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7.街が立ち上がり、人が輝く瞬間 −文学やドラマが捉える街と人−

【全8回連載目次】
1. 我々は街をどう見ているか?
2. 人々は街で幸せになったか? −「感情の劣化」の問題−
3.「リアルな街」とは何か? −フュージョン体験と街−
4. 人間の尊厳と街との関係 −廃墟が魅力的な理由−
5. 僕たちは街と対話している −アフォーダンスとノイズ−
6. 俯瞰的に街を見るとは? −生態系の一部としての人−
7. 街が立ち上がり、人が輝く瞬間 −文学やドラマが捉える街−(←今回)
8. 我々は街をどのように見ていくべきなのか?


韓国ドラマはなぜ世界に通用したのか

 さて、ここではセッションの議論から離れてみたいと思います。文学やドラマ、映画は当然ながら実際の社会を舞台として描かれます。そして多くの場合街が登場します。そこで描かれる街とはどのようなものでしょう。あるいは、どのような視点で描かれているでしょうか。

 私は2020年、コロナ期に入ってから韓国ドラマを集中的に見るようになったのですが、Netflixなどの配信サービスの浸透と並行して、韓国ドラマの人気も世界的にうなぎ登りに上がっていきました。これはどういう理由なのでしょう。
 韓国ドラマにも色々ありますが、多くのドラマが扱う根本テーマは「人が幸せに生きられる社会とは何か?」だと思っています。そして、韓国ドラマがK-POP同様に世界に通用したのは、現実の社会問題・構造を背景にした上で、個別の人物の様子をリアルに描くことに成功したからだと考えています。皆さんも見聞きするように韓国社会は今様々な構造的な問題を抱えています。経済格差問題、受験問題、住まいの問題、不動産問題、そして大都市・地方都市の格差問題もあります。
 2018年に世界的にヒットした映画『パラサイト〜半地下の家族〜』は、韓国の経済格差の問題が象徴的に表れる「住宅」に視点を当て、そこに暮らす人物像と葛藤をリアルに描きました。
 つまり、社会が抱える問題を「俯瞰」した上で、具体的な生活と感情、そこで展開されるドラマを描いているということですね。もちろん、脚本、監督、役者、映像、音楽、編集と技術的なレベルの高さも評価される大きな要因になっていると思いますが、人の心に食い込むドラマになっているのは、「世界」をしっかり描いているからに他ならないと考えています。

 宮台氏の言葉を借りれば、「世界はデタラメである」にも関わらず、しかし自分は生きていかなければならない、そしてそのデタラメな世界の中で自分が生きる意味は何かを問い、その答えを見いだす。そして多くの場合、その答えは自分の最も身近な存在、家族、地域社会にある。そこに深い共感が生まれるという構造です。しかしながら、家族、地域の繋がりの深かった韓国社会においても近年その崩壊が問題視されており、韓国民も失ったものに気がつくという構造を持っていると考えています。このような「俯瞰性」は日本のドラマには少し欠けているのではないかと思うのです。

人と家族、街との関係とは?『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』

 『マイ・ディア・ミスター〜わたしのおじさん』(2018/韓国tvN)というドラマがあります。このドラマは、イ・ジウン(歌手IU)とイ・ソンギュンが主演のドラマですが、貧乏な家庭に育った若い女性イ・ジアンと建築会社に勤めるが不幸な人生を送っているサラリーマン、パク・ドンフンの心の交流を描いたドラマです。このドラマで描かれる社会背景は、下層社会の経済、社会差別の厳しい現実と、上層社会にあってもミス1つで転落させられる救いのない厳しい現実です。
 不幸な2人が出会って様々な罠に翻弄され、ドンフンは不幸なジアンを助け、当初ドンフンを陥れるミッションを受けたジアンはドンフンとの心のやりとりを通じて最終的にドンフンを助けます。そして彼らを支えるのはドンフンの家族であり、地元地域の仲間達(地域社会)であるという構造になっています。そして、ドンフンは自分の鏡のようなジアンに会うことで自分が生きる意味を見つけていく、そんなドラマです。
 しかし視聴者はこうも考えます。もし、彼の家族がこうでなかったら、地域がこうでなかったら、間違いなく2人は破滅しているだろう、と。そしてここで描かれる「フゲ」という街が、ソウルの近郊という設定なのですが、近代都市計画によって開発されていない、古く寂れた街であるというのも重要なポイントになっています。「こんな地域が昔はあったなあ」と、皆思うのです。

