その注意、逆効果。でもその注意の裏返し、効果無し

 お仕着せがましく注意する人をよく見ます。
 ガッコのセンセーは、それが仕事ですからしょーがない。
 でも学校教員上がりの大学教員がそれを言うのはちょっとなーと思う。というかイラつきます。その雑誌の名はみん(自主規制

 注意の仕方は最近よく言われますね。
 大声を出すのはアウトらしいのですが、なぜダメかはよく分かりません。
 何人かの人間に聞いたのですが、きちんと答えてくれた人はいませんでした。何デシベル以上がダメなのかと聞いてみたいのですがそれをやると騒音で近所に迷惑をかけておきながら開き直る飲食店みたいになってしまうのでやめておきました。

 どの人も基本的には、とにかく大きい声を出す人がダメだの一点張りです。出す方としてはとにかく大変なことが起こっていることを子どもに伝えなければなりません。
 少なくとも教員が怒っていることを伝えなければならないからです。
 しかし大きい声を出すことを非難する人間は、悪いことをした子どもや保護者が謝罪することには触れようともしません。
 そもそもそこから回避したいがために大きな声を非難しようとしているとしか思えません。

 私は子どもが大変なことをするのは仕方がないと思っています。
 しかし開き直ることをよしとすることは教育上好ましいこととは考えていません。もちろん子どもですから間違いを認めにくいし、カッコ悪いことを避けたい気持ちもわからんでもありません。そこを曲げてよくないことをした自分と向き合わせてあげるのが教育の仕事です。
 逆ギレは一番よくない。そういうことです。

 保護者の中にもそれで何とか逃げようとする人間がいます。
 教員は別にそういうことが起こっても「またか」ぐらいにしか感じません。しかし周りの保護者はそうは思いません。そうした態度をとった保護者を2度と忘れません。そうした恨みを買ってまでキレて、マウント取って、罵倒することに何の意味があるのか理解に苦しみます。

 これを受けて事勿れ主義的な感じの教員としては、注意の文言を変えようとします。
否定型の形「走るな」を肯定型の「歩きましょう」にすると良いんだそうです。
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よく意味がわかりません。禁止事項が子どもに良くないことに対する説明が成り立っていないように思うのですが。

 
 実は児童館で実習指導をしていた40年近く前、実習した学生さんとのカンファレンスで衝撃的なことを言われました。
 毎日毎日来館してくる友だちに暴力を振るう子がいたんだそうです。
「先生どうしたら良いでしょう?」と学生さんに聞かれ。とにかく叩かれる子どもの気持ちを伝えてみてはどうだろう的なことをアドバイスしました。
 「やってみます」元気に児童館実習に出かけていった学生さんに素晴らしいアドバイスをしたと悦に入っていた若き日の私がいたのでした。

 しかし事後実習でどうだったか聞くと結局暴力は止まらなかったそうです。その子は一言「最近の大人はそんなことばっかり言う」と言ってプイッと児童館には寄り付かなくなってしまったそうです。

 この時私は学びました。上から目線で耳障りの良い言葉を下賜するだけでは困った日常を送っている子どもには何の解決にもならないということを。

 言い方を変えても結局、元の言葉掛け以上の効果があることなんかありません。
 問題は言い方ではなく、大人の側の責任としてその子どもとどれだけ真剣に向き合う姿勢をみせるかだからです。
 こちらとして本気を見せていく努力をすべきです。
 それがたとえ高尚な方から見て不適切であったとしても、それに怯まず子どもと正体する大人でなければならないと思います。

 たとえ不適切であったとしても、私は子どもに弱きものの怒りを代弁する大人の、正義を貫く大人の、姿勢は守っていきたいと思います。それが大人の責任ではないでしょうか?
言い方は好きにすれば・・・

 


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