小説|腐った祝祭 第ニ章 1
ルル国内には地域ごとに中心的な存在の教会があり、様々な祭事を行うのにそれらは利用されている。
これは強制ではなく、自分の住む地域以外に気に入った教会があるなら、そこを利用するのにはなんの問題もない。
サトルとナオミの結婚式が、まったく違う土地の教会堂で挙げることができたのも、その例だ。
大使館のある地域の教会は、T字型の聖堂を有していた。
サライ・レノ・トゥーダを広くして、アプシスの両側に長く腕を伸ばしたような形だった。
正面に向かって左側は、設立当初は病院だった。右側は居住区だ。今は修道院になっていて、修道士たちは祭事ごとの世話をやいてくれたり、災害などが起きると支援活動に赴いたりしている。
ナオミの棺は、二人のベッドほどではないにしても、標準よりは大きなものだった。ナオミは小柄な方だったが、内部の縦幅は2メートル、横幅は1.5メートルほどあるだろう。
深いグリーンの光沢のある美しい外観の棺だ。
白いドレスに着替えたナオミがそこに横たわっていた。
周りは白いバラの花びらで埋め尽くされている。
棺の内部には保冷剤が敷き詰められているのだが、もちろんそれは外部から見えないように気を利かせてあるのだ。
そしてもう一人、白バラに足をうずめている男がいた。
サトルがナオミの顔の傍に座り込んでいる。
彼は葬儀の間ずっとナオミを見ていた。
そして時々髪を触った。
ルル国教会が行う葬儀はシンプルなものだ。
始まりに牧師が何らかの善い話をして、修道士がオルガンを弾き、修道士と弔問客らが賛美歌を歌い、献花をして帰っていく。
葬儀中は修道士がオルガンを弾き続けるか、その他の音源で音楽が流されるのが通例だ。
サトルは手持ちのアヴェ・マリアのレコード持ってきて、牧師にエンドレスでかけてくれと頼んだ。牧師はそうしてくれた。
自宅などで別れの会を開いても構わないが、通常はパーティーがない方が多い。
あとは教会の手伝いを受けて、身内が墓地に棺を運び埋葬する。
それで終わりだ。
弔問客の多くは棺の中のサトルを奇異な目で見た。
多くの者は理解した。
そしてほとんど全ての者が同情した。
誰も声をかけなかったし、牧師も声をかけず、サトルの好きなままにしてくれた。
棺の前に献花台が設けられていた。
初めの頃は知り合いの貴族や金持ちが花を手向けに来たようだった。
順番が決まっている訳ではないが、何となくそういう事になっているらしい。
それから学者や、縁のある機関の職員や、画家や建築家が花をくれた。孤児院のシスターも、数人の子供たちを連れてきていた。見知らぬ顔の大人達や子供達も訪れ、大使館の職員たちは最後の方に来てくれた。
その頃になって、年配の見慣れぬ夫婦が聖堂に入ってきた。
傍にクラウルが付き添っていた。
ということは、ナオミの両親なのだろう。
夫人は献花台に手をついて体を支えていた。
そしてハンカチを取り出し涙を拭った。
夫は硬く握った手を体の横に降ろし、背筋を伸ばした立ち姿でナオミを見ていた。
そして呟いた。
「ナオミは、こんなに美人だったかな」
サトルは義理の父になるはずだった男を見た。
「ナオミさんは美人ですよ。こんな綺麗な人を私は知らない」
男は何故かサトルを睨んだ。
きっと軽口に聞こえたのだろう。
サトルにとっては心外なことだったが。
サトルはナオミに目を戻す。
「こんなことになるのなら、もっと早くに…」
「来て下さればよかったのです。ルルに」
「違う。呼び戻せばよかった」
「ナオミさんに帰る気はありませんでした」
「そんなこと、今となっては判らないことだよ。君が引き止めたんじゃないのかね」
「彼女の手紙にはそう書いてありましたか?」
男は答えなかった。
「お伺いしたいのですが」
「なんだね」
「ナオミさんを、連れて帰られるのでしょうか」
「当たり前だ」
「墓地は用意しています。ルルで埋葬することをお許し願えませんか?彼女はこの国をとても愛していました」
「勘違いしないでもらいたいんだが、サトル君」
サトル君などと呼ばれたのは何年ぶりだろう?
