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自然は社会的評価を無視する

うつを患ってから、私は意図して定期的に自然に触れることにしている。
手っ取り早いのは近所のお寺だ。
街の外れにポツンとあるのだが、入り口から門までがすでに現世とは
隔世の感がある。
門をくぐれば境内がよく整備されており桃源郷のごとしである。

時々海にも山にも行く。
私は首都圏内に住んではいるが、
比較的通勤並みの運賃で海にも山にも出やすいので
リフレッシュに月一くらいのペースで足を運んでいる。
特に海は良い。
トンビの円を描くリズム、小鳥のさえずり、波の音、
フナムシのうごめき、海風のささやき。
全てが調和している。グラウンドリズムだ。
われわれ人間界や人間社会のリズムとは違う、
ゆったりとしたリズム。深い呼吸のような。

自然は今の私のような社会的なラベルがない人間をも
優しく受け入れてくれる。
だが同時にどんなに社会的な評価が高い人間でも簡単に殺す
それが自然界の理不尽さであり平等なところだ。
その理不尽さに心が救われるような気がする。

私自身、これまで自然が特別だという思いはなかった。
特に山々に関しては「なぜわざわざ辛い思いをして登山などするのだろう」と不思議に思うくらいであった。
なぜなら私は九州の山生まれ山育ちで山の幸なら大体友達だったからである。
そりゃ「マウント」という言葉を乱発するのも頷けるというものだ。
そしてブラックモンブランは故郷の味がする。うまい。

何が言いたいかというと社会的評価に乱暴に曝されたり
社会からの圧力や迫害じみた脅迫観念を味わった時は
自然の中に入るとよいってこと。

自然はあなたが社会的にどんな人間であろうと興味はない。

だから、あなたがどんなダメな人間であろうと受け入れるし殺すし、
あなたがどんなに立派な人間であっても受け入れるし殺しもするだろう。
その自然の理不尽さを実感した時、また違う世界が見えてくるかもしれない。

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