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いいかげんで偽りのない僕のすべて ⑰ 最終話


 在学中、僕と志田は百本近い映画を一緒に観た。そしてただ一度だけ関係を持った。どちらにとっても想定外の展開だった。
「ひかりのまち」というイギリス映画を観た後で、酔ってもいなければ、突然互いを好きになったわけでもなく、いわば映画の余韻がそうさせた衝動だった。感動作ではないが、セリフがとてもよく、マイケル・ナイマンの印象的な音楽も秀逸で、観終わったあとは誰かといたくなる。そんな気分に僕らもなった。
 けど本当はその日、僕は別のことを考えていた。初音ちゃんが例の男とミュンヘンに行っていて、ムシャクシャしてたのだ。誰かといたいと思った時志田がいた。それだけだった。なんにも考えてない、八つ当たりににも似たうさばらしだった。
 秋の終わり、愛の言葉もないまま僕の部屋で彼女を抱いたが、志田はまだ処女でキスすら初めてだった。体を固くさせ、始終深呼吸をしたり、息を止めては「何も言わないで」と僕の腕にしがみついたまま、ずっと目を閉じていた。
 部屋を出る時に、玄関に挿してあった白い雛菊を見つめ「これもらっていい?」と聞いた。いいよと答えると、花瓶から抜き取り、振り向かずに帰って行った。それから彼女と映画を観ることも、学校で話すこともなくなった。バリアを張ってひとりで席に座ってる志田を見かけると胸が痛んだ。
謝らせてもらえず、叱ってもくれない。僕なんかいないみたいに通りすぎて行く。彼女が一番嫌う魔法を使わせてしまったのだと思った。僕はそれでも仲直りしたかった。友達に戻りたかった。
 休日にひとりで出掛けた時、今日で閉館する映画館で「ニュー・シネマ・パラダイス」を最後に上映していた。僕はすぐに志田を電話を掛けた。八回目のコールで出た志田の声はむすっとしていた。あと二回ある上映時間を教えたが「行かない」とすぐに断った。前にその映画館で痴漢に遭ったから嫌だと言う。見張ってるよと何度も誘ったが「いい」と言って電話を切った。
 切断音が耳に鳴っていた。閉じた扉のエコー。僕はこの時ほど、自分のあやふやで身勝手な性格を呪ったことはない。大きいスクリーンで見せてあげたかった。意地を張らせたことへの自責の念がとてつもなく重かった。箒に乗った魔女の子みたいに僕の部屋に飛んで来て怒って欲しかったが、開いた窓から入ってくるのは、夕暮れの生温かい風ばかりだった
 
 大学生活はあっという間だった。これという思い出もなく、のろのろ歩いてるうちにゴールまで来ていただけ。僕は二センチ背が伸び、酒に強くなり、高校生の時よりバカになった。三年の終わりごろから就活を始めたが、スタートダッシュの遅れをてきめんに食らい、もう面接まで漕ぎ着けてる同級生を横に、まだエントリーシートの記入に追われていた。製造業も接客も向いてない。やはり自分の得意分野でもある出版関係に就職したかったが、大手も中堅も募集はわずかで、狭き門を突破できるほどの即戦力も面白味もアピール力も僕には欠けていた。本が売れなくなってる時代。よほどの人材でなければ採用しないのも当然だった。ならばと映画の配給会社にも行ってみたが、どこも一次で落ちた。英語とイタリア語ができるぐらいでは五万といる。なんとか語学を活かした仕事がしたかったが、ツアーコンダクターや教師はどう見繕ってもやりたい内容と違っていた。ショーウインドウに映る着なれないリクルートスーツの自分にげんなりする。似合ってない。見た目じゃなく本質に。こんなのを着て街をさまようなど、なによりやりたくなかったはずの、汚れちまった未来だった。
 夏休みが終わりに近付いても就職先が決まらなかった。学内の相談室に通うのも面倒臭く、一年ぐらい就職浪人してもいいやと諦めモードになっていた。成績は問題なく、単位も足りていたので、論文さえ提出すれば卒業はできる。ちょっと旅行でも行こうかなあと考えていた時、父から電話が来た。靴の製作の依頼で一週間ほどイタリアに行くので通訳として一緒に来てほしいという。まさに渡りに船。逃避行にジェットで、もちろん快諾した。
 9月の三週目に両親と工房の職人さん、父の妹の八人で初めての海外旅行に出掛けた。ネットのおかげで父の工房は世界中に発信され、あんな田舎の小さな店でも靴好きには有名になっていた。靴といえばイタリアは本場である。そこの人に気に入られて商売をするようになった父に感心と尊敬を抱くばかりだった。両親は僕の就活が暗礁に乗り上げてると知っていたが、なにも言わないでいてくれた。結局自分が選んだことしかやらないと分かっている。だったらその責任も負いなさい。きっとそう思っていたからだ。
  