「私はナオミの父親だ。そして君は、ナオミの単なる知り合いだ」
「私は結婚の約束をしていました。それに、私たちの間では既に夫婦であるという認識がありました。後はあなたの許可だけが必要だったのです」
「許可していない。つまり君は、ナオミにとっては赤の他人だ」
「彼女は大人です。両親の許可など正式な手続きに必要はなかった。しかし彼女は両親に認めてもらいたいと言い、私もそれに従った。その誠意は汲んでもらえないのですか」
「許可していない。私の返事はこれだけだよ、サトル君。私たちが君に好感を持てると思っているのかい?私たちにとって君は、娘を奪ったあつかましい男でしかないんだよ」
「どうしても連れて帰られますか」
「ああ」
そうなる予想はしていたし、そうなる筈だとも思っていた。
「火葬ですか」
「当然だ」
「彼女が焼かれて消えてしまうなんて私には考えられません」
「君は土葬にしてナオミを腐らせたいと言うのか」
夫人が献花台に手をついたまましゃがみ込んだ。
女中の誰かが隣に駆けより、声をかけてくれたようだった。
「出来ることなら、彼女をこのままの姿で冷凍、」
「もう何も言わないでくれ。君とはあまり話をしたい気分ではないんだ。ナオミは連れて帰る、そして私の国の、家のやり方で葬儀をする」
「私はそれに口を出すことはできませんか?」
「出来ない」
サトルはしばらく黙った後に、「仕方ありませんね」と、呟いた。
「話はしたくないが、私も君に聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょうか」
「この国ではこんな大きな棺を普通に使っているのかな」
「そうですね。これは少し大きめだと思います」
「なるほど。それで、君が棺の中に座っているというのは、この国の風習なのかな」
「多分、そんな風習はないと思います。私の知る限りでは」
「そうか。それで君は、自分の態度が、ナオミや私に対して失礼だとは思わないのかね」
「そうですね。あなたには失礼だったかもしれませんね」
サトルは微笑んで、ナオミの髪と頬をそっと撫ぜると、棺から出た。
中に入るために修道士に持ってきてもらった踏み台に立ち、自分が潰してしまった花びらを除けて献花台の上に置いた。
それから穴埋めするようにふわりと花をかき混ぜて、丁寧に棺の中を整えると、下に降りた。
ナオミの父親はサトルより背は低かったが、横幅はがっしりとした男だった。
「言っておくが、こんな大きな棺は持って帰れない」
「白木の棺をこちらで用意します」
「それは助かる」
「一つだけ、私の願いを聞いてください。彼女の服はこのままで。これから着替えさせたり、化粧をしなおしたり、そんなことはしないで欲しいんです。彼女をこのままの姿で、荼毘に付していただけませんか」
男は間をおいて言う。
「私だって、ナオミをこれ以上わずらわせたくない。そうしよう」
「ありがとうございます。飛行機はこちらで手配します。明日でよろしいですか?今日は大使館にご宿泊を。彼女の荷物もありますし」
「ありがとう。この国のことはよく判らないから助かるよ。君に聞きたいことは他にもあるし、ナオミの死んだ場所も見ておきたい。ナオミの指にはめてあるその指輪。君からもらったようだね」
男はサトルの左薬指を軽く指差す。
同じデザインの指輪だ。
「ええ」
「それは外した方がいいんじゃないのかね。どうも高価なもののようだし」
「ナオミさんへ差し上げたものです。形見に、なるかは判りませんが、取っていただければ幸いです。一緒に火葬されても文句はありません。お任せします」
葬儀を終えると、ナオミと一緒に一同は大使館へ戻った。
ナオミの棺はナオミの部屋に運ばれた。
両親はナオミと共に過ごしたいというので、その部屋を使ってもらう事になった。
二人にナオミの持ち物を確認してもらい、持ち帰る物をまとめた。
こちらで買った服も、妹さんに形見として渡して欲しいと母親に頼むと、何点か選んでくれた。
彼女はナオミの部屋で、サトルに呟いた。
「あの子はこんなお屋敷で暮らしていたのね。写真には少し写っていたけど、驚いたわ。予想以上に立派な建物で」
「個人の家ではありませんから。本国の体裁をこんな建物で保っているんです。バカらしいと言う方もいるでしょうが、必要な部分もあると思っています。国家を見下されないためにも」
母親はサトルの説明ついては何も言わなかった。
「半年もの間、この家で。この街で。……あの子は幸せだったのかしら」
半年?
