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漂流教室 No.29 「教員不足は誰のせい?」

もうそろそろ教員採用試験の結果が出るころです。
昔は講師をしている若い先生たちの合否が気になっていました。
いつごろからかなあ、彼らの合格が素直に喜べなくなってきたのは。
合格したってことは、未来ある若者がこの業界に入っちゃうということ。
昼休みもない、休日もない、
果てはプライドややる気までも奪われるこの業界に。

実は、フウちゃんは大学に入った頃には教員採用試験を受けるつもりでした。
ところが4年生の時、
「採用試験受けないよ」
と言い出した。
当然のように教員になるもんだと思っていたから、
私としてはちょっとビックリでした。

でも、こればっかりは本人の希望を尊重しなくちゃいけない。
いやな仕事を続けていくなんて、そんなことはさせられない。

で、フウちゃんはいわゆる就活の末、一般企業に入りました。

就職してしばらくしてから、なんで教員になりたくなくなったのか教えてくれました。
教職(教員免許を取るための講義)の先生が講義中にこんなことを言ったそうな。

「君たちはほぼ全員が進学校を出ているけれど、
受験用の勉強なんて本当の勉強じゃないんだ」

フウちゃんはこの言葉に腹を立てて
「教職になんか就くもんか!」
と決心したのです。

そりゃ、怒りますよね。
だって自分のやってきたことが全否定されたんだから。
受験用の勉強は本当の勉強じゃないっていうけど、
受験用の勉強を通して文学が好きになったり、歴史が好きになったりする人はたくさんいる。
(私もフウちゃんもそのひとり)
数学や物理が好きになる人もいる。
受験勉強が悪だと決めつけるのは偏狭です。

そしてまた、国語の教職の講義ではこんなことをやれと言われたそうな。
「小説の続きを考えてグループで発表しあう指導案を作りなさい」

小説は作者が書き終えたらそれで終わり。
続きなんかありません。
例えば、『羅生門』の終わりはこうです。
「下人の行方は誰も知らない」

誰も知らないんです。
それなのに、
「下人はまた誰かの服を奪いに行った」だの、
「人殺しも厭わない大悪党になった」だの、
「老婆の服を奪ったことを後悔してまともに働いた」だの、
ただの思いつきをベラベラと垂れ流すような授業をせよと言われりゃ、
まあ、怒る。
私でも怒る。
それは文学作品に対する冒涜だ。

ということで、教員志望者が一人減ったのでした。
教員志望者減の原因、いろいろありますが、こういうのも一因ですよ。
ね、教育学部の先生方。

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