中学と高校の違い

 私は公立中学、私立中高一貫校、私立高校での教員経験がある。
昨年度、留学、世界旅行に行き、今年度は再び教職に戻った。
私立高校の教員だ。

今までの経験も踏まえて、生徒が中学1年生から高校3年生になるにしたがって、教員として意識すべきことがあると感じた。

それは指導のすべき範囲を絞っていくことだ。

どういうことか。
中学1年生と高校3年生を比較するとわかりやすいだろう。

 中学1年生は指導の範囲が広範囲に及ぶ。
例を挙げると、整理整頓、挨拶、礼儀、マナー、人間関係、服装指導、道徳、物の扱い方、掃除の仕方、給食の配膳方法、行事の心構え、プリントの貼り方、提出物の提出方法、学級会の司会の仕方、人の話の聴き方、、、、、などなど。とても広範囲で細かいことにも指導をする必要がある。この指導をいかに、生徒が納得し、理解し、主体的にできるようになるかが重要である。
つまり、人間教育や社会規範を指導する比率が高いのである。

 高校3年生はどうだろう。
高校3年生の場合、私の感覚では、彼らの道徳的な感覚や社会規範的な部分の基準というのはある程度できあがっている感じがする。
だから、そこから中学1年生のように一つ一つを指導していくのは大変だし、ある程度の生徒はできるようになっている。(それはそれまでの教育の賜物だと思っている。)
だからこそ、「これだけは」というものにポイントを絞って指導していくことが大切だ。
例えば、高校生に「プリントの貼り方」や「整理整頓」「授業の時の挨拶の声の大きさ」などはあまり細かく指導しないだろう。
あまりにひどい場合は伝えることはあるかもしれなが、合格ラインは低く設定しているだろう。(つまり大抵の場合はOKにするだろう)
逆に、周りの生徒のほとんどが敬語をつかえるような生徒集団の中で、「敬語が使えない生徒」がいたのならば、軽く指導するだろう。
ただ、高校の雰囲気によっては敬語が難しいという生徒集団というところもあるだろう。そのようなところで敬語をガミガミ直させるというのは、並大抵の力量ではないと思う。(それで改善させる教師は凄すぎる)
今回の記事はそのようなスーパー教師向けではないので、そこはハードルを下げてもいいのではないかと思う。

 客観的に見て、高校生への指導はある意味難しさがある。
それは、自我がある程度確立されていること。
もうすぐで社会人(大学生)になるぐらいの年齢になっているということだ。

我々教師でも、社会人に対して、中学生の生徒たちに対するような指導の仕方はしないだろう。(もちろん中学生であっても、適切な指導の仕方である)

だから指導の仕方も、社会人に対する指導の仕方に近づいていくのが適切であると考える。

私は、そのように、それぞれの発達段階や集団環境に応じた指導をしていくことの方が、生徒の成長につながりやすいと感じている。公立中学校は地域性などあるが、高校に比べて、生徒集団の雰囲気というのはイメージできる。ただ、高校は入試などを通して生徒層を分けるため、生徒集団の雰囲気というのは高校によって大きく変わりやすい。

だからこそ、高校生はきちんと生徒集団の雰囲気なども加味した上で指導のポイントを絞っていくことが大切だ。

 最後に高校生も中学生も教師の言葉が入りやすくなるポイントを改めておさえておこう。
それは、やはり「授業力」である。
中学生であれば生徒集団をまとめる土台として大いに寄与するし、高校生であれば、教師に対する尊敬などにつながるだろう。特に高校生は「教科指導」を重視する比率が高い。この「教科指導」を「授業」を通して行っていくのだから、どれだけ「授業」で生徒に知的な満足度を高めていけるかが「真の尊敬」につながっていくかのポイントである。

 まとめとして、中学は「社会規範」「人格教育」の比率がある程度高いため、指導の範囲が広くなる。生徒をまとめられる土台を「授業」を通して行っていこう。
高校は「教科指導」の比率が高く、社会人になる手前であり、自我の形成もある程度進んでいるため、生徒集団の環境もふまえて、指導の範囲は絞る必要がある。ただ、授業を通して「尊敬」を得ることができれば、生徒の成長へと寄与しやすくなる。

 私自身も今年度は久しぶりの高校での授業である。
生徒の知的な満足度を高められるように、しっかり準備し、これまでの経験や技術を駆使して、良い授業をしていきたいと思う。

 読んで頂きありがとうございました。


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