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第ニ章 奇想天外! 仲間を集め"重大発表"(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―湘南・江の島―

マリが浜やんに食ってかかった。

「ちょっとあんた。私のことどう思ってんのよ。この間、将来は結婚しようって言ったの嘘だったの。調子いいこと言っといて。売るってどういうことよ。ちかちゃんを誘ったのだって、日本中のんびり旅しようって、あんたが言ったからじゃない。一体何考えているのよ」

マリの剣幕ぶりにも浜やんは冷静だ。既にこうした想定問答は彼の頭の中では出来上がっていた。怒って結婚の話を持ち出したマリを見て、むしろ説得はうまくいくとさえ思った。

 ―本当に俺に惚れてるな。逆に話は早いぜ。
 浜やん、先程とはうって変わって、今度は諭すような語り口になった。

「…マリよぉ、おまえたちの心配はもっともだ。確かに俺はあくせく働くのはやめて、日本中旅でもしないかって言った。おまえのことは好きだし結婚したいとも言った。それは嘘じゃねえ。だけど、よぉく考えてみねえか。
ちかちゃんもそうだろうけど、汗水垂らして月々稼げるのは七・八千円だ。俺はおまえらが田舎に仕送りしてるの知ってるけど、手元にいくら残る。そんな生活がこの先ずっとだぞ。
儲けることしか考えてない経営者にこき使われてさ…俺は人生の足固めをしたいんだ。これは必ず儲かる話だ。一年ぐらいやろう。長くはとても出来ねえ。その間に派手な”独立記念日”やって、又それぞれの道に進むもいいし、一緒になるのもいいし、人生もう少し夢持って、楽しくやらねえか」

黙って聞いている二人に、なおも浜やんが続ける。

「俺はおまえたちを売るって言ったけど、正直に言えば売らないよ。当たり前だ。傷モノには絶対にしない。…いいか、こういうことなんだよ」

 マリとちか子が身を乗り出した。

「俺とマリとちかちゃんが先ず女郎屋に行って経営者に掛け合う。そこでおまえたちを二人で十五万とか二十万弱で売りたいという交渉をする。金額はもっと下げるかも知れない。その時の状況で決める。相手は女の子が欲しいんだから必ず買う。金はその時に俺が頂いちゃって、後で四等分するから。問題はその後だ。おまえたちは何もしないで〝救助船〟を待ってればいい。客がつかない前に顔の割れていないもう一人のパートナーが店に乗り込むから。いちばん最初の客としてな。客だったら疑われないだろ。その男と一緒に避難してくるんだ」

 マリもちか子も今度は店からうまく逃げ出せるかどうかが心配だ。

「避難して来い、なんて…全く、口がうまいんだから。要するに逃げて来るんでしょ。救助訓練じゃあるまいし、そんな簡単にうまくいくの?」

「助けに来るのが遅れて、お客さんがついちゃったらどうするのよ」

「救助船が遅れることは絶対にない。そこは俺たちに任せておけ。俺はそういう店の仕組みはよぉく知ってるんだ」

「なんでそんなに詳しいのよ」

 マリがムッとした顔をして、浜やんに食ってかかった。

「あちこちに女がいて、よろしくやってんじゃないの」

「いやいや、そんなことはありません。君一人です。そりゃ、船に乗ってる時は付き合いでそういうところへも行かなきゃいけない時もあった。正直、何回か行ったよ。でもマリ、今はおまえだけ愛してる」

「調子良すぎない?それ、本当?」

「ああ、男に二言はない。好きだから助けに行くんだ。おまえたちを傷モノには絶対にしない。だから俺を信用してついて来い」

 浜やんは自信たっぷりに言い切った。

なんとも大胆で荒唐無稽な作戦だ。だが、彼には勝算があった。赤線のシステムを熟知していたのだ。
赤線は驚く程自由だった。店の主人にさえ断れば、外に娼婦を連れ出すことも出来る。実際、彼は女と一緒に映画を観たり、町をぶらぶら散策するのが好きだった。店に縛り付けられているとはいえ、赤線街の中にいる、いわゆる〝中の女〟たちにもこうした自由はあったのである。
 もっとも東京・千住の柳新地のように娼婦に公休日以外の外出を禁じ、気に入った娼婦と映画に行く時は一時間三百円の玉代を払わなければならない店もあったが、これは稀なケースで殆どの店が娼婦との外出は自由だった。
 彼が最初に目を付けたのは自由な店のシステムだ。さらにこの計画の大きな引き金になったのは横浜の永真カフェ街にいる娼婦・千秋の一言だった。

「これからは商売がやりにくくなるわ」

 千秋の話では赤線が廃止になるのは二、三年は先のようだ。
 『女売ります』そんな看板を引っさげて、赤線の女将たちと交渉しても時期を逸すれば逸するほど状況は厳しくなる。それこそ店をたたむ方向になっているのにわざわざ周旋料を払ってまで、女を買うどころの話ではないだろう。一攫千金を狙って、今がチャンスと思っていたのだが、彼は船員だった為、なかなか実行には移せないでいた。

 だが、船員をクビになったことで状況は一変した。失業という現実に明日の稼ぎを考えた時、彼は迷わず、これまで胸に秘めていた危険な賭けに打って出ることにしたのだ。軍資金は雇い止め手当として船会社からもらった十万円弱。それに気心の知れた、というか強引に気心を知らしめようとしているマリとちか子もいる。

 計画を実行する上で、さらにもう一つ重要なものを浜やんは入手した。国鉄の時刻表である。全国各地に点在する赤線地帯。狙いどころは彼が船乗り時代に通った港町周辺の赤線街や、船乗り仲間から情報を得た赤線街だ。闇に君臨する経営者たちを狙った〝ニッポン周遊詐欺の旅〟である。成功するかどうかの鍵は国鉄の時刻表にもあった。逃げる時の足は電車しかない。
逃避行に使う電車の時間を予め打ち合わせた上で、店からマリたちをさらって来るのだ。乗り損なって駅で次の電車を待つなどと悠長なことは言っていられない。待ち時間が長くなればなるほど、捕まってしまう危険性は大きいのだ。

 巷のワルの間では女たちの人身売買が横行していた。組織化した連中の他にタクシーの運転手や船員くずれなどが五万円から七・八万円程で女を赤線や芸者置屋などに売り飛ばしていたのである。そうした男たちの多くは女の稼ぎを当てにしたヒモだった。又、親が娘を売り飛ばすケースもあった。売った後、娘に金をせびりに来る親もいた。

 人身売買の対象になった女たちは、昭和三十年が一万四千人余り。翌三十一年には一万五千六百人もいる。『隠れ女衒』ともいうべき闇の周旋人たちが赤線などを舞台に暗躍し、暴利を貪っていた。

続き > 第三章 行くぜ!青春ウラ街道 今日から俺がキャプテンだ
―特急「つばめ」 浜松・名古屋―(前編)

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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