あべまさし

ノルディック複合で3度のオリンピックに出場(88年、92年、94年)94年リレハンメル…

あべまさし

ノルディック複合で3度のオリンピックに出場(88年、92年、94年)94年リレハンメルでノルディック複合団体金メダルを獲得。1995-2014 全日本コーチ、2016年~名寄市スポーツ振興アドバイザー、2017年2月~札幌オリンピックミュージアム名誉館長、 趣味はマラソンです!

最近の記事

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おうち体育札幌スタイル「ノルディックウォーク③」

最近愛好者が増えてきているノルディックウォークを3回に分けて分かりやすく説明しています!

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      おうち体育札幌スタイル「ノルディックウォーク②」

      最近愛好者が増えてきているノルディックウォークを3回に分けて分かりやすく説明しています!

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        おうち体育札幌スタイル「ノルディックウォーク①」

        最近愛好者が増えてきているノルディックウォークを3回に分けて分かりやすく説明しています!

        • 小平町「阿部雅司記念コーナー」

          知人が小平町文化センターにある「阿部雅司記念コーナー」に行って写真や動画を撮ってくれたのでぜひご覧ください! 最初の動画&写真は「1994LillehammerOlympicノルディック複合団体金メダル」を獲得した時に荻原健司さんがゴールで振っていたフラッグです! ↓↓金メダルゴールシーン https://youtu.be/aFBI7stRb6w 全日本選手権での優勝メダルです! 海外で獲得したカップなどです! ノルウェーのオスロで行われたホルメンコーレン大会でのカ

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          過去の新聞記事です!

          札幌オリンピックミュージアムへ過去の新聞記事を寄贈する事になったので昔の記事を写メで撮って残す事にしました。 noteに書く事が無くなったので号外など過去の新聞記事をUPします! 1994年リレハンメルオリンピック ノルディック複合個人戦 1994年リレハンメルオリンピック ノルディック複合団体戦(前半ジャンプ) 1994年リレハンメルオリンピック ノルディック複合団体戦(金メダル獲得) 日刊スポーツ(号外)

          過去の新聞記事です!

          25年ぶりに「やめねぇで,いがった」を読み返してみた

          コロナの影響で自分の時間が多く取れるようになり、1995年1月1日に発行した「やめねぇで、いがった」を25年ぶりに読み直してみました。 本を読んでいるうちに、スキーを始めたきっかけや、高校・社会人と現役時代の事を思い出す事が出来て、「今も継続して出来ている事」や「忘れてしまっていた事」を改めて気付かせてもらいました。 この本を出版したきっかけは、3度目のオリンピックのシーズン開幕前に「もしオリンピックに出場出来なければ引退だし、スキーを辞めて今まで経験した事やお世話になった

          25年ぶりに「やめねぇで,いがった」を読み返してみた

          一生懸命

          自分はスキー競技を続けてきていろいろな人と出会い、たくさんの経験をした中で一番大切に思っている好きな言葉があります。 それは「一生懸命」と言う言葉です。 今までのスキー人生を振り返ると、どんな事(遊びも含めて)にも一生懸命取り組んできた気がしますし、一生懸命やっているから自分が行き詰ったり困っている時に周りの人が自分を助けてくれたり支えてくれて来たんだと思います。 いろいろな事にチャレンジしていけば失敗したり、うまく行かない時だってあります。 でも失敗から学べる事はたくさ

          コーチ時代に気をつけていた3つの心得

          自分は1995年3月に札幌で行われたワールドカップ最終戦で現役を引退しました。 引退後はすぐに所属会社スキー部とナショナルチームのコーチを2014年のソチオリンピックまで19年間やらせて頂きました。 コーチをやらせて貰っている間はワールドカップで世界中を転戦し、オリンピックに5回、世界選手権に9回参加させて頂きたくさんの経験を積む事が出来ました。 今回はコーチ時代に気を付けていたことなどお伝えしたいと思います 1.【良いところを褒めてから、出来なかったことを指導する】 こ

          コーチ時代に気をつけていた3つの心得

          マラソンから学んだ事とは

          自分は1995年3月に現役を引退してからはゴルフぐらいしか身体を動かさなくなりました。 その頃はお酒&たばことかなり不健康な身体になっていたと思います… そして2000年のベルリンマラソンに1991年から複合チームのワックスマンをしてくれているScherubl Werner(通称ベッツィ)さんが挑戦しました。 ベッツィさんは自分と同じ歳でちょっとふっくらした体系をしているのですが、初フルマラソンを3時間22分で完走したと自慢をしてきました。 それで自分は「お前が3時間22

          マラソンから学んだ事とは

          スペシャルオリンピックスを知っていますか?

