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「20代で得た知見」を読み切れなかった話②
https://note.com/joyous_lotus448/n/nf31e7ded271d の続き。
◎私の世界が切実さに溢れすぎている
なぜ、3ミリ程度浮いた「エモ」はわたしにとって咀嚼しづらかったのか。
わたし自身の推察だが、それは今のわたしの世界が切実さに溢れすぎているからではないかと考えている。
Fさんの別の本を読んだとき、私は大学生であった。今、わたしは26歳である。大学生だったあの時と、今とでは人生の穏やかさが全然違うように思う。毎日が切実である。
わたしは、切実性には大なり小なり「刺激」が伴うものと考える。
つまり、どういうことか。
繰り返すが、今のわたしの現実世界には切実性に溢れている。前述した論理に従って考えるとそれは、今のわたしの現実世界には刺激で溢れているということになる。
今のわたしは、きっと、その刺激に慣れすぎてしまっているのだ。
最終的な答えとして、わたしが現実世界の刺激に慣れすぎて、現実よりも刺激の少ない世界が退屈に感じてしまっている、ということだと思う。
だが、それが悪いことだとは思わない。
人間、あらゆる物事にタイミングが付きまとう。ただただ、わたしの今の人生のタイミングに、本書を読むべきタイミングが合っていなかっただけのことである。
いつかまた、人生に穏やかさが訪れたとき、わたしはこの本を手に取るだろう。
◎おわりに
おわりに、おまけ的な意味でこの本を今読むべき方、おすすめできる方について書き置いておく。
・エモそのものだけを吸収したい人
・単純に20代で得た知見についてだけ知れたら良い人
・現実世界が切実さに溢れていない人
・逆に、切実さから離れたい人
以上である。
読み切った人にはぜひ、感想をお聞きしたい。
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