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ポストに入った透明の手紙

朝の水やりの後、玄関を掃除して家に入ろうとしたとき
ふと、ポストに手紙が入っている気がした。

開けて見ると何もない…。
蓋をしようとしたが、そこに手紙があるような気がして…。
…ある。

なんだか有難い気持ちになった。
両手で手紙を受け取った。
そして玄関に入って開けて見る

そこには、
「分かってごらん。信じてごらん。」と書いてあった。

なんのことか?!
とは言っても、思い当たる節がある。
ひとつ、ふたつ…。
もしかしたら全部に於いてのような気がした。

私は我が強い。
私が私がってなっちゃう。
これを朝出る時に「ワークをしよう」と思っていた。

そうだと思って決めてかかるところがある。
ここのところ、それをよく感じさせられる。
ああ、私だなって。


【透明の手紙】

透明の手紙には、こう書いてあった。

「分かってごらん。信じてごらん。」
そう、私は投影してしまう相手には信じきれない思いをもつようだ。
それは私に限らずかもしれけれど、同じところを堂々巡りしているのを感じている。何十週かしてまた今このタイミングがやってきて、今度はなんとか及第したい思いだ。一度には難しくても少しずつでも…と拝みたくなるくらいだ。

「分かってごらん。信じてごらん。」には、
「分かる気持ちをもってごらん。信じる気持ちをもってごらん。」と、
言われているんだろうなと思う。

それは、相手の気持ちに「寄り添う」とか「敬う」とか、
「尊重」という言葉で表されるような気がしてて。

そして「私が私がってなっちゃう、そういう私を見てごらん。そこにいるよ」「ほらほらそこに」って…。


【水やりの三秒の間、クマゼミ鳴く】

冬に咲くクリスマスローズに「暑いね」と声を掛けながら水をやっていた。
そうすると不思議に三秒程度の間があって、
ジジジではないけれど、そんな感じで蝉を感じた。またもや蝉。
今年はよく蝉に語られる。

その蝉がなにかモノ言いたげに話してくるようだった。
蝉は、心のむにゃむにゃをはっきり言葉にせず、濁しゆっくりとシャーシャー鳴きだした。今回はクマゼミ。

「暑いのは当たり前だろう」と言いたかったんだろうか?

それとも「またお前は、そうして考えに耽っているんだ?」
「なぜいつもそんなことをしているんだ?」
「私には分からない」と、思っていたのだろうか?

いや、思っていたのだろうか?ではなく、私がそう自分に思っただけのこと。それを言葉の気づきとしてくれたのがクマゼミだったってこと。


【もの思いに耽る】

そうなんだ。最近もの思いに耽っている。
いいことを思う時には大概「もの思いに耽る」とは言わない。
しかしなんだか落ちてるなぁと思う。
でもそれが本当にならないように、頑張って毎日のルーチンをこなしている。


【哲学の書】

哲学の本は、入門書の読みやすいものを3冊くらいを平行して読んでいる。
入門書でもなんだか難しかったりするので、少しづつ読み進めている。
中でも、人のことを書いているのは面白く感じる。

スピノザを最初に借りて、まだ1/6程度しか読めていない。
スピノザの破門にまつわることが書かれた最初の章がまだ読み切れていない。早くスピノザの「自由」のところを読みたいが、順にと思っている。
やっぱこの人のを先に読もう。次のが待ってる。

2、3日前に本屋さんで探したのだけれど、「ストア派」というもの。掌サイズの薄手の本。これが「序」を読むだけで、ちょっと、いやだいぶ「うへー」となるけど、頑張ろう。その他も探しつつ読みたい。私に必要なもの。


【哲学を脳に、心に、身体に】

元々考えることが好きな私の子どもの頃、身近に哲学者が傍にいたら何を考えていたんだろうかって思う。もっと世の中の為に脳を、心を使っていたんじゃないかって思うなぁ。

いい歳をして…ではないけれど、この世のこと、成り立ち、世の中のこと何も知っていない。哲学の本を読むと、そういう考え方があるとか、そうなんだなぁと思ったりする。私以外の考えが私の中に入ってくるのが嬉しい。

世の中は知らないことだらけ。この哲学の本は、私に私でいいって言ってくれるもののような気がしている。世の中には人の数だけ哲学があって、それぞれの考えはそれぞれでいいんだから。だから沢山哲学の本を読んで、世の中への理解にしたいと思うし、私自身への理解にもしたい。なんかそんな気がする。毎日、一歩一歩と歩く。


そんな感じ🍊
2024.08.08
本日もお読み下さりありがとうございました。










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