日本型学校教育を総括する野望 エイプリルフール

 折角4月1日なので、バカみたいに大きな構想を足跡として残しておきます。
 というのも、だいぶ長いことnoteを毎日投稿してきました。
 それは子どもや学校教育に関わることを文学として表現するという手法を心がけてきました。よって学問とは言えない。学問と文学のどちらが上か下かということではなく、どちらかと言えば定量的か定性かということに近いと私は思います。(もちろん諸説あり) 

 そもそも今の現職あがり、天下りした子どもに関わる知識人はここを真面目に考えていません。学問の根幹に関わる部分なのに無自覚です。理系はかまいません。文学的な素養が入る余地があまりないからです。というか入れられる人は超優秀か超変人のどちらかです。養老孟司さんとか茂木健一郎さんとかです。 

 ここまでそこそこ誠実にものを書いてきたので、学術的なコミットとしての学問にもちろん興味があります。
 ただ、もはやこの年齢になると、それは大学院生時代に抱いた就職先やキャリア形成といった個人的な欲求ではなく、その文章があるから草の根の教育現場を励ませるというほどのインパクトとファクター(意図せず合わせたらこないだ事故った人のドラマの台詞になってもた)をもった文章にしたいという野望の方が先立ちます。

 堀尾輝久さんが「日本の教育」という本に込めようとした意味合いで言えばよいかなと思いますが、そもそもあの本は総花的で文学的であるという批判を免れない代物です。
 それに対抗する構想となると、個々の学術的な文章を書きそれを集めてリンクを貼ることで短く、しかしわかりやすく結論の部分だけを集めてつなげた「日本型学校教育とは何なのか?」をまとめていくのがよいのではないかと考えるに至りました。
 日本は基本的に他人の研究にデータを供給することをよしとしない研究風土があります。しかしデータサイエンスの発想の余地として既存のデータをうまく組み立てて仮説の補強と機能させることは可能かもしれないと思うわけです。
 かなり独りよがりだと思いますが、明治以降の立身出世がデモクラシーを経て戦後の高度成長に繋がった日本型学校教育がそれ以降どういう流れを意図し、教師がどう関与し、どう評価され、実際はどういった効果をもたらしたのかをまとめてみようと思い立った次第です。
 どうにか継続して書きためたなら、それが何かに繋がるよう、大風呂敷を人目にさらしておきたいと思います。 

エープリルフールにぶち上げるにはちょうどいいよねということで。

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