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赤坂見附ブルーマンデー 第2話:徹夜確定演出


 ランチタイムが過ぎると、幕張メッセ会場外の人の往来もだいぶ落ち着いてくるころで、誘導現場の見回りに来た恵君が声をかけてくる。

「コウヘイさん、今日はありがとう。助かりました」

「ああ、間に合ってよかったよ」

「うちのADが、コウヘイさんのことバイトと勘違いしていたみたいで、ふざけた接し方しちゃったみたいでしたが大丈夫でしたか」
 
 やはりそうか。恵君が気を遣って報告してくれたのは救いである。

「最近の奴は舐め切ってるのが多いので、ちゃんと教育しておくんで」

「ああ、全然大丈夫」

「いや、この世界ではそういうのダメなんで。しっかり焼き入れておきますよ」
 
 焼きを入れるって、ヤンキーの世界じゃないんだから。とオレは言わなかったが、恵君なら本当にやりかねない。

「まあ、スタッフは貴重だからさ。優しくしてあげてよ。またうちの仕事請けてもらいたいし」

「優しいんだよね、コウヘイさんは」
 
 そう言って恵君はにやりと笑う。その笑の意図はわからなかったが、恵君はトランシーバーで別のスタッフに呼ばれたらしく、「じゃあ」と言って踵を返し、去っていった。

 その日の展示会は十九時ちょうどに終わり、スタッフはそこでばらされる。オレも現場仕事からようやく解放されたが、普段滅多に出さない声を使い続け、嗄れ声になってしまった。

「恵君、オレの持ち場は終了。そろそろ戻ってもいいかな」
 
 オレは会場のあと片付けを始めている恵君に声をかける。

「あ、コウヘイさん会社戻ります?」

「そうしようとしてたけど」

「なら、クルマで送りますよ。オレも備品とか事務所に返さないといけないんで。もう少し待って頂けたら」

「おお、それは助かる。オレも片付け手伝うよ」

「ありがとうございます。じゃあ、控室の弁当ゴミの回収お願いしていいですか」

 恵君はそう言って、透明ゴミ袋をオレに渡す。
 
 すると、恵君の背後から、大量のトランシーバーを抱えた、うちの社員の一人である桜庭がひょいっと現れて「え、オレも乗っけてってくれよ」と言う。
 
 桜庭は入社がオレより少し先ではあったが、ほとんど同期のような存在である。チームが違うので、あまり会話をしたことはないが、同期組の飲み会で何度か一緒になったことがある。
 
 プロデューサーの忍さんにも、素質ありと太鼓判を押されている期待の若手だ。そう、同期といっても、三十歳のオレの五個下とかだ。
 
 桜庭はもともとテレビ制作会社でADをやっていたそうなのだが、ディレクターを殴り飛ばしてしまったことでクビになり、イベント業界に転籍してきたという人間で、血の気が多い。

 飲み会の時、初対面であるにも関わらず、やたらとオレに絡んできたことがあり、苦手なタイプである。
 
 桜庭のチームには、その他にも佐野さんという、元カラーギャングだったという大宮出身のチームリーダーもいて、誰も彼もが、武闘派の雰囲気をプンプン醸し出しているので近寄りがたい。オレはなるべく、彼らとは距離を置くようにしていた。

「サクさんも会社戻るんですね」
 
 恵君は、桜庭が回収してきたスタッフらのトランシーバーを受け取りながら訊く。

「ちょっとだけ残作業。そのあとすぐに忍さんの飲みに呼ばれているんだけどね」

「じゃあ、一緒に戻りましょう」
 
 現場の片付けも終わり、サティスファクションが担当する展示ブースの見回りも完了となる。 
 
 恵君、桜庭、オレという、珍しい組み合わせで、社用車で帰ることになる。車はボロボロのハイエースで、いろんな社員やスタッフが乗り回しているせいで、ボディの傷や凹みは後を絶たない。いちいち修理に出している時間などもちろんない。

 中には、このハイエースに寝泊まりしたり、現場で口説いたコンパニオンとセックスするために使っている、クソみたいな社員もいるようだ。
 
 オレも、この車は何度も運転している。イベントマンはそもそも免許がないと話にならない。いつでも現場を飛び回り、足りない備品の買い出しや、演出機材の出し入れのために倉庫に行ったりと、車はイベントマンにとっては手足そのものである。

 だが、そのせいでスピード違反や駐禁で、何度キップを切られたことかわからない。免停まで、あと僅かのポイントしかないから、オレはなるべくこの車での運転は避けている。

 恵君の運転で、東京行きの高速湾岸線を進む。助手席が桜庭で、オレは後部座席だ。
 
 カーステレオから、BUDDHA BRANDの『人間発電所』が流れる。我が社の若い連中は、ヒップホップやユーロビートのようなクラブミュージックが大好きなようだ。オレはさしてヒップホップには興味なかったが、ずっと車内で聞かされているうちに、今やイントロのMCや歌詞を諳んじることができる。

「緑の五本指、飛ぶ葉飛ぶ火、赤目のダルマのオジキ・・・」

 恵君が口ずさみながら肩を揺らしている。

「そういえば恵くん、知ってた? ナカッチって、こう見えてすっげー大学出てるらしいんだよ」

 桜庭が突然、オレの学歴について話題を振ってくる。年下ではあるが、彼はオレのことをナカッチとなれなれしく呼ぶ。

 それに、「こう見えて」というのが余計だし、いちいち癪に障った。

「え、そうなんですか?」
 
 恵君はバックミラーを覗き込みながらオレの方を見る。

「いいよ、その話は」
 
 オレは桜庭に牽制した。

「J大学卒業して、二年間はプーしてたんだって」
 
 桜庭の喋り方にはどこか、オレを見下しているような感じがあった。

「J大学って、あのJ大学ですか? えー、まじですか。勿体ない」

「オレたちの時代は<第2の就職氷河期>って言われていてさ、マスコミ関係をいろいろ受けたけんだけど、全部だめだった」

 オレはそれ以上話を広げたくなかったので、けだるそうな感じで返す。だが、恵君は食いつくように話を振ってくる。

「どういう経緯でこんなハードコアな業界に?」

「そうそう、ナカッチはもともと映像をやりたかったみたい。それで映像制作専門の派遣会社に行ったんだけど、なぜかうちを紹介されたんすよね?」
 
 桜庭がオレの代わりに話をする。桜庭には以前、同期での飲みの席で、オレがイベント業界に来た理由を話したことがあった。

「そうだよ」

「映像とイベントか。近いっちゃ近いけど、ぜんぜん違いますよね。でも派遣だったんですか?」

「一年目は派遣で来て、二年目以降、宮戸さんに社員を勧められて社員になった」

 オレは話すのも面倒くさいというように機械的な返事をする。

「なるほど。宮戸さんに気に入られたんですね」

「どうだかな」

「でもすげえや。この業界って、そもそも大卒少ないんじゃないですか? オレなんか高校中退だし、なんていうのかな。アウトローだった奴も多いでしょう? それっていうのは、昔ワルだったやつが、まともに社会人やりたくて、で、一度は大工とか職人の世界に行くんだけど、今どきモテないし、仕事も人間関係もキツいし、稼げないワで、ちょっと華々しいイベント業界に行ってみようか、みたいな。そういう連中が集まる業界だから、中谷さんみたいな人、珍しいですよね」

 恵君はしっかりしているが、もともとは鳶職をやっていて、縦割りの人間関係が嫌でフリーのイベントマンに転身したらしい。恵君も昔は、それなりにヤンチャをしていて、いくつかの武勇伝があるようだった。
 
 オレは家庭環境や受けてきた教育、学歴といったものなどで人を判断する社会というものが、嫌いなタイプの人間だったはずなのだが、いざ自分が社会人になり、弱小イベント制作会社に入ってみると、対人において、どうしても学歴という物差しを使ってしまっていた。

 そこには、どうして大卒のオレが、そうでない人間が幅をきかせられる世界にいるのだという不満と、オレはお前らとは違うと、心の根っこで考えてしまっている卑屈さがあったためだ。

 自分の器の小ささは自覚していたし、そんな自分が、嫌でたまらなかった。だから、今の職場で、学歴云々の話はしたくないのだ。
 
 そうこうしているうちに、車は高速を霞が関出口を降り、国会議事堂前を抜けて、赤坂見附に着く。
 
 このエリアは、すぐ近くにキー局のTGSもあり、大手広告代理店である白鳳堂もあったりと、テレビ制作、広告業界の会社が集中している。オレの会社は、わずか五十人くらいの弱小イベント制作会社であったが、経営陣が見栄を張ってなのか、昔からの業界慣習に従ってなのか、赤坂にオフィスを構えたのであった。

「株式会社サティスファクション」
 
 ローリングストーンズが何よりも好きだという、今の社長が命名した。すべては顧客満足のために、という会社のタグラインは後付けのようだ。
 
 もともと渋谷の道玄坂近くにオフィスはあったようだが、オレが入社するころには赤坂見附に移転していた。
 
 オフィスがあるビルに着くと、恵君たちと一緒に備品の片付けや、会場から持ち帰った大量の弁当ゴミの後処理をする。家に着くまでが遠足、ではないが、イベント現場は髪の毛一本残さず、あるものすべての片付けを終わらせるまでが本番である。

 イベント現場自体は、さまざまなテクニカルな機材を使った舞台演出にブース装飾、派手な衣装を纏ったコンパニオンの登場や、ごった返す来場者たちと、見た目はとても華々しいものではあったが、現場が終われば当然ながら撤収というものがあり、その後始末をこなしているのはオレたちのような裏方スタッフなのだ。

 恵君と別れるころには二十一時をまわっていた。
 
 宮戸さんにメッセに行けと命じられてから十二時間以上。すでに疲労が蓄積していた。

 だが、宮戸さんからは、企画書の作成が残っているからと、会社に戻れと言われていた。

 宮戸さんが企画書をすでに終わらせていて、今日はもう帰っていいよという言葉をどこかで期待しながらオフィスに入る。

 まだ数名の社員が残っていて、お疲れさまと声をかけられる。

 オレのチームのシマには、宮戸さんだけがいて、黙々とPCの前で作業をしていた。カタカタとキーボードを鳴らし、今は話しかけるなというオーラ全開である。

 企画書の仕上げに入っているのだろう。

「戻りました」
 
 オレは鞄をデスクの脇に置きながら、宮戸さんに恐る恐る声をかける。
 
 宮戸さんは振り返ることなく「お疲れ」と囁くような小声で返す。
 
 すでに気力を失っていた体を振り絞って、PCを立ち上げる。椅子に座ると、どっと疲れが溢れ出てきた。

「企画書、どんな感じなんですか?」
 
 宮戸さんに声はかけづらかったが、声をかけない限り、やることがわからなないと思い、宮戸さんの顔色を伺った。
 
 すると宮戸さんはタイピングしていた手をぴしゃりと止めて、物凄い形相で睨みつけてきた。やはりタイミングを間違えたかと思い、オレは身構えた。

「全然ダメだ」
 
 宮戸さんは頭の後ろで手を組みながら、わざとかと思えるくらいに大きな溜息を吐く。

「お前にお願いしていた調べものと素材集め、全然ダメ」

「え」

 途端にオレの背筋は凍り付く。

「全部オレがやり直した。おかげで本番作業はこれからだ」
 
 宮戸さんは、わなわなと声を震わせながら「あと五十ページもあるぞ」と嘆く。

「ご、五十ページ? 締め切り、大丈夫なんですか?」
 
 オレは他人事のように驚いた声で訊き返してしまった。

 それが、よくなかった。

「ふざけんな。誰のせいでこうなっていると思ってんだ。いい加減な仕事しやがって」
 
 宮戸さんのいつもの怒鳴り声がオフィスに響き渡る。
 
 だが、それに対して他の社員が反応するということはない。これがむしろ日常茶飯なのだ。

「代理店には泣き入れて、締め切り伸ばしてもらった。明日の朝一だ」

「ということは」

「あと十二時間の猶予がある」
 
 オレはオフィスの時計に目をやる。すでに二十二時をまわっていた。
 
 どうやら、徹夜確定のようだ。

「ページ作業の割振りはあとで指示するから、お前はいったん飯食ってこい。食い過ぎには注意。眠くなっちまうからな。あと、酒は絶対入れるな」
 
 オレはいったん外に出て、外堀通りを駅の方に向かって歩くと、いつものラーメン屋に入った。

 うんざりだ。肩の力は完全に抜けきっていた。



続く


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