多くがチェーン店になっていた。夜遅くまでやっているし便利なんだけど、しかし・・・?」と考えたことはないですか?
 この「しかし・・・」の先を考えることもこのセッションの重要なポイント一つです。この話は後半の議論につながっていきます。次回以降もお楽しみに。

(高鍋剛/Jsurp理事(副会長)・株式会社都市環境研究所)

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