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キャンセルカルチャーに狙われた日本の音楽シーン -続編-

【注意】
この投稿はセンシティブなトピックを扱う。


この投稿は上の投稿の続編である。

当該のグループが公式YouTubeチャンネルで指摘された問題点について話し合うミーティングの様子を公開した。

結論から言うとMVは撮り直しになった。プロデューサーからNGが出た。


彼らの判断

音楽のメッセージ性と多様な考えを重視した結果である。プロデューサーの意見を聞く限り筋は通っているし、違和感はない。「日本人による"ブラックヘア"に不快感を抱く人の存在を多様性として認める」「不快に感じる人がいることによって自分たちの成果物に対して胸が張れないのは違う」というのがメインメッセージであった。

私はこの判断を尊重するし、プロデューサーの"ブラックヘア"を含む文化共有に対する意見は大きく違えど、この判断を、上からの決断が出た以上、受け入れたい。
アーティストとして「幅広い層に、不快感の少ないもので、込められる限りのメッセージを込めて届けたい」というスタンスは芸能活動としては理想的で、コントロバーシャルなことはしない判断は、このスタンスを貫くには必須であるように思える。

「それこそなんか…あ、じゃあやっぱ俺、違うのかなって」

このセクションは私一個人の感想である。

動画の中でアフリカ系の彼が涙ながらに語った言葉は、20年間海外で暮らした私の心に重く響いた。

違うかもしんないんですけど、僕、個人的に思っているのは、こういうブラックヘアをしたことによって、マイナスなイメージを持たれる方が一定数いらっしゃるっていうのは、多分、メンバーもやるっていうか話し合いをした時になんとなくわかってたとも思いますし、わからなかったわけではないと思ってますし。
で、僕も一応"ブラック"の人間ですけど、これで非難されたからといってやめちゃう方がなんか、「あ、やっぱり、ナリがかっこいいからやっただけなのかな」とかって思われちゃったりするのかなとかって考えちゃったりするんですよ。で、それプラス、僕としてはやっぱり今、その、ダイバーシティっていって、いろんな人がいる、その隔たりをなくしていこうって世界的になっていく中で、そういう風になっちゃう方が僕はちょっとすごいさみしいというか、それこそなんか…あ、じゃあやっぱ俺、違うのかなって逆に思っちゃいますし。
別に僕が当事者だからとか、そういうわけじゃないんですけど、すいません、ちょっと…。
僕としては、もちろん、マイナスなイメージも持たれる方もいるかもしれないんですけど、かっこいいって言ってくれる方もいると思うんですよ。なんで僕はこの、ヒップホップって言うんだったら、僕たちの弁明するわけじゃないんですけど、それを貫き通して、「いや、本当にリスペクトしてるんだ」って言うのを自分たちからしっかり発信して、突き通してった方が、世界的にそういう方向に向かえるのかな的な…僕たちまだ名があるわけじゃないので難しいジャッジだとは思うんですけど、ちょっとさみしくなっちゃって、なんか…ごめんなさい…

正直に言おう。もらい泣きした。

私は彼ではないし、考えてることが全く同じなはずはないので代弁者になることはできないが、それでも痛いほど彼の気持ちがわかるような気がした。

彼は私と同じで、育った国で暮らすにしても「見た目」が明らかに社会平均とは異なるのだ。周りから「お前、やっぱ違うよな」とはっきりと言われることもあるし、何気ない出来事で「やっぱり自分はみんなと違うのかな?」と疑問に感じることが少なからずある。それが疎外感に繋がったり、心の傷になることがある。

外国のルーツを持って一つの国で暮らす、外国人として生きると言うことは、多くのものと戦わなければいけないことでもある。

「お前の目、変な形してるよな」とまじまじと見つめられたり、宗教的な理由で志望校に入学できなかったり、親友の母親に「ポケモンが好きなのは悪魔を崇拝するのと同じ。私の娘に近づかないで」と面と向かって言われたり、当時現地では珍しかった日系人の店のチョココロネを食べていたところをクラスメイトに「それ何?」と聞かれたので「チョコレートクリームのパンだよ。食べてみる?」と分けてあげたら「オエー!キモい!文字通り"クソ"じゃん!マジで無理!」と嘲笑し、目の前でゴミ箱に投げ捨てられたりした。

