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私の父が、本(句集)を出したらしい

 私の父は、仕事を引退してから、俳句三昧の生活を送っている。ずっと公務員をやっていたのだが、その時から趣味で俳句をやっていて、今では俳句教室を持ち、弟子を何人も抱えているとのことで大忙しのようだ。公にしているプロフィールには以下のようにあるので、よくわかってはいないが、すごそうだ。俳句教室を10か所以上も掛け持ちしているのである。

昭和57年より轡田進より俳句を学ぶ
昭和58年若葉入会・平成16年若葉同人
平成23年すみれ句会発足
平成28年俳誌「すみれ」創刊主宰
俳人協会会員 三郷市文化協会会長 句集に「歌垣の山」
現在、三郷市で俳句教室9か所、武蔵嵐山 教室、おおみや市春岡教室、松戸市笹句会 で指導

 父が出した一冊目の句集は自費出版だったと思う。今回は、東京四季出版という出版社から出るとのことであった。私にも本が送られてきた。

 中身を見て驚いた。『神の滝』と題し、あきらかに熊野からインスピレーションをうけてこのタイトルをつけていることがわかったからである。

見えてゐてなほ近づけず神の滝

家内と熊野古道を歩く計画を立てた。紀伊勝浦駅からバスに乗り大門坂で下車して、そこから歩いた。石畳の「大門坂」を上り、熊野那智大社から那智の滝へと歩く。途中から急峻な山路を下るのだが、石の階段は高齢の我々にはきつかった。滝が樹木の間から見えているのに容易に辿り着かない。これはわが俳句道と通じると思えた。

あとがきより


 熊野といえば、私にとっては中上健次である。私の父は、私と同じく若い頃は文学を志していた人間ではあったけれど、小説ではなく俳句のほうへと向かったので、中上健次は読んでいないはずである。熊野イコール中上健次というわけではもちろんないのだけれど。

 私がまだ大学生だった頃、父とよく食卓で文学の話を交わしていた。どんな本を読んでいる?と父に訊かれ、私は躊躇しながらも「中上健次」と答えた。なぜ躊躇したかといえば、父が中上健次の名を知っているはずがないと思ったからだ。実際に知らないようだった。

 父の書斎には、夏目漱石や志賀直哉、泉鏡花の全集が綺麗に並んでいた。父が不在の時、幼い頃の私はよく、その書斎に忍び込んでは本棚を眺め、本を手にとって読み耽るという時間を過ごしていた。その影響もあり、私はいつしか文学を志す人間になっていた。

 私は知らないうちに父からの影響を受けていたのだ。これも親子の因果かなと思っていたわけだが、ここにきて「熊野」が繋がってきたのは、単純に驚きであったし、面白いな、と思わずにやりとしてしまった。

 本を受け取ってから、私はすぐに父にメールした。

「句集届いたよ。モチーフが熊野なんだね。熊野は自分も行ったことがあるよ」

 実際に私は熊野に行ったことがある。中上健次の墓参りのために、彼の故郷である和歌山の新宮へ行き、それから熊野、那智、勝浦、白浜、田辺と紀伊半島を一周する旅をしたことがあったのだ。

 どうやら父も驚いたようだ。「なんでお前が熊野に?」という感じであった。私は中上健次のことは触れなかった。

 父は健在なようだ。私もまだまだ頑張らないとな、本を手にして素直にそう感じることができた。今度、実家に帰ったら熊野のことを話題にしながら酒でも酌み交わそう。


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