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8.我々は街をどのように見ていくべきなのか?

【全8回連載目次】
1. 我々は街をどう見ているか?
2. 人々は街で幸せになったか? −「感情の劣化」の問題−
3.「リアルな街」とは何か? −フュージョン体験と街−
4. 人間の尊厳と街との関係 −廃墟が魅力的な理由−
5. 僕たちは街と対話している −アフォーダンスとノイズ−
6. 俯瞰的に街を見るとは? −生態系の一部としての人−
7. 街が立ち上がり、人が輝く瞬間 −文学やドラマが捉える街−
8. 我々は街をどのように見ていくべきなのか?(←今回)


あなたが好きな街とその理由は何ですか?

 さて、そろそろまとめの回に入りましょう。ところで皆さんには、愛してやまない好きな街はあるでしょうか。そしてそれはどんな理由でしょうか。私の知り合いに、新宿・歌舞伎町が大好きな人がいます。彼(S氏)はよく歌舞伎町に飲みに行きますが、好きすぎてその日のうちに帰れなくなることもしばしばあるようです。彼に歌舞伎町の魅力を聞いてみました。キーワードとして①多様性と匿名性、②プランの面白さの2つを挙げてくれました。彼は言います。

 最も好きなのは、街にいる人の属性が日本で一番多様だと感じることです。インバウンド、芸能人、富裕層といった人たちから、水商売で億を稼ぐ人や宿無しの家出少女まで本当に多様な人まで。その人たちが商売だったり居場所だったりといった理由でお金の流れとしては繋がっていて、ある種のエリア内循環が生まれています。そういう場所だからこそ、家や学校、仕事などに居場所がない若い子達も集まり、それを町としては排除しない寛容性があります。
 トー横キッズのケースなど、決して望ましい状況ではない場合もありますが、とはいえ社会のシステムが完璧ではないから必ずそうしたニーズや状況が生まれるので、それを歌舞伎町が引き受けているという意味である種の「セーフティネット」になっていると考えています。
 集まる人の動機や背景も多様なので歌舞伎町ではとても匿名性が高く、良くも悪くも他人に対して無関心で、それがある種の居心地の良さ(都会ならではの「誰も自分のことを特定しない・詮索しない」という意味で)を産んでいると思っています。

S氏コメント

 自分を解放したい多様な人が集まっていて、自分はそこに居ることで監視されたくもないし批判されたくもない。だから他の人に干渉もしない、そういう意味で街に「寛容性」が出来ているという風に理解できます。それは都市化した時代の人の「幸せ」の1つの形かもしれません。

歌舞伎町は計画的に作られた街だった?

 では歌舞伎町はどのようにしてこういう街になっていったのでしょうか。自然にそういう街ができてきたのではありません。彼は続けて言います。

 歌舞伎町は戦後の復興時に「道義的繁華街」というコンセプトのもとに、当時の角筈地区の町会長だった鈴木喜兵衛が土地の権利をまとめ、石川栄耀がプランを書いて区画整理で骨格ができました。建物に囲まれた西洋の広場を目指した旧コマ劇広場もそうですが、ターミナルビスタという考え方に基づき町の至る所にT字路が意図的に作られていて、小さな間口の連続する土地割と相まって先が見通せない迷い込んだような楽しさがあります。
 また、土地利用についてもミクストユース(混在)を基本に飲食街や歓楽街のエリアを指定し、区役所など公共施設も計画に基づき配置され、今の時代ではできない面的な総合デザインに基づく都市構造が実現している町です。今では商業の内容自体は大きく変わっているものの、敷地割や道路・路地の骨格は80年前の状態がほぼ残っているところも多く、時代が変わってもプランの有効性を示していると感じます。
 そうした意味で、雑多でカオスな印象でありながら、都市構造自体は更地に線を引くところから作られた町であり、サイトプランニングの可能性と重要性を大いに感じることのできる街でもあるというところが素晴らしいと考えています。

S氏コメント

 歌舞伎町は戦後の区画整理でできた街なのです。石川栄耀は日本初の都市プランナーと呼ばれることもありますが、非常にユニークな人で、「都市味倒」つまり、都市を味わい倒せと言うほど都市で遊ぶのが好きな人だったようです。だから計画的に商業地と繁華街を作りたかった。そんな街なんですね。
 さて、彼が指摘したのは多様性と匿名性(その背後にある寛容性)、それと計画性でした。しかし、こういう街になったのは計画だけではなく、歴史や土地柄、都市構造や都市機能が相まって生まれた「唯一無二の場」であるとしています。そう言えば「入替不可能性」という話が前の回にありました。入替不可能な人は魅力的だし、街についても同じ事が言えそうです。

街を見るために必要な学問とは?

