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『最長片道切符の旅』を旅する day00 旅の企画

宮脇俊三「最長片道切符の旅」新潮文庫


オリジナルの宮脇俊三『最長片道切符の旅』新潮文庫は、鉄道ファン、特に「乗り鉄」のバイブルともいえる書です。

国鉄全線完乗を果たした著者が、次に挑んだのは日本一の遠回り〈一筆書き切符〉の旅。北海道・広尾から鹿児島・枕崎まで、最短経路で2764.2キロ。ところが〈最長片道切符〉のルートだと13319.4キロ。これは最短経路の4.8倍、地球の直径に相当する。ーーー10月13日、時刻表と地図を片手に広尾を出発、紅葉前線と共に南下し、正味34日間で乗り終えるまでの真剣でユーモラスな大旅行。    宮脇俊三『最長片道切符の旅』新潮文庫

(新潮文庫)

先生は、全線完乗を達成した後、出版社(元中央公論社常務取締役)を退職し、自由の身になったところで「最長片道切符」を旅しようと考えます。

この旅は今から45年以上前の1978年(昭和53年)。その後、路線や列車の廃止が相次いだため、この本はタイムカプセルのように当時の鉄道状況や時代を埋め込んだ記録となっています。

とうとう私は、北海道から九州までの「最長片道切符」の旅をすることに決めた。同じ駅を二度通らなければどんなに遠回りであっても片道切符になるわけで、そういう片道切符の最長のものを算出して実際に乗ってみようと思ったのである。

これはルートが一本に確定してしまうから制約はむしろ強すぎるが、一日ずつの行程の区切り方と列車の時刻との組合せには適度の自由が残されている。距離も一万三千キロぐらいになるはずだから国鉄全線の三分の二ぐらいには乗れるわけで、これも、思う存分に乗りたい人間にとっては適度である。(本書「遠回りの旅」)

(新潮文庫)

「最長片道切符の旅」を辿ってみよう

現在、その最長片道ルートのいくつかは廃線となり、新幹線は日本中に行き渡り北海道函館、九州鹿児島までも延長されました。

オリジナルの旅から45年後、21世紀の現在、その新潮文庫版「最長片道切符の旅」のルートを辿り、半世紀の時の流れも併せて追ってみたい、というのがこの旅です。

北海道・広尾からスタート、廃線した路線はバス第3セクターを使って終着鹿児島・枕崎を目指して現在も旅を続けています。現在(2023年5月)、day40、四国を終えて広島まで。先は長いなあ。

経路図_文庫
『最長片道切符の旅』経路図 1300km 今は行けない四国も入っている このルートを辿るのだ

現在では廃線が多くて連続して旅行が出来ないので「最長片道切符」が使えません。「最長片道切符」を使わない細切れの最長片道切符の旅です。廃線ルートは忠実にバスで辿ります。

先生が苦労した「切符の通用期間」も、後追いの私には関係ありません。というか、私は二泊三日、三泊四日とこま切れに乗りに行くほかない。連続で乗りつぶせない代わりに、いささかの計画自由度はあるのであります。

45年前、1978年(昭和53年)当時、JRはまだ国鉄でしたし、新幹線は東京から博多まで、ワンマンカーも、自動改札も、スイカもありません。北海道へは青函連絡船(青函トンネルはまだ掘っている最中)で、また宇高連絡船仁堀航路があったので、今では最長片道ルートには入らない四国のルートも入っています。北陸新幹線が出来たため廃止になった信越本線横川ー軽井沢間はしっかり繋がっていたし、北海道では多くのローカル線がまだ稼働していました。

有人改札口 (長岡駅) Kouchiumi@wiki

当時、ケータイパソコン青春18切符もありません。(ケータイもスマホもなしにどうやって宿を予約したんだろう?そのころはまだ公衆電話が沢山あったんだな)

この旅はほぼ45年前の日本の姿を訪ねる旅でもあるのです。

■基本計画

列島縦断_Fotor

2004年に放送されたNHKの関口知宏列島縦断・最長片道切符の旅」はコンピュータで計算したその当時の最長片道でした(まあ今となってはこのDVDもなつかしいけどね)。

このDVDを見て改めて宮脇さんの本を読んでみました。そしてこの昭和53年度(1978)版のルートは今どうなっているんだろう。その当時の風景はそのまま残っているのだろうか。一体ケータイもスマホもなしにどうやって旅行をしていたのか。その当時のことをそのまま忠実にたどってみたいなと思ったのです。

宮脇俊三『最長片道切符の旅』を訪ねる旅」は、45年前の昭和53年を旅するタイムトリップ企画です。今、このルートはどうなっているのだろう。列車、路線、そして車窓に見えるものは何がどう変わっているのか、変わっていないのか。

豊橋から会津若松まで大きく戻る「驚愕」のルート

その当時、最長片道ルートは紙と鉛筆で計算されていましたが、その芸術的なルート(それまで西へと向かっていたルートが、豊橋から会津若松まで大きく北へ戻るという驚愕のルート)は今見ても美しい。

この本は昭和53年 (1978) 冬に旅をした記録です。現在、残念ながらその多くの路線は廃線か第三セクター化しています。廃線跡も丹念に忠実にバス路線で追いかけて45年間の時の動きを追ってみたいと思います。

時刻表
時刻表 昭和53年10月版

計画は着々と進んでいます。昭和53年10月の時刻表も手に入れました(ちゃんと売ってるんだね。新橋の鉄道グッズ店で1800円でした)。これで先生と同じ時刻表で旅が出来る。

第一回目の旅、0日目(北海道のスタート地点、広尾まで東京から二日かかる)から9日目(米沢)までの詳細な追っかけ計画も立てた。全線一気に踏破するのは無理なので、ブロックごとに少しずつ回っていきたい。季節も同じ秋から冬の時期に回ってみたいと思います。(が、そうは言ってられないだろうな)

残念なのが片道切符の旅の象徴である「最長片道切符」が買えないことです。ま、ルートは廃線や三セクでずたずたですからね、しょうがないんだけど。でも、その分「フリー切符」や「18切符」をフルに活用できる利点もあるし、先生も悩まされた「最長片道切符」の有効期間に縛られる心配もなくなった。数年間掛けてブロックごとに乗っていきます。

さて、先ずは北海道の出発地点、広尾まで行かねば。これがまたけっこう大変なんです。函館、苫小牧経由でほぼ二日がかり(現在、日高線が廃止になってしまったため、このコースではいけなくなってしまった)(今や広尾へは帯広空港からバスで40分、羽田から数時間で行けるんだよね)。

では、北海道・広尾から鹿児島・枕崎へ向けて出発します。




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