こういうときどんな対応をするのか。感情のままに怒るのか、悲しむのか、あるいは相手を諭すことを試みるのかの判断を迫られる。しかし多くの場面ではショックで言葉も出なくて、言葉にできない感情に襲われるのだ。その複雑な感情と私たちは戦わなければならない。

歴史的背景、宗教的背景が軋轢になりうるのは理解する。外見も違うことで奇異な目で見られることもある。これらは誰のせいでもない、ただの事実だ。
黒人奴隷が奴隷から解放された後も長らく差別を受け続けた歴史を受けて、白人や他人種を憎むことは個人の自由だ。「他人種に自文化を禁止する」という思想を持つことも自由かもしれない。それも多様性の一つかもしれない。しかし、それが「憎しみの連鎖」に他ならなくて、現代社会が目指す「ダイバーシティ」と呼ばれる「多様性が認められることで人々が幸せに暮らせる社会」を実現する糧になるかと言われれば、それは違うのではないか。それこそが分断を生み出してトランプ政権を誕生させたのではないか。
「トランプが分断を生んだ」という大人たちがたくさんいる。しかし私は違うと思う。「分断がトランプ"大統領"を生んだと同時に、(思想の左右を問わず)エクストリミストたちが望んだ分断を与えられた」のだ。

文化のシェアのついての意見は前回の投稿で書いた通りなのでそちらを参照されたい。

彼は「自分が所属する社会集団の文化を、自分の仲間でもある、他人種から取り上げること」を、発言通り「さみしい」と感じたのではないだろうか。
前回、私が書いた通り、「ファッションから文化的背景や政治的立場に興味を持つ人もいるはず」で、それを"道具"として使うことは決して悪ではないのだ。ファッションも言語も人間の文化の中では"道具"的役割を担っていて、それ以上でもそれ以下でもない。究極な話「ナリがかっこいい」でも十分だと思っていて、人間とは不思議なもので、何かを好きになると、それについてもっと深く知って追求したくなるものだ。
いや、もしかしたら彼らからブレイズを取り上げたい人々はそういう考えには一切至らないのかもしれない。私にはよく理解できない。

私は大学時代、幼い頃から過ごした国の言語や文化を扱う学科に通ったが、私を育て上げた国の文化に興味を持ってくれていることは非常に嬉しかった。「〇〇語ってかっこいいよね」という人たちがたくさんいて、私はどちらかというと「イモくさく」感じるダサい言語なのだが、「かっこいい」と思ってくれる人がいるという事実は、過去のトラウマから、多少なりとも私を救った。

これは個人の想像でしかないのだが、この動画からは彼は彼で「積極的に純日本人メンバーにブレイズをしてもらうことで、ただヒップホップの音楽をやっているわけではなく、その精神を引き継いでいるんだ」という強い意志を持っていたのではないかと感じる。私が「文化間のハードルを低くすること」という夢を持ってこのnoteを運営しているように、彼にも「ブラックカルチャーを仲間と楽しくシェアしたい」「他人種にやめることを強いるのではなく、シェアできることを世界的な流れにしたい」という夢があるのではないかと、今回の発言の、特に後半部分からは読み取った。そしてそれは彼にこそ実現できる公算があると感じていたのではないだろうか。

彼なりに色々な思いや経験をしてきただろうし、腫れ物扱いされることも知っているのではないかと感じた。そしてそう思ったのは今回が初めてではない。オーディション番組出演時に他の出演者が彼のをことを「俺たちと違って髪チリチリじゃん?」と発言したことが「人種差別的」であるとSNSで非難され、番組から明確に認定された後、順位発表式(実質脱落式)で「お前が落ちたらどうしようかと思った」と泣いていた姿を見ていたからである。あれもまさに、本人の気持ちを置いてけぼりにして「人種差別だ!許されない!」と騒ぎ立て、結局当人を腫れ物扱いせざるを得なくなった事例である。