 依頼者は六人。到着したローマで観光をしたい母と叔母と途中で別れ、僕と父と職人さんは依頼者の待つ家に向かった。いかにもイタリア人といった彫りの深いハンサムな男性で、杏色のジャケットで「コニチワ」とにっかり笑って僕らを出迎えてくれた。家には女優みたいな奥さんもいて、先月結婚したばかりだと、男性は自慢の妻を紹介した。一昨年京都に行ってから日本びいきになったと言う彼のリビングには、漆塗りの蒔絵や西陣織のタペストリーが飾ってあった。ネットで父の靴を見つけてどうしても欲しくなったんだと、こっちまで釣られてしまう笑顔で話した。
 僕はそこで初めてオーダーメイドの靴を製作するための初期行程を見た。足の大きさだけでなく、ワイズ、厚み、土踏まずの形、歩く時の癖、足首の固さまで測定し、仕事や生活スタイルも細かく聞き込んだ。特にこちらの人は家の中でも靴を履くので、長時間着用しても疲れないものが求められた。サンプルの革や生地を丹念に選びながら、彼の理想とするデザインを絵の得意な職人さんがクロッキー帳に描いていった。
 父の通訳として同行したが、相手の言ってることは聞き取れても、僕の発音が下手なせいでうまく伝わらず、途中筆談になったりした。移動中にスマホの翻訳機能を聞きながら練習していたが、全然会話が成り立たない。次の日にはショッピングに精を出す母たちに付き合って買い物に行ったが、度々単語だけの伝達になった。ゼミではいつもA判定をもらっていたのに、本場に来たらこんなに通じないんだと、ものすごくショックを受けていた。