サトルは不思議に思った。
半年だって?たったの?
もう十年くらいはナオミと暮らしていたような気がするのに、たったの半年だったのか?
部屋を出るとナオミが発見された場所に案内した。
新しい雪で跡は消えているが、場所ははっきりと覚えている。
その場に立つと、父親が言った。
「ナオミは本当に事故死だったのか?ナオミが酒を飲んで凍死するなんて、私には信じられない」
聞かれることは判っていた。
聞くのが遅いと感じたくらいだった。
「昨日の午後になってやっと、監視カメラがあったことに気付いたんです。警察に立ち会ってもらい映像を確認しました。本館には全ての廊下と重要な部屋に、公邸には一階と二階の廊下に設置しています。敷地内にも各所に設置していました。ナオミさんが公邸の一階にある厨房に入っていく場面がありました。しばらくして出てきた彼女の手には、お酒の瓶が握られていました」
寝室のキッチンにあったジンは、サトルの記憶では底に少し残っていたのだが、確認すると空になっていた。
シェリーグラスもテーブルに置いたままになっていた。
警察は瓶とグラスから、ナオミの真新しい指紋を見つけている。
それからおそらく彼女は一階に下りていった。
厨房に入り、出てくるまでに少し時間がかかった。
出てきた彼女は、既に酔ったように足元をふらつかせていた。
厨房の台に置き去りにされたゴブレットからも、警察はナオミの指紋を採取し、グラスの中に庭に転がっていたジンと同じ種類の酒が微量に残っていたことを確認している。
ナオミはゆっくり廊下を歩き、裏口から庭に出て行った。
「ドアは指紋照合によって開くようになっています。私とナオミさんと、職員の一部の指紋は登録されていて、自由に開閉できます。それ以外では警報が鳴ります。だから、彼女が出て行ったことに誰も気が付かなかった。警備員は夜間も待機していますが、監視モニターを四六時中見ている訳ではないのです」
両親はナオミの倒れていた場所に向かって手を合わせた。
「裏庭の監視カメラの二つに、ナオミさんが歩いている場面が映っていました。最後に彼女をとらえた映像の撮影時刻は、午前1時27分でした」
ナオミが瓶の口から直接ジンを飲んでいる姿が、一つには映っていた。
その頃サトルはぐっすり眠り込んでいた。
イチイの刺繍の枕カバーにゆったりと頭を沈み込ませて、平和に包まれて眠りこけていた。
ナオミを見つけたのは午前4時半過ぎだった。
「この現場はカメラの範囲外です」
「映っていたとしても、見る勇気はないよ」
母親は合掌したまま、その場にしゃがみ込んだ。
サトルは横に並んで、彼女の背に手をあてた。
夫が怒り出すかと思ったが、彼は立ったまま地面を見つめていた。
「警察は事故死と判断しましたが、もし、不審を感じられるのなら訴えてください」
「訴える?」
「再捜査を。もしくは、私を」
「君が殺したのか?」
「いいえ。しかし、私は彼女の行動に気付かなかった。結果的に彼女を死なせてしまった」
「そうだ。君が殺したんだ。こんな国を早く出て、家に帰ってきていれば、こんな死に方はせずにすんだ」
「申し訳ありません」
父親は無言のまま、屋敷に向かって歩き出した。
ジョエルは、ナオミが特に好きだった料理やデザートを作って両親をもてなした。
母親は少し話をしてくれた。
彼女が「美味しい」と言うと、ジョエルは嬉しそうに、そして淋しそうに微笑んだ。「美味しい」という言葉は、ジョエルは何度も耳にしているので通訳する必要はなかった。
父親はほとんど喋らなかったが、食事の途中に思い出したように一つだけサトルに聞いた。
「変なことを聞くがね、ナオミの預金口座の残高がゼロになっていたんだ。君は何に使ったか知っているかね?」
サトルは知らないと答えた。
その夜、皆がそれぞれの部屋に引き取ったが、サトルはなかなか寝付けなかった。
ナオミが同じ家の中にいるというのに、一緒にいられないからだった。
彼女は両親と親子水入らずで夜を過ごしている。
いつまでも自分の傍にいると言ったくせに、今サトルは除け者だ。
サトルは隣の枕に頭を移動させて、頬を擦り付ける。
ヒイラギの刺繍を、指でなぞった。
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