アフリカ系の彼は、こういう現実をプロデューサーにも知ってほしくて、はなから受け入れられない意見であることは承知した上で勇気を持って発言したのではないかと推察する。何度も書くが、あくまでも推察だ。真意は誰にもわからない。

私からプロデューサーに言えることは「外国人として生きることを、我々が背負っているものを軽く見るな」ということだけである。

消えない運営サイドへの不安

コメント欄は事務所の対応を不安視するコメントがやや目立つ。そしてその不安は私も多少なりとも抱いている。

一個人のXのポストを軽率に引用したりYouTubeの詳細欄に貼ることや、プロジェクト内における意思疎通の"ゆるさ"は今後の活動においても課題になるだろう。

あえて私から明確にコメントするとしたら、プロデューサーの責任は重い。
メンバーを信頼した上で一度GOを出しておいて、一個人がグローバルファンベースとして運営しているXアカウントで出したコメントを受けてから「俺のポリシー」として「メンバーが誤った判断をした」として中止に踏み切るのは考えが甘かったように感じる。
会社が従業員を守る義務がある程度はあるように、所属事務所はアーティストを守る義務があると、私は考えている。もちろん本人たちが望んでこのミーティングに出て、自分たちの考えを動画で発信することに合意しているのなら良いが、本来は矢面に立たせるような内容ではないような気も、若干はした。YouTubeでミーティング動画を出すくらいなら公式サイトにも声明文をあげた方が良かったかもしれない。
「話し合い」「ポジティブな場として」とプロデューサーは冒頭でメンションしているが、結局はプロデューサーが最終決定権を持っているという事実があって、"ブラック"の彼の発言は今ひとつ響いていないし、「上には届かない」ことも理解した上で発している様子だったと感じた。プロデューサーが「小さな意見を、大変だろうとも、見過ごさない」という判断を下したとき、よりによって外国系のメンバー2人が、細かく頷く他の純日本人メンバーとは対照的に微動だにしなかったのは印象的だ。

逆に「メンバーがあえて矢面に立つ」という選択肢もあったのではないかと考えている。
私が同じ決断を迫られたとしたら"ブラックヘア"をやめるという判断はせずに、アフリカ系の彼に「矢面に立ってもらえるか?」という意志と覚悟を問うた上で、彼が動画で語ったメッセージを整理してそのまま声明文にしたと思う。彼を今回のトピックのアイコンとしてあえて矢面に立たせ、髪型を変えない判断をしたことを伝えることでメッセージにリアリティと説得力を持たせるのだ。その代わりマネージメント側は彼を一切の嫌がらせや脅迫から守ることを約束する。
これは策略的に聞こえるかもしれないが、策略そのものなのだ。彼らはアーティストであり、プロである。仕事として音楽をやっている。ビジネスであり、ビジネスは戦略的でならなければならない。

英語字幕/翻訳の是非

「当事者にも伝わるように英字幕をつけた方が良かったのではないか」という意見がある。私はそれを理解する。公式として字幕を付ければメンバーの意図がより正確に反映される可能性が高いからだ。一方で事務所にそこまで英語に堪能な人がいるかは疑問だ。肝心なアフリカ系の彼も「英語は話せないです」「日本語オンリー」と話していた記憶がある。

当の問題提起をしたグローバルファンベースはこの動画を翻訳してくれる人を有償で募集しているようだが、あまり良いアイディアではないと感じる。
今回のアフリカ系の彼のコメントが海の向こうの過激なアクティヴィストの目に入ったら、彼にどんな罵声が浴びせられるかわかったものではない。なぜならその罵声を私がすでに浴びているからだ。
発端となった投稿をしたファンは「これは"attack"(=攻撃)ではない」としたものの、結果として攻撃的な人々を呼び寄せた。ただのファンである私の元に、プロフィール欄に"Activist"の記載のある人々がやってきて、実際に"attack"(=攻撃)してきたのだ。

「このイシューは結局どうなったの?」という疑問に対して答えるという意味では動画は翻訳された方が良いのかもしれないが、メンバーに危害が及ぶ懸念を鑑みると、個人的にはあまり推奨できない。