 一週間の滞在は慌ただしかったが、家族としては有意義な時間だった。ローマ、ミラノ、ベネチアと旅行会社のパッケージツアーみたいな日程だったが、毎日が感動で刺激され、眠っていた感性がフル回転していた。
 ゴシック調の中世の建物が残る街並み。歴史と芸術を重んじる文化。料理もおいしくて、美男美女ばかり。でもゴミは散らばってて、物乞の子供やスリも多い。世界中どこ探しても綺麗なだけの所などないんだなと思った。
 南下して行く旅先で僕はどうしても見たいとリクエストしていたアドリア海のクルーザーツアーに参加した。人気のツアーで、船は観光客でひしめき合っていた。沖に進む船のデッキから望むサファイアブルーの海。先輩と見た絵画の景色が目の前にあった。とてもいい天気で、クロアチアの陸地まで見えていた。ひとりで来てしまったことが残念だった。見て欲しかったけれど、申し訳ないとは思わなかった。夢を叶えたのは僕だけじゃない。時は流れたのだ。陽に照らされた海面の輝きと、扇状に聳え立つオレンジ色の無数の屋根を、ただ懐かしい気持ちで眺めていた。
 最終日に再びローマに戻り、みんなお土産を買っていた。母はどこに着て行くのかと思うような派手なコートと、憧れのブランドで欲しかったバックを手に入れ、なぜか絵なんかも購入していた。父は仕事に使えそうなものだけをいくつか買い、僕は僕にも誰にもお土産を買わなかった。「せっかくだから」と母親特有の理由で、有名メーカーの腕時計を買ってくれたが、就職も決まってないニート予備軍が身に付けるには贅沢過ぎるシロモノだと気が咎め、箱に入れたままスーツケースにしまった。
 帰りの機内で「あんたがイタリア語話せてよかったわあ」と一応感謝されたが、僕は己の勉強不足と不甲斐なさに相当凹んでいた。道中ずっと渦巻くような風が吹きまくっていた。
 絶対リベンジする。
 イタリア語を完全にマスターしたい。強くそう思った。就職先は決まった。アドリア海。初音ちゃんと話してた逃亡先。ニュー・シネマ・パラダイス。ここを目指すためのこれまでだったと確信した。
 成田空港に降り立ってすぐ「イタリアに暮らす」と両親に宣言した。
「来年留学する。本当は翻訳をずっとやりたかったんだ。二人のおかげで勉強が苦じゃない人間になれた。自由にさせてくれてたからひとりでなんでもやるのが当たり前になったし、今初めて自分の気持ちを信じようって思えてる。もっと学んで、もっと覚えたことがたくさんある。この気持ちこそがパスポートなんだ。父さん言ったよね。飛び立つってそういうことだよね」
 普段思ってることを口にしない息子のいきなりの饒舌に、父も母もはっきり戸惑っていたが、反対はしなかった。
「どうせ止めたってやるんでしょ。なら好きにしたら」
 今回の旅行での未熟さを見たからか、母も背中を押してくれた。やってやらあと、内心燃えていた。こんなに胸が昂るのは生まれてからなかった。自分が自分じゃないみたいで、だから余計にもっと裏側まで見たかった。

 口にすると単なる夢じゃなく確固たる人生設計となった。海外移住に関する本を読み漁り、毎日ネットで調べまくった。実際移住した人のブログは特に参考になった。DMやコメントを送ったきっかけで交流が始まり、留学までの手順をかなり詳しく教えてもらえた。
 行くまでに少しでもネイティブな発音に近付けるように、国営放送の語学講座で真似をし、イタリア人が経営しているダイニングバーでアルバイトしながら日本語禁止の会話で強制的に脳を移行した。大学に就活を止めて留学すると伝えると「そっちの方があなたに合ってるかもね」と言われた。やはり社会人には適してないと思っていたらしい。もうここに来ないでいいんだと嬉しくて、にやにやしていたせいかもしれないが。
 
 毎日忙しかった。留学斡旋センターに何度も通って相談し、学生ビザの申請に大使館にも数回行った。同級生にも誰にも教えずに準備をしていた。
 年が明けてしばらくした頃、再び父から電話が来た。完成した靴を送った男性からお礼のメールが来たので返信してほしいとのことだった。単語さえ分かれば文章は書けるので返事を送った。すると『君はどうしてイタリア語を学んでいるの?』と彼が聞いてきた。僕は正直に、翻訳家になってそちらに住みたいんだと答えた。
『留学する予定だけど、時期が合わないので夏まで待つ予定です』
 その直後、思いがけない返事が来た。
『フィレンツェの大学に知り合いの大学教授がいる。アジア文学の研究をしていて、日本の小説にも詳しい。先週アシスタントが辞めたと言っていたので紹介しようか?』
 僕はひとりで叫び、画面に前のめりになって「まじか!やるやる!」と口にしながら『是非お願いしたい。すぐにでも行きます』と書いて送った。
 それから何度か彼とやり取りし、三週間後に僕は単身フィレンツェへと向かった。教授が会ってくれることになったからだ。空港からバスと電車を乗り継いで、指定された大学まで行くと、男性はキャンパスのベンチに腰かけて待っていた。父の製作した飴色のトラッドシューズを履いていた。ひと目で父の作品と分かる。独特のライン。センス。縫製。父の工房でしか生まれない形がもう見分けられるようになっていた。それは多分カッコいいから。
履き心地は最高でもう一足ほしいよと男性は靴を前に出し「実は靴が届いてすぐベビーができたんだ。本当に幸せ運ぶ靴だよ」と、にっかり笑った。
 
