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小説|腐った祝祭 第一章 42

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 サトルは寒さに目を覚ました。
 空調設備が壊れていない限り、部屋が寒いわけがなかった。
 実際、目が覚めてみると特に冷気は感じなかった。
 しかし体が震えたのだ。
 隣を見ると、ナオミがいなかった。
 サトルは慌てて部屋の中を見て回ったが、ナオミはいなかった。

 ミリアの部屋に電話をかけ、ナオミを探すよう頼んだ。
 クラウルも電話で起こした。
 クラウルは警備員たちに連絡をすると言って電話を切った。
 サトルは屋敷を探しまわり、使用人たちも公邸と本館を手分けして探してくれた。
 サトルは廊下でミリアと鉢合わせた。
「こちらにはいらっしゃいませんでした」
「部屋を一つずつ見ていったのか?」
「はい。ああ、でも、もう一度奥まで探してみます」
「頼むよ。いったい何を考えてるんだ。こないだは起こしてくれたくせに……」
「以前にもこういう事が?」
「ああ。屋敷を散歩すると言って起こされたんだ。夢遊病ではなさそうだったけど」
 サトルは頭を抱えて、そして思い当たった。
「屋上は?彼女は屋上にはまだ行ったことがない筈だったね?」
「あ、そうですわ。今鍵を持ってきます」
「ナオミが行ったんなら鍵は開いてるだろう」
 サトルは屋上に向かって走り出す。
 ミリアも付いてきた。
 屋上に出る踊り場に駆け上がり、ドアを開けようとしたが鍵はかかっていた。
 壁を見渡す。
 非常用と書いてあるガラスケースが壁に取り付けられていて、中には斧が納まっている。
 サトルはケースを叩き割ると斧をつかみ取った。それでドアのノブのあたりを滅多打ちにして壊すと、ドアを蹴破り屋上に出た。
 外はちらちらと雪が降っていた。
 屋上にも雪が積もっている。
「ナオミ!」
 ミリアと走り回ったが、ナオミはいなかった。
「クソ!」
 サトルは忌々しげに悪態をつき、裏庭を見渡せる場所まで歩く。
 ミリアには中庭を見るように指示する。
「まさか、こんな夜中に外にお出になることは…」
「判らないよ!彼女の考えてる事なんて!」
 裏庭に向かって、サトルはナオミの名を叫んだ。
 ミリアも同じように呼んでいるのが後ろから聞こえる。

 サトルたちの声が聞こえたからか、庭の外灯が全て点灯した。
 警備員たちが点けてくれたのだろう。
 庭でパーティーを開く時のために用意されている分の外灯だ。
 サトルは目を凝らした。
 そして、庭の奥の方の地面に黒い影を見つけた。
 それがナオミでないなのなら、いったい誰だというのだろう。
「ナオミ!」
 サトルは叫んで屋上を出た。
 階段を駆け下り、裏口から庭へ出る。
 雪はまだ歩きにくいくらいに積もっている。
 ナオミがここで雪だるまを作った日のことが頭を巡っていた。
「ナオミ!」
 屋敷の中が騒がしくなっていた。
 警備員がサトルの後を追って走ってくる。
 そんなことはサトルの意識に入っていなかった。
 徐々に黒い影がはっきりしてきた。
 ナオミが雪の上に倒れていた。
「ナオミ!」
 ナオミはグレーのトレンチコートを着ていた。
 中には薄い絹のナイトドレスだけだ。
 頬やコートに雪が積もっていた。
 サトルは跪いてナオミの体を抱え上げた。
「ナオミ」
 声をかけても返事をしてくれなかった。
 目も開けてくれなかった。
 頬の雪を払う。
 頬が驚くほど冷たかった。
 雪のように冷たかった。
「閣下……」
「お、お嬢様!」
 警備員の一人が大声を上げて膝を地面についた。
 サトルはナオミの手のあった近くにジンのボトルが転がっているのを見つけた。
「医者を呼んでくれ」
 サトルは言った。
 警備員は言葉に詰まって返事が出来なかった。
 サトルはナオミを抱えて立ち上がる。
「早く!」
 怒鳴ると、やっと警備員は返事をして屋敷へ向かって走り出した。
 膝をついている一人に言う。
「君はその瓶を持ってきてくれ」
 サトルはナオミを抱えて屋敷に戻った。

