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小説|腐った祝祭 第一章 29

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 サトルは意外だったのだが、ナオミは翌日、本当に出かけてしまった。
 自分で勧めたようなものだから仕方ないが、わざわざ小雪の降る中を行かなくとも、と思った。
 リックに余計な仕事を押し付けてすまないと思う。
 年が明けて落ち着いたら、ナオミ専任の警備員を雇おうと思った。
 サトルはその日、海外にいるアーサー卿と連絡を取った。彼の別荘を借りるためだ。
 アーサーの居場所を見つけるために、皇太子にも連絡を取ることになった。そして、その為にはサトルの企みも話さなければならなかった。
 郊外にあるアーサーの別荘の近くに、小さな教会がある。
 ルル国内では避暑地として知られる土地だが、冬は雪が多いので人口が減る。
 その教会に連絡すると、新年を迎えるにあたっての説教はあるが、結婚式を挙げるのには何の支障もないということだった。
 サトルはナオミに内緒で、教会とアーサーの別荘を借りる手配を済ませた。
 用意していたナオミのドレスも自分の服も、ナオミに内緒のまま教会に送った。
 大抵の準備を済ませてしまうと、サトルは厩舎へ向かった。
 サトルが厩に行くのは珍しいことだ。
 御者たちの休憩小屋には誰もおらず、サトルは馬小屋へ歩く。
 馬車はまた別棟の車庫に納まっている。
 馬に関しては、御者の二人と馬世話人を三人雇っているが、年末の休暇のために今はどちらも一人ずつしかいない。
 馬は五頭いて、二人はその手入れをしている最中だった。
 二人はひょっこり現れたサトルを見て、大袈裟に思えるくらい驚いていた。
「か、閣下。お出かけでございますか?すみません、電話に気付きませんでした」
「いや。電話はしてないよ。ちょっと頼みがあってね」
 二人は馬の傍を離れ、ブラシを背中に隠すようにしてサトルの前に立った。
 サトルは一番手前の馬の首をぽんぽんと撫でた。
 馬たちは揃って白い息を吐いていた。
 時々あくびのような声を出す。
「寒くないかな?ここは」
「大丈夫です。空調管理はできております」
「そう。早速なんだけど、君たちが明日も明後日もここで馬の世話をしてくれるんだよね?」
「はい。私共は二日からお休みを頂いております」
「そうか。実は、どちらか一人に明日と明後日、私に付き合ってもらいたいんだけど、頼めるかな?」
 サトルはナオミとの小旅行の計画を二人に話した。
 もちろん、ここからアーサー卿の別荘まで大使館の馬車で行くのではない。
 鉄道で向こうの駅に行き、それから馬車を雇うのだ。
「荷物を運んだりするのを手伝ってもらいたいんだ。それに二人というのも心細いと思ってね。警備員から頼もうかとも思ったんだけど、大使館の警備が手薄になるのも困るし。馬の世話は、やはり一人では無理かい?」
 二人は、二日くらい一人で平気だと威勢よく言ってくれた。
 そして、どちらもが小旅行に同行したいと言う。
 ありがたいが、それでは馬が困る。
 サトルは少し考え、二人にアームレスリングを提案した。
 勝った方に付き人を頼むことにする。
 それを聞くと二人は胸を張り合って休憩小屋へ行き、テーブルを囲んだ。
「閣下。合図と判定をお願いします」
 しかつめらしく世話人が言う。
「負けないぜ」
 御者がニヒルに笑う。
 この屋敷にはなかなか楽しい人物が揃っていたんだなと思いながら、組み合わされた男たちのゴツゴツした手の上に、サトルは手を置いた。
「レディー、ゴーッ!」
 それはなかなかの勝負だった。
 一人で見学するのが惜しいくらいだ。クラウルくらい連れてくれば良かったなと思う。
 サトルは馬世話人に分があると見ていた。
 彼は馬の散歩や毛繕いだけでなく、蹄鉄付もできるプロだ。乗馬クラブの厩舎で働いていたが、生まれたばかりの仔馬を事故で死なせて首になった男で、まだ20代後半と若かった。
 御者は30代後半で、体力的には何の問題もないが、御者台で馬を操るのが主な仕事だ。
 毎日の仕事では世話人の方が鍛えられているだろう。
 初めのうちは予見通りだった。
 しかし、御者はテーブルすれすれの所で踏みとどまり、元の位置まで戻した。仕切りなおしてから二分ほどの攻防の後、徐々に御者が優勢になる。
 持久力では御者が上手だったようだ。
 最後の力を振り絞り、真っ赤な顔で若造の手をテーブルに押さえ込んだ。
 サトルは御者の背をぽんと叩いて言った。
「ウィリアムの勝ちだ」
 世話人が「くそー!」と頭を押さえ、慌ててその手を口に持っていく。
 主人の前で「くそー!」と言ったのはこれが初めてだったからだろう。
 サトルは微笑んだ。
「留守を頼むよ。それじゃあ、ウィリアムは自分の旅支度をしておいてくれ。明日の朝、十時の列車に乗るから」
「駅まではどうされますか?」
「通りの馬車を呼んでおいてくれ」
「承知しました」