 彼はイベント会社に勤めていて、去年の夏に開催した「JAPAN EXPO」で日本の本を紹介するにあたり、研究者である教授を紹介されてからの付き合いだと言った。
「恐いけどいい人だよ」
 どっち?と聞き返したかったが、緊張してたので笑うしかなかった。紹介してもらった教授は、髭の似合うちょっと小太りの男性だった。確かににこやかな印象ではなかったが、会った瞬間に「この人多分合う」と感じた。
 二十年前に教授は四年間日本に住んでいた。大ベストセラーとなった恋愛小説を読んで、なぜ日本の若者はこんなにすぐ死んでしまうのかと知りたくなって来日し、以来研究を続けているという。
「君は読んだかい?」
 読んだと答えた。どうしてなんだ?と聞かれたので「作者がロマンチストだから」と言うと「今までで一番つまらんが、一番納得する答えだ」と彼は僕の肩を叩いて髭を浮かせて笑った。
 そして今、色川武大の「狂人日記」を教材で使いたいが手間取ってる。よければ翻訳を手伝ってくれないかと、夢のようなタイミングで言ってくれたのだ。もちろん即答した。お願いしますとぎゅっと握手をした。大きい手で、変な言い方だが、彼の手こそ温かい森のようだった。
 一旦帰国した僕は早速移住の手続きを始めた。両親にもすぐに報告した。「まあ頑張ってこい」と父は言い「また行くわねえ」と母は燥いでいた。メソメソされるより気が楽だった。マンションはあのまま残しておくとのことだった。僕のためでなく、もっと高値になるまで。

 卒業式の日、数ヶ月ぶりに僕から志田に話しかけた。赤い袴姿の志田はとても可愛く、色白の肌に映えて誰より目立っていた。
「秋田に帰るんだ」志田は言った。
「向こうに経営ギリギリの映画館があってね。あたしがそこを引き継ぐことにしたんだ。営業回りして、いい映画たくさん上映できるようにするの。話題のミニシアターなんて注目されるぐらいにね。いつか来てよ。一番いい席取っておいてあげるから」
 ありがとうと頷いた。「奨学金は返せそう?」
「だからやるしかないんじゃない。ずっとやりたかった仕事だもの」
 そう言って志田は初めて笑った。虹みたいな笑顔だった。僕は就職浪人をするとだけ言い、明日イタリアに発つんだと、なぜか言い出せなかった。

 半年以上前から初音ちゃんとは会っていなかった。就活が始まってから保護活動に参加できる日も減り、僕の部屋で動物たちの面倒を見られなくなったからだ。そして夏前に初音ちゃんは男と別れ「しばらくひとりで考える」と着信が来たっきり、音信不通になっていた。けれどブログは毎月更新されていて、この辛い仕事を続けている初音ちゃんに心から敬意を表したいと思った。彼女は無邪気は雑じり気がない、本物の純粋。だから真っ直ぐでいられる。僕はきっとそこに惹かれていた。
 不倫なんか失恋にカウントしなくていい。甘いものたらふく食べてさっさと忘れてしまえ。起き上がりこぼしのように立ち直りの早い子だ。きっとすぐに元気になる。信じていたからあまり心配はしていなかった。
 部屋の片付けをしてる間、初音ちゃんのことを思い出さなかった。何を決めても賛成してくれる。いつだって僕の味方になってくれるからだ。
 今も初音ちゃんの本心を正確には把握していない。好きとか嫌いではなく、何を考えていたのか。彼女にとって僕はどういう役割を果たしていたのか、一度も確めてこなかった。僕が思ってるより意味はなく「なんとなく」かもしれない。明確な回答は初音ちゃん自身も持っていないようにも思えた。
 いとこ以上の関係になって、一般的に見れば気色悪い二人でも、初音ちゃんの無邪気さは乾いた胸を潤してくれる砂漠の泉だった。いとこだから気安い反面、いとこだから気が重くもなったが、決して遊ではなかった。濃い血の海に溺れ掛け、このまま沈んでもいいと思ったが、離れたからこそ流れが変わり、それぞれの岸辺にたどり着いていた。もう新しい場所へと。
 出発前のロビーで初音ちゃんに渡航の報告と感謝の言葉を送った。タラップに乗る時、返事が来た。
 
