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宗教や信仰についての雑記 #179

◯洞窟の比喩

先日の投稿(#168)で、「思考とは現実そのものを分解してそれを再構成した、言わば現実を原型としたモデルのようなものであって、現実そのものではないということだと思います。」と書きました。それに関して「洞窟の比喩」を思い出しました。

洞窟の比喩とは、古代ギリシャの哲学者プラトンが『国家』第7巻で用いた、「善のイデア」を説明するための比喩です。

その内容は以下のとおりです。
洞窟の中に囚人が鎖でつながれており、生まれてからずっと壁にしか向いていません。洞窟の奥には火があり、その背後に人々が人形を持って通り過ぎます。火の光によって人形の影が洞窟の壁に映し出され、囚人はそれを現実だと思い込んでいます。
ある日、一人の囚人が解き放たれ、洞窟の外へ出ていきます。囚人は最初は太陽の光に目がくらみ、何も見えません。しかし、徐々に目が慣れると、地上にある美しい景色を見るようになります。囚人は地上で様々なことを経験し、真の現実を知ります。
囚人は洞窟に戻り、仲間たちに地上での経験を話しますが、彼らは信じてくれません。

この比喩では外の世界の太陽を「善のイデア」、洞窟の中の影絵を普段我々が現実だと思っているものを表しているようです。

私はこの比喩は宗教にも当てはまるように思います。
世界中の既存の宗教は、言わば「影絵」のようなものであって、その向こう側に真の「実在」のようなのがあるように思います。
我々はそれを認識できません。それは我々の言葉や思考を超越したものだからです。でも、ときに微かにそれを感じることがあるかもしれません。

今、様々なところで観られる宗教による確執や対立を乗り越えるためにも、たとえ非常に困難であっても、その「実在」を感じ取る努力を続けるべきなのではないかと、そんなふうにも思うのです。

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