 ナオミが四時頃に帰ってくるまでの間、公邸の書斎でとりあえずの仕事をしていると、クラウルが書斎に入ってきた。
「君は明日からお留守番なんだから、今日はのんびりしていればいいのに」
「ウィリアムを連れて行くそうですね、閣下」
「うん」
 サトルは万年筆を筆入れに戻し、コーヒーカップを手に取った。
 クラウルはお馴染みの渋い顔と、苛立った声で言う。
「他にも何人かお連れになったらどうですか。付き人が一人とは心もとありません。それに、おっしゃっていただければ私だって」
「へえ。付いてきたかったのかい」
 クラウルの渋い表情の中に、恥ずかしがるようなものが混ざった。
 そして、少し間を空けて、口惜しそうに本音を白状した。
「もちろんでございますとも。どうして私が留守番で、ウィリアムが」
「でも、あそこはここより寒いからね」
「またバカにされますか。まったく。どうして閣下の結婚という大事な式に、御者が呼ばれて執事の私がおいてけぼりなんでしょうね。まったく、まったく可笑しな話だ」
「でも、ナオミのご両親の許可は得ていないんだ。世間的にこれは正式なものとは認めてもらえない。特に私の国では書類の提出がないと夫婦とは認められないんだから」
「もちろん、正式なものであれば別に私がしゃしゃり出るつもりはございません。殿下やその他大勢のお客様が来られるのですからね。その時こそ私はここで立派にお留守をお勤めいたしましょう。しかし、今回のご計画は」
「そうだよ。今回の計画は、私にとっては重要なものさ。私の中では本当の結婚式はこれだと考えている。自分でも不思議だが、ナオミを私の妻にしたい。この気持ちは変わらない。恋人なんかでは物足りないんだ。彼女とはね、牧師の説教をきいて、指輪を渡し、誓いを立てる。そういう儀式的なことをしたい気分なんだ」
「それを私も承知しているから、納得いかないのですよ。どうせなら、私共一同連れて行って下さればいいのに」
「そんなことしたら、ナオミをびっくりさせることが出来ないじゃないか」
「それが余計なことだと思います。閣下は少しお遊びが過ぎてらっしゃる」
「なんだって?」
 サトルは目を細める。
 クラウルはフンと目をそらす。
「いいえ、何でもございません。判りました。もう申し上げません。しかしですね、女中の何人かは連れて行かれた方がよろしいでしょう」
「だから、急に思いついたことなんだ。彼女達の休暇だってもう決まってるんだから」
「文句を言う者はございませんよ」
「そうは言ってもね。それに、アーサー卿の別荘は大きな屋敷じゃない。大勢で行けば管理人に迷惑になる」
「教会に泊めてもらえばいいんです」
「それだって迷惑じゃないか。そもそも、私は二人きりで行こうかなと思ったくらいなんだよ」
「とんでもない!いくら二日とは言え、旅行に付き人もなしで行くなど」
「だからウィリアムに頼んだんじゃないか。彼にはいろいろ力仕事をしてもらうつもりでいるんだから。きっと君には重労働過ぎるね」
「セアラかミリアだけでも連れて行かれたらどうですか。ナオミ様のお仕度もおありでしょう」
「大丈夫だよ。それに、できるだけ二人になりたいからね。私はシンプルな結婚式を挙げたいんだ。その方が荘厳で、真実味がある気がしないかい?余計なものは一切いらない。ナオミと二人だけでいい。きっと、ご両親が来られたらかなり華美な事態になるだろう。だって、モルガ女史が相当張り切っているらしいんだよ。自分の事なのに、私にはもう口が出せない状況みたいなんだ」
「まあ、そういう事であれば、もう仕方ありませんが」
 クラウルは渋々言って、空になったカップを片付けてくれる。
 それを見ながらサトルは、どうしてクラウルがナオミを気に入っているのかの、ヒントになることを一つ思い出した。
「そういえば、クラウルには娘さんがいたんだったね」
 クラウルは肩をすくめる。
「娘さんなんて言っていただくほどの娘さんではありません」
「おや。仲が悪かったっけ?」
「さあ。仲が悪いも何も、この国を出て行ってからは何処で何をしているのか。母親には連絡くらいしているでしょうが」
「そうだったのか。ふうん。クラウルの娘さんはルル脱出組だったか。確かに、ここでの生活は若い人には刺激が足りないだろうからね」
「私のような年寄りには持って来いの国ですがね」
 嫌みのような言い方をして、クラウルはカップを持って出て行ってしまった。
 どうやらなんらかの確執があるのだろう。
 ナオミの素直さは彼にとっては憧れなのかもしれないと、サトルは思った。

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