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\鳥取大学一般公開講座/ 民藝という美学 (3日目)

9月17日(3日目)

よく、民藝の話を聞いていると「用の美」という言葉を耳にします。この「用の美」の補足として講師の方は、柳さんがいった「用即美」は、単に「用いられるものが美しい」や「機能美」とは異なり、むしろ「美と用は不可分である」ということだと説明されました。
「用」については、もう一人の講師の方もお話をされました。『用の美』のなかで、柳さんは「用」という言葉を「生活」という言葉に置き換えても良いと言ったそうです。生活や暮らしという、いわば自分の足元、土台をいかに大事に思われていたか窺えます。
民藝運動が行われた時代は、日本が「大日本帝国」として近代国家を作り上げている只中でもありました。柳さんは、西洋の技術や制度を追う日本人の姿に、日本にふさわしくない空気を感じていたのではないかと思われます。
授業では、一元化されていく社会の中で、地域固有の美が失われて行くことへの抵抗、カウンターカルチャーとしての「民衆的工藝」を柳さんは作ったと説明されていました。
私は、「カウンターカルチャー」として「民藝の美学」が作られたという考え方とは違って、世に気づかれていない美しいものを、柳さんが表現したところ、時代の流れと向いている方向が違っていたに過ぎないのだと考えています。柳さんが時代の流れにアンチテーゼを持っていたことも「民藝」を発見する一助だったのかもしれませんが、やはり、何かに対抗することを目的としたのではなく、「美」を求め、広めることが柳さんの理想だったと思うのです。美しいと感じるものを振り返り、観察し、考察したからこそ「民藝」という、日常の内包されて誰も気付くことのなかった「美しさ」を発見できたのでしょう。

また、授業内で「なぜ民藝が保守的に捉えられるのか」という話も上がっていました。が、私の実感で、「民藝運動」は当時としては(今の私から見ても)「斬新なもの」に見えます。「保守」や「革新」を政治的な意味合い、イデオロギーのみで捉えようとすることは、あまりにも短絡的です。
このあたりについては、私の考えもまだぼんやりとしているので、多く語ることはよしておきます。
けれども、民藝について、ある人は保守のようだと考え、ある人が革新のようだと考えたところで、柳さんの知ったことではないと、私は考えます。柳さんの民藝論は、柳さんのものでしか在り得ないのではないかということです。うつわを見る眼や、焼き物に触れる手のひらの感覚や、民藝を味わう心は、その人とものの間に生まれる唯一無二のものだと思います。
全く同じようには引き継げないのが人間だとも思います。同じ「モノ」を引き継いだとて、全く同じ感覚で引き継ぐことはできないのです。
だから柳さんは、「民藝」という言葉に囚われるべからずと言ったのかもしれません。

これまでの講義を通して、私は民藝という「言葉」と「もの」「こと」の関係について、自分なりに考えてみたり、疑問を抱いたり、矛盾を感じたりしてきました。
そして、3日目のこの講義で、私にとって救いとも言えるような言葉に出会いました。

「美しいものであっても、美しいものとは言わない。そう表現してはならないところに、この文化の本質がある。」

これは岡本太郎さんの言葉です。岡本さんがパリにいた頃、民俗学をされていたことが垣間見られる言葉だと思いました。禅の不立文字と相通じるところがあります。あるいは、小林秀雄さんの『考えるヒント』の「言葉」という章で書かれていた、「姿ハ似セ難ク、意ハ似セ易シ」という一見真逆にも思えるような、本居宣長の言葉も思い出されました。2日目に考えていた、民藝論と民俗学の関係性に重ね合わせることができそうな言葉です。

初日から3日目まで、またこの講義が始まる以前に学んだことが、繋がってきて、広がりや深みが出てきたと感じています。


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