『よかったね。おめでとう!
 ずっとイタリア行きたがってたもんね
 夢が叶ったんだ
 あたしもいっぱい勉強して
 心理学者になれるように頑張るから
 遠くで見守っててね!
 健太郎君がパスタ食べ過ぎて太ったら笑える
 また会おうね
 元気でね チャオ!』

 明るさに元気をもらった。可愛いいとこがいる。父が餞別に作ってくれた靴を履いて旅立つ僕は、やはり強運なんだと実感していた。
 向こうに到着してから星野先輩にポストカードを送った。真っ青なアドリア海が映っていて『これからはこの地で僕らしく頑張ります』と書いた。半月後に返事が届いた。

『新しい門出おめでとう
 本が好きだった健太郎にとって
 素晴らしい仕事ですね
 色々大変なこともあると思うけれど
 健太郎ならきっと大丈夫だと信じてます
 あんな田舎の町にいた私たちが
 今アメリカとイタリアにいるなんて
 とても不思議な気持ちです
 すべてを捨てて来たような
 そんな気持ちになったりもしたけど
 私が異国の地で頑張れるのは
 帰る場所があるからなんだと最近強く感じます
 いつかまた故郷で健太郎君に会えるといいな
 その時は誇らしい私でいたいと思ってます』

 僕は彼女からの手紙を壁に張り、常に心を照らした。そしてこちらに来てひと月後に突然志田から着信が届いた。たったひと言。一行だけ。

 『なんで知らせてくれなかったの。バカ』
 それだけだった。

 僕は自力で生活できるまでは日本に帰らず、親以外とは連絡も取らないと決めていた。里心が出ぬよう、自分がこの地に染まるよう、日本と比べてこうだと思う意識を排除し、この国の習慣、文化、礼節、生活様式を素直に覚えていった。初めは戸惑いばかりでモヤモヤすることの連続だった。イタリア人はきっぱりしてるが嘘つきも多く、せっかちだけどルーズな国民性で「とりあえず騙される」と思うことで馴れていった。
 挨拶のBaciは今も恥ずかしいが、仕事仲間や生徒、こちらに暮らす日本人に助けてもらいながら、それなりに楽しく暮らし、居心地は悪くなかった。
 僕は教授の元でイタリア語を一から勉強し直し、同時に僕が日本語を教え、時には些細な言い回しの表現を巡って議論することもあった。親子ほど年は離れているが、書き手の思いを正確に読者に伝えるモットーは共通していたので、僕と教授は本を仕上げる作業の進行に伴って、信頼関係を深めていった。まるで映写室のトトとアルフレードのように楽しく喧嘩していた。
 翻訳家の仕事を理解したのは絵本を担当してからだった。僕は解釈を変えた。ずっと間違っていたことに気付いた。言葉の本質の意義を。
 伝えるというのは贈り物なのだ。的確な正しい表現より、伝わった時、相手がどう感じるかまでを想定して最適な言葉を探すのが仕事なのだと。子供が読むならなおのこと。あらゆる類義語から本のイメージにあったもの、キャラクターや雰囲気を損ねないように選んでゆく。作者が伝えたかったことがちゃんと分かってもらえるように、丹念に言い方も変えながら。
 その本が店に並び、子供たちが一生懸命読んでくれているのを見ると、ちゃんと伝わってよかったと嬉しくなる。ほしいものを渡せたんだと、相手を思い、伝えてゆくことの大切さをようやく学んだ。
 僕はこちらに来てから「やらない信条」だったものを全部やった。本の宣伝のためにSNS を始め、呼ばれたパーティーで酔っ払ってダンスをし、僕をただの旅行者と思ってイタリア語でアジア人を侮辱してきたレストランのボーイを帰りしなに殴った。警察を呼ばれたが、事情を説明すると、店のオーナーが「客の悪口を言うお前が悪い」と僕を庇ってくれ、お咎めなしで事なきを得た。もちろん殴るのはいけないことだが、我慢するのがいいこととも思わなかったからだ。