 近所に住んでいるかかりつけの医者は、十分程度で来てくれた。五分遅れで制服の男も入ってきた。
 サトルはナオミを抱えたまま椅子に座っていた。
 テーブルにはジンのボトルが置いてある。
 中身は空だ。
 こぼれたのか、わがままな娘が飲んでしまったのか。
「閣下」
 サトルの座る椅子の前に膝をついていた医者が、申し訳なさそうな声を出した。
「残念ですが、もう」
「死んでるのかい?」
「……はい」
「そう。やっぱりね。なかなか体が暖まらないから変だとは思ったんだよ。息だってしてないんだから」
 クラウルの泣き声が聞こえてきた。
 それで、彼もこの部屋にいるのだとサトルは気付いた。
「そうか。そこにいる制服姿は警察官か。ご苦労様。これは捜査の対象になるのかい」
「状況から見て、事故死、あるいは……自殺かと」
「彼女が自殺する原因があるって?来月、正式に結婚する予定だったのに。もしそうなら酷いよ、ナオミ。なんて酷い女だろう」
 ナオミは反論しなかった。
 医者はテーブルの上のボトルをとって警察官に渡した。
「私の見解では事故死です。酒を飲んで外に出て、そのまま眠ってしまったのでしょう。実に不幸な、事故です。お、お優しくて、良い方…でした」
 医者の語尾まで涙に包まれた。
 しかし医者は持ち直して、言葉を続けた。
「私に、検視を依頼してください。検視調書は私が書きます」
 二人の間で事務的なやりとりがされているようだった。
 サトルはどちらにともなく聞く。
「ねえ、死んでるんなら、こんな暖かい部屋にいるのはまずいよね」
 医者が振り向いた。「ええ」と言ったが、声は出てこなかった。
「じゃあ、庭に出ていよう。いいかな?お巡りさん。裏庭はナオミのお気に入りだしね」
 サトルは返事を待たずに椅子から立った。
 警察官はおどおどした様子でクラウルに助けを求めた。
 クラウルは「閣下…」と、やっとの思いで呟いただけだった。
 サトルにはどうでもいい事だった。
「彼女の体が硬いんだ。とても抱えにくいよ」
 そう言いながら、ナオミを抱えて部屋を出た。
 廊下には使用人たちがずらりと並んでいた。
 すすり泣く者もいたし、サトルが出てきた途端に泣きだす者もあった。
 立っている者ばかりでなく、しゃがんでいる者もあった。
 でも、どうでもよかった。
 庭に出て行く前に大事なことを思い出した。
「そうそう」
 サトルはナオミの顔を見ながら言った。

 なんて可愛いんだろう。
 穏やかな顔でよかったね、ナオミ。
 とても可愛いよ。

「誰か、棺屋を呼んでくれよ。サイズを測るんだ。ピッタリのサイズじゃ駄目だよ。余裕を持ってね。そうだな、ダブルベッドくらい大きい方がいいな」
 雪の地面にサトルは座り込んだ。
 ナオミの髪を顎で撫ぜる。
 手はナオミを支えなければならないので使えないのだ。
「夜中でも起こせって言っただろう。どうして約束を守らないんだ、君は。起こされたって、私は怒ったりしなかっただろう?何とか言えよ。黙ってたらキスするよ」
 黙っているのでキスをしたが、ナオミは文句を言わない。
 とても冷たい唇だった。
 綺麗な桜色が、薄紫になっていた。
「そうだ。国にも連絡しないといけないね。いいチケットを手配するよ。キャビアも食べ放題だ」
 サトルは唇を噛んだ。
「大丈夫。寒いだけさ」
 ナオミを抱きしめた。


(第一章 終)

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