          スペシャルオリンピックスは1968年、故ケネディ大統領の妹"ユニス・シュライバー"は、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援する「スペシャルオリンピックス」を設立しました。 スペシャルオリンピックスの使命は、知的障害のある人たちに継続的にスポーツトレーニングをする機会をつくり、その発表の場として競技会を提供することです。スポーツを通じて知的障害のある人が自立と社会参加を果たし、健康で豊かな生活を知的障害のない人とともに送ること

          スペシャルオリンピックスを知っていますか?

          子供にも大人にも伝えたい夢の叶え方

          夢を叶えるには夢を持つことが大切! 夢(目標)がある人は目標達成に向けて計画を立てる 計画がある人は行動を起こす 行動を起こせば成果が出る 成果が出ると喜びがある 成功する人は必ず夢があると思っていますし、成功した人には笑顔(喜び)があると思います! 【夢を叶えるために心がけてほしい事】1. 普段からマイナス発言をしない様に気を付ける! 人は誰でもマイナスな事もプラスな事も言うので、吐くと言う言葉は 口と十と-で出来ている。そのマイナスを言わなくなると-が消えて「叶う!」

          子供にも大人にも伝えたい夢の叶え方

          「名寄でのチャレンジ!」

          名寄に行って最初に大きなイベント「ウィンタースポーツコンソーシアム」を開催出来た事は自分にとって大きな自信になりました。 この事業は北海道が2026年(招致予定だった)札幌オリパラに向けて、ナショナルチームに入っていない中高生を合宿等で強化して、一人でも多くナショナルチームに押し上げるのを目標の事業でした。 この事業を名寄市で引き受けることになり、自分は「ワールドカップのサマーグランプリなどで行っているような大会を、若い選手達にも経験してもらいモチベーションをあげてほしい」

          「名寄でのチャレンジ!」

          「アスリートが地域に入り、協働するということ」

          自分は1995年の札幌でのワールドカップ最終戦で現役を引退しました。 その後は2014年ソチオリンピックのシーズンまで19年間ナショナルチームのコーチをさせて頂きたくさんの事を経験しました。 そしてコーチを辞めた後は、会社で総務の仕事をしていた時に名寄市からスポーツで街を盛り上げてもらえないかと名寄市長からお誘いがありましたが、50歳の自分が名寄に行って何が出来るか自信も無かったのですごく悩みました。 この時に悩んでいた自分を後押ししてくれたのは嫁さんの一言でした「あんた

          「アスリートが地域に入り、協働するということ」

          「48歳の(ほぼ)新入社員?!仕事とスポーツの関係性」

          自分は1983年4月に東京美装興業株式会社へ入社しました。 本当は高校3年でスキーを諦めて実家でトラックの運転手をするつもりでしたが、スキー部の顧問はシーズン中盤で少し飛べる様になってきた自分に何とかスキーを続けさせたいと思い、2月過ぎにいろいろな会社へお願いをしてくれましたが時期が遅くほとんどの会社から入社を断られていました。 そんな中で東京美装興業(株)一社だけ自分を入社させてくれるというお話しを持って来てくれました。 この時に顧問の先生が就職先を見付けてくれなかったら

          「48歳の(ほぼ)新入社員?!仕事とスポーツの関係性」

          2009年Liberec世界選手権(奇跡の金メダル)

          自分が19年間全日本のコーチをしていて一番衝撃的な試合が2009年チェコのLiberecで行われた世界選手権で奇跡が起きました! 日本複合チームは1995年に自分と河野孝典さん(写真右)が引退してから毎年の様にルール変更があってかなり苦しい状況が続きました。 どれくらいルールが変わったか簡単に説明すると、自分たちが金メダルを獲得した時のジャンプのポイントをクロスカントリーのタイムに換算すると5分以上の差がつきましたが、現在のポイント換算だと1分20秒ぐらいにしかならないの

          2009年Liberec世界選手権(奇跡の金メダル)

          noteの使い方について

          先日からnotoを使い始めましたが、Facebookやブログと同じではダメだと思いなかなか投稿が出来ませんでした。 それで思いついたのが自分が経験して来た事を忘れない様に書き綴って行こうかと思いました。 自分は、もし1994年リレハンメルオリンピック代表を逃したら引退しようと考えていて、もし引退して普通の生活になったら今までスキーで経験した事、悔しかった事、自分を助けてくれた多くの人の事を忘れていくのが嫌だな~と思い、スキーを始めたきっかけや高校1年の時に母親が無くなり横道

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