 これまで2人の色々な話を聞いてきました。それを踏まえて私達は街をどのように見ていくべきなのでしょうか。大まかに言うと2人が言いたかったことの1つは、「街を見るためには色々勉強しないといけないよ」ということでしょう。まず学者としての立場から宮台氏は言います。

 蓑原先生いわく、人々を幸せにする「まち」とは何なのかを、都市計画という枠の中で考えても、どうにもならないのだと。では、オルタナティヴな思考は何か。僕の考えでは「まちづくり」に必要なのは人類学、宗教学、生態心理学、認知考古学です。人類の古くからの生活形式の研究(人類学)と、超越や全体についての構えの研究(宗教学)と、物理的環境からコールされてどうレスポンスするように習得的・生得的に方向付けられているか(生態心理学と認知考古学)の研究です。 第一に、トータルなキーワードを安全・便利・快適から、幸福へとシフトし、第二に、それをベースに、僕らが「まち」によって幸せになるときに何が起こっているのか言挙げし、第三に、僕らを幸せにする条件を「まち」に実装する際、どんな政治的プロセスを踏むべきなのかを明らかにすることです。

宮台氏発言

 まず、都市計画という狭い範囲の学問だけではいけないのだ、と言っていますね。人類学をはじめとする各学問分野が上げられていますが、これはつまり人そのもの及び、環境(社会)と人間の関係を追求する学問です。私達は街で人が幸せになることを念頭において仕事をしているわけですから、こういう研究分野が欠かせないということです。そして、どのような時に人は幸せを感じるのかを明らかにした上で、それをいかに実装するのかを考えよ、ということですね。

 では、私達もこれらの学問・文献を読み耽らないといけないでしょうか。必ずしもそうではありません。これについて宮台氏はこう話していました。「私は学者だから好きなことを言っていればいいだけなんですけど、皆さんは現場で取り組んでおられるから大変ですよね。でも、学問で分かっていることは、現場でも活用すべきだと思います。」そう、研究の成果はどんどん使っていけば良いということです。しかし、そのためにはその研究分野について大まかには理解しておく必要はあるでしょう。

様々な視点で街を見るということ

 これまでの回で、人の感情の問題、多様性とフュージョン、人の尊厳、アフォーダンスとノイズ、俯瞰的な視点、ドラマや文学の視点など、街を見るにあたっていくつかの視点を紹介してきました。
 これらの話は、それぞれに関連していると思います。その構造を上手く説明することはできませんが、まず最初に重要なのは、人間個人個人の視点で見るということではないでしょうか。そして人が街で幸せになるとしたらどんな理由なのか、そこで何が起きているのか、そこはどんな場所なのか、どん地域社会・コミュニティが形成されているのかなどをたぐり寄せてみる、そういうことが大事なのではないかと考えています。そしてプランニングをしようとする場面では、やはり蓑原氏が言う俯瞰的な視点が欠かせないでしょう。そして俯瞰的にみる場合でも、どんなスケールで、どんな分野の目線で見ていくのかが問われることになります。

 そして、人間個人の視点とこの俯瞰的な視点は関係ないものではなく、両方の目線で街を見ることで、起きている状況の因果関係が見えてくることもあるでしょう。ドラマのような見方かもしれません。

 今私もある街のまちづくりを進めています。有名な街なのですが、今そこにいる人達はちょっと苦しそうです。何故そうなのか、その地域社会はどのような構造を持っているのか、人に寛容なまちなのか、尊厳を感じることはできるのか、地域の歴史や文化が人にどんな影響を与えているのか、そんなことを考えています。その際、彼らが提示してくれた学問の知識や視点がきっと役に立つと思うのです。

<参考>連載内写真で紹介した街
●韓国:釜山広域市/甘川文化村
●北海道:ニセコ町/ニセコ駅前、札幌市/大通公園 ●宮城県:石巻市/北上川 ●東京都:台東区/谷中、江東区/清澄白河、大田区/池上、中央区/日本橋COREDO室町テラス/銀座、渋谷区/代官山/渋谷パルコ、北区/十条商店街、墨田区/京島キラキラ商店街、江戸川区/葛西臨海公園、世田谷区/三軒茶屋/二子玉川、千代田区/丸の内、荒川区/三ノ輪、新宿区/歌舞伎町 ●神奈川県:横浜市/保土ケ谷区左近山団地/中区山手、逗子市/逗子海岸 ●長野県:小諸市/小諸駅前、御代田町/浅間しゃくなげ公園 ●静岡県:静岡市/葵区紺屋町 ●福井県:小浜市/小浜大原
 ●福岡県:太宰府市/太宰府、福岡市/中州 ●沖縄県:那覇市/牧志公設市場

(高鍋剛/Jsurp理事(副会長)・株式会社都市環境研究所)


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