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【瞑想】瞑想の声

休職をしてから瞑想するようになった。
正確にいえば、ずいぶん昔からしていたのだけど、
ずっと忙しくてやり方を忘れていた。

場所なんて気にしない。
というか大抵心が無防備になっているシャワーの時間にそれはやってくる。

今日はいくつか瞑想中に聞こえてきた声を紹介したい。

他人を師とせよ。ただし神としてはならない。


これは、逆説的に自分の内なる神を信じるようにとのことらしい。
他人が作り出した常識やドグマに囚われていると、
本当の内なる声を聞き逃し、あなたは自分の人生を歩めなくなると。
そういうことらしい。
ただし、同時に謙虚であるようにとも。
なので他人を師とせよと、そういうことらしいのだ。
今SNSを見てみると他人を神とあがめ、信者と教祖の関係が乱立している。
信者は信者で、教祖は教祖で不幸なのだと。
教祖が信者を裏切る行為をすれば、たちまち教祖はその足首をつかまれ
罵倒されたのちに叩きのめされる。
一方で信者は信じるものを失い、次の教祖をもとめて彷徨い歩くのだとか。
だから本当の意味では指導者やリーダやヒーローは存在しない方が良いのである。
我が魂にそれを求めよ。

人々は悪魔ではなく偽の神を信じている


これは先ほどの他人を神としてはならないの補足のようだ。
他人を師とせず、独善的な神、あるいは他人を妄信的に神だと信じること。
これは悪魔を信じてしまって失敗しているのではなく、あくまで偽りの神を
信じてしