なぜ今、スピノザが求められるのか? ~昨今のスピノザブームを私なりに考えてみる~

昨今、スピノザブームといってもよいくらいの現象が日本で起きている。きっかけは、國分功一郎の『スピノザ エチカ』(NHK出版・NHK 100分de名著)であることは疑いようがない。

そこからである。スピノザに関連する新刊が、毎月毎月発売され、ついには岩波書店より、待望の『スピノザ全集(岩波書店)』が刊行されることになったのだ。むろん、日本におけるスピノザ研究の歴史は長い。スピノザ協会というスピノザ研究における専門家たちの集まりもあれば、スピノザ関連著作というものは、昭和の時代からさまざまに刊行されている。

だが、スピノザという哲学者は、プラトンやアリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッガーらと異なり、きわめてマイナーな存在であった。アカデミズムや哲学玄人の読者においても、スピノザは哲学の本流ではありえない、スピノザはアリストテレスやスコラ哲学の基礎さえわかっていない、という空気感は間違いなくあった。少なくとも私が学生だった20数年前までは。

他の領域において例えるなら、スピノザは、映画史におけるアルフレッド・ヒッチコックである。ヒッチコックは今でこそ現代映画のあらゆる礎を作り、のちのさまざまな映画作家に影響を与えている巨匠中の巨匠であるが、フランスのジャン=リュック・ゴダールらによって「アメリカ作家主義」として見出され今のような評価を得た。ドゥルーズらがスピノザを再評価し、今のスピノザの位置を作り上げたように。

ヒッチコックの重要さは、ヒッチコック以前以後として語られるくらいではないだろうか。アメリカの社会学者カミール・パーリアは、「私はヒッチコックをピカソ、ストラヴィンスキー、ジョイス、プルーストと同等の位置におく」と述べている。

それと同じように、スピノザ以前以後という形で哲学史も語れるであろう。スピノザという存在は、哲学史、いや、人類の知の系譜における「特異点」とさえ言えるのだ。スピノザ研究の第一人者、上野修はスピノザを「彗星の哲学者」と表現している。

フォイエルバッハドゥルーズはスピノザを現代のモーセやキリストに例えた。曰く、「どんな偉大な思想家もスピノザの使徒にすぎない」

スピノザと同時代の天才ライプニッツはスピノザへの畏怖を隠しきれなかったし、ホッブズもスピノザは「自分の思想のより先へいっている」とした。ドイツでのスピノザルネサンスは、フィフィテやシェリングらのドイツ観念論を生み、カントへも影響を与えた。スピノザとの格闘からカントの超越論が生まれ晩年のカントはスピノザの神にこだわった。

イギリスにおいてはロックが、経験論のヒュームが、スピノザからの影響を受けていたということについては、最近の研究で明らかになっている。18世紀フランス自由思想においてはルソーに影響を与え、『社会契約論』はフランス革命の引き金となる。ミルやモンテスキュー、ヴォルテールらも、「地下写本」として流通していたスピノザ思想に触れている。

そしてヘーゲル「全ての哲学はスピノザがら始めなければならない」と言い、ニーチェ「自分は孤独ではなかった、スピノザがいたのだから」と共鳴を隠さなかった。20世紀、最も世界的な影響を与えたであろう大著『資本論』を生んだマルクスエンゲルスにも勿論、スピノザ的思想の土壌がある。

とまあ、スピノザ以後については、いくらでもそのような影響が語られるのだが、それらはフランスで起きた「スピノザルネサンス」や、スピノザ研究者によるアウトプットの成果であると言えるのだが、いわゆる、哲学にまったく馴染みのない一般層にまで広がりを見せるという現象は、本当にここ最近の現象だと思われる。

そのきっかけが、國分功一郎であるにしても、やはり現在の日本という時代背景が大きく関わっており、いかに今のわれわれが、スピノザ的な思想を希求していたか、ということなのだと思う。それくらい、今の日本には、未来への展望も希望もない、目的なき時代に突入、あるいは混乱する世界情勢の中で、人生の意味とは何か、働くとは何か、家族や仲間とは何か、民族とは何か、はたまた人間とは何か、と問わずにはいられないくらいの、既存していた価値観の揺らぎ、転換が起きている、ということなのだろう。

このあたりの論点は、近年、さまざまな有識者や評論家においてさんざんに語られているところではあるので端折るが、日本の哲学者、柄谷行人はこのことをすでに1990年代の頃から、『探求1・2』や『ヒューモアとしての唯物論』『言葉と悲劇』の中で繰り返し論じてきたことであり、現代の価値観がようやく柄谷思想にも追い付いてきた、ということは指摘しておきたいと思う。國分功一郎の仕事、『目的への抵抗』『中動態の世界』などは、その延長にあるといってよいだろう。

柄谷がスピノザに注目していた1990年代には、一般層には受け入れられず、國分が受け入れられている現代、この差異は一体なんであろうか。スピノザを先行して論じていた柄谷やスピノザ研究者と、今になって「國分を通してのスピノザ」が受け入れられているのはなぜなのか。

一つは、これもよく論じられていることではあるのだが、アメリカの覇権、グローバリズムの全盛が1990年代であったこと。2001年の同時多発テロをきっかけに、アメリカおよびアメリカの支配システムにおいてあった世界が変容を見せ始めたということ。これは指摘できる事実であろう。

1990年代の日本において、アメリカの資本主義勢力、グローバリゼーションの価値観は、圧倒的な支配を持っていた。自由主義の旗のもと、いかにお金を稼ぎ、成長(企業も自分も)し、勝者になるか。その価値観が占めていた時代の空気においては、スピノザ思想が入り込む余地は、ほとんどなかったといってよい。勝者になるためには、自分を高めるには、そんな自己啓発本ばかりが書店に流通していた。


スピノザ思想はせいぜい、資本主義世界へのカウンターとしての思想でしかなく、それゆえに柄谷やネグリ、ドゥルーズらによって援用されるという形をとっていたのだが、2000年代に突入し、アメリカ支配が綻びを見せ、その覇権が崩壊しかけつつある今、「絶対的な価値観」の不在という混沌とした状況が、スピノザ思想を必然的に手繰り寄せているのだといえるのかもしれない。

金でもない、名誉でもない、地位でもない。勝ち抜くことでもない。これまで絶対とされていたグローバリゼーション的な価値観がきわめて脆い相対的なものにすぎないと分かった今、そんな価値観の範疇外にあるものへの希求。スピノザに限らず、キリストや仏陀といった宗教思想への回帰があるのも、やはり人間の根本的な価値観である「よりよく生きる」にはどうすればよいか、ということが何よりも求められていることなのだろう。

そしてこの「よりよく生きる」ための方法や考え方は、生きている人間の数だけあってよい。そんなことを教えてくれるのがスピノザの思想の一局面でもあるゆえ、現在において広く受け入れられているのだと思う。

だが、間違ってはいけないのは、スピノザを読むことで、その「よりよく生きる」方法がショートカットで手に入るというわけではないということだ。

スピノザ思想は、ものすごくシンプル化すれば、この世界には「自由なし」「目的なし」「意味なし」「価値なし」「善悪なし」「道徳なし」の、きわめてラディカルでストイックな世界観である。そして、そんな無慈悲で、無機質な、ただただ生成していく宇宙の因果関係の只中の存在でしかない人間、というものをしっかりと認識したうえで、なお、私はこの世界が愛しい、この世界という神が愛しい、と思えるようなマインドのシフトチェンジが必要なのだということは、理解しておかなければならない。

したがってスピノザの姿勢は、ある意味では非常に楽天的であると同時に、とても厳しい、きついものです。「完璧な人間」ということは、途轍もなくきついことだと思います。スピノザがいたということは、僕を勇気づけてくれるのです。

(柄谷行人『言葉と悲劇/「スピノザの無限」』より)

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