そもそも訳というのはとても繊細な作業だ。あまり軽率にやるものではないと考えている。私の過去の投稿をここに引用する。

訳っていうものは意外と乱暴なことをしなきゃいけない作業と子供ながらに感じてはいた。伝わるようにするのが第一でも、そこには長い前提があることが大抵で、この前提が特にとりこぼされやすい気がしている。「取りこぼしのないようにするのが仕事」という意見もあるだろうが、どう頑張っても読んでいる、あるいは聞いている側には絶対に100%は伝わらないと思っている。読者が知識、ないしは元の言語に付随する常識を持ち合わせていなければ、原文で読んでも当然伝わらない、つまり受け取り方が本来と変わってしまうことから逃れられないのだ。
(…)
背景を書き切るにしても限度というものがあって、切り捨てられた情報が必ず発生していること、原文の"再現"ではなく"書き換え"であることを意識しなければいけないと感じている。両方の気持ちや考えを知っているほど、100%がいかに不可能か理解できるはずだと思うのだ。「絶対伝わるはず!」と夢見るところではないのだと。("触り"程度にはなると思うが。)
(…)
能力=武器とはよく言ったもので、意図的な誤訳は対象の人と訳を受け取る大衆にその武力を行使することだと思う。語学力という力で他人の人生を変えることもできる。例えば警察に捕まった後、まともな通訳がつかなければ釈放は無理だと思った方がいい。実例として"不法滞在者より国民を優先"を"外国人を排除"と訳した例があり(具体的にどこの誰の仕業かは言及しない)、これはインタビュー対象の人をracistに見せていて、その人を差別的な人間に仕立て上げると同時に、言葉がわからない人に事実無根の怒りの感情を抱かせるという形の暴力を振るっていると感じた次第だ。ビジネス通訳では取引を潰すことも可能かもしれない。

別にこれはバイリンガルとかマルチリンガルに限った話ではなくて、1つの言葉しかできなくても同じだ。何人たりとも人を傷つける能力を持っていることは誰もが自覚すべきだと思う。

結局のところこういう手の能力は信用が全てで、悪意を持っていないと証明する術は基本的にはない。そういう信用を潰す行為は、言葉を複数使える人全員の信頼を貶める行為なのでとても迷惑だ。一部の態度悪い観光客が外国人全体のイメージを悪くするみたいな感じかもしれない。

「ボランティアで通訳させられたのがトラウマ」

音楽性とスタンス

今回の判断の仕方は果たして本当にヒップホップのスタンスを踏襲しているだろうかとはやや疑問に感じた。私はヒップホップの思想には明るくないのでよくわからない。

私はロックとかその手の方向性で、社会のムーブメントに疑問を見出して争うタイプだから。別にアナーキストではないので「社会をぶっ壊せ」とか「政府転覆」を叫んだりはしない。一方で何をいいと思って、何をよくないと思うかくらいは言いたい。そしてその自由が保障されていると、私は信じている。
例え、Xに投稿した私の顔写真が先日の投稿をきっかけに鍵をかけたXアカウントに引用RPされても、私の自由は奪われない。

ラップは本来はプロテストソングの一種と私は理解していたのだがそうではないのだろうか。反骨精神を見せてこそのヒップホップではないのか。

彼らの判断は理解するし尊重する。
本当に話し合いの末その結論に至ったのなら文句はない。
ただし「今後も"その"スタンスでやっていくんだ」という決断でもあることはアーティスト本人たちだけでなく、プロデューサー、スタッフサイドにも頭の片隅に入れておいてほしい。


謝罪 謝罪 求めて うざい
もうそういうの金輪際 グッバイグッバイ
優等生気取りの電波野郎が おととい来やがれ
鍵アカ裏アカ匿名さんが
(…)
ビビりすぎてるバイブレーション
インスタントな言葉 饒舌
ナンセンスなイマジネーション
こりゃあっぱれだ
(…)
一生 一度きりの人生
やりたい様にやればいいさ
振り返んな過去も傷もクズも
蹴散らしてやる

R指定 『規制虫』

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