 数年前に世界的疫病が蔓延しても僕は日本に帰らなかった。ここで死んでもいいと思っていた。広場やカフェから人が消え、買い物客は長蛇の列を作って、時間制限内に買い物を済ます。そもそも家でできる仕事だったが、やはり教授がいないと寂しい。リモートでの授業が終われば「健太郎飲もう」とビールを互いに用意してそれぞれの部屋で酒盛りした。
 二年が過ぎ、徐々に戒厳令も解かれ、街にも学校にも人が戻り始めた。さらに半年が経つと、二回目の予防接種も国民に行き渡り、マスクをしてるのは観光客だけで、カフェも美術館も営業を再開し、完全ではないが、以前
と変わらぬ日常へ帰ることができていた。行きたい所に行く。会いたい人に会う。こんな当たり前がどれほど素晴らしい「普通」だったかを噛みしめた。木もベンチも街灯も喋り声があることに喜んでいるようだった。

 大学に復帰して間もなく、初めて短編小説の翻訳を正式に依頼された。休んでいいからゆっくりやってこいと、教授は二週間の休暇をくれた。シチリアが舞台の話だったので、せっかくならと二週間滞在することにした。
 インクのような青い空と海。白い壁の建物。石畳の坂道にはカフェや雑貨屋が並んでいる。僕はパラソルの下でコーヒーをのみ、崩れた城跡を巡ったりして過ごし、夜は借りたコテージで翻訳に勤しんだ。一日中潮風に吹かれているせいで、髪や肌がパサパサになっていた。紙とペン。現書。開いたパソコン。コーヒーカップとスマホが琥珀色の灯りに照らされていた。波音しか聞こえない部屋の中。シチリアに来て十日目。なぜか今日は執筆が捗らず、いつもよりも早い時間にベッドに入った。
 翌朝、ある夢を見て目覚めた僕は、どうしようもない寂しさに気付いた。自分が一番求めている人が誰なのか、はっきりと分かった。そしてすぐさまスマホに打ち込んだ。

『今更と思うかもしれないけど
 僕はずっと君が好きだった
 君がいないと寂しい
 僕のすべてが君を求めてる
 君が最高の女の子だって気付いたんだ
 君と古い町を歩きたい
 海の音を聞かせたい
 僕らの遠い憧れがここにあるんだ
 僕はいいかげんな男だけど
 この気持ちに偽りはない
 近いうちに会うことは可能だろうか?』

 携帯を握ったまま、朝の窓に目をやった。鳥のさえずりと新鮮な白い光がカーテンから漏れていた。確信などなかった。あまりに長い時間僕らは会っていなかったからだ。彼女の中にまだ僕はいるのだろうか?
 ふと溜め息を溢した時、着信音が鳴った。名前が光っていた。タップする一瞬、指が躊躇した。この先の言葉が怖かった。どんな結末が待っているのか。だがすぐに打ち消した。諦めなければ展開は変えられる。ハッピーエンドになるまで何度でも伝えればいい。物語は続く。最高の言葉を聞くまで。
 来い!
 祈りを込めて思いきり押した時、窓辺の白い花がきらりと揺れた。



 
      「いいかげんで偽りのない僕のすべて」 完




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