 ここで描かれているのはまさに蓑原氏の言う、「共同体内存在としての人」そのものです。韓国ドラマはそのような視点で社会を描いているのです。

目の前に街が立ち上がる瞬間『純平、考え直せ』

 宮台氏は徹底的にフィールドワークをする学者です。こんなエピソードがありました。宮台氏は、学会に行った際にその街に出かけ、女性をナンパして色々話を聞きます。そして、言います。

”そうするとね、目の前にその街がぶわーっと立ち上がって来るわけです。”

 ところで、「街が立ち上がる」とはどういうことでしょうか。小説家、奥田英朗の小説に『純平、考え直せ』(2013/光文社)という作品があります。舞台は新宿歌舞伎町、19歳のヤクザの子分、純平が主人公。純平はとても「良い奴」なので街の皆に可愛がられるのですが、ある日親分に銃を持たされ暗殺を命令されます。純平は迷うのですが、周りの人間達にも引き留められます。「純平、考え直せ」と。
 そして、この小説では純平や周り人達の表情に加えて、歌舞伎町という街が見事に「立ち上がって」きます。しかも歌舞伎町の重層性と色彩を実感できるような立体的な立ち上がり方をするのです。私が歌舞伎町の街の空間を知っていることも大きいとは思いますが、読み進むにつれ「危ない街歌舞伎町」が非常に「魅力的な街」にも見えてくるわけです。作家、奥田英朗の力量も大きいのですが、この「街が立ち上がる」という経験はちょっと重要なことかなと思ったわけです。

 セッションではリアルでない街として渋谷が引き合いに出されました。改めて考えて見ると今の渋谷は歌舞伎町のように小説の舞台になりにくいと直感的に思います。渋谷がメディアに出てくるのは主にスクランブル交差点で、例えばNetflixオリジナルドラマで話題になった『今際の国のアリス』(2022/Netflix)。スクランブル交差点で謎の光を浴びた主人公達と街の人は一気に「今際の国」に飛ばされます。そこで展開される生死をかけた「ゲーム」の舞台は、廃墟になった渋谷の街なわけですが、宮台氏の発言の通り廃墟になった渋谷の画は、ある種の強烈な魅力を放っていました。
 「街が立ち上がる」とは、おそらくそこに住む人間を通して街の実像が見えるということ、あるいはそういう体験ということかもしれません。プランナーとして我々が考えるべき事の1つは、このように街を見ているかどうかにあるように思います。つまりデータだけでなく、社会学者的な視点、文学的視点で見ることができるかどうか、などですね。そしてその街がリアルな街かどうかはそういう視点を通じて判断されるということになるのではないでしょうか。

人が輝く瞬間

 宮台氏は宮崎駿監督のアニメ『君たちはどう生きるか』の解釈について次のように言いました。

思い出すのが僕の師匠小室直樹氏の言葉「社会がダメになると人が輝く」です。全体主義は悪い社会。だからそこを生きる人は皆不幸。民主主義は良い社会。だからそこを生きる人はみんな幸せ。「んなわけねえだろ、バカヤロー」と宮崎氏は怒っておられる。全体主義「だから」民主主義を希求する立派な人がいた。民主主義を希求することが人を立派にした。立派な人は、命懸けで価値を貫徹しようとした。

宮台氏発言

 韓国ドラマが注目しているのは、まさに宮台氏の言う「人が輝く瞬間」です。そして、その前提となる社会や地域はどんな状態であるかということをドラマとして丁寧に表現しているわけです。若干強引に言うと「まちづくり的視点を持ったドラマ」であり、「リアルな街」とは何かを圧倒的な迫力で表現しているのではないでしょうか。しかし、「社会がダメになると人が輝く」というのも皮肉なものです。今の私達の社会はダメなのかどうか、そして人が輝いているのかどうか、少し考えてみる必要がありそうです。

 さて、このシリーズもかなり長くなってしまいました。次回は最終回として「我々は街をどのように見ていくべきなのか?」を考えていきたいと思います。

(高鍋剛/Jsurp理事(副会長)・株式会社都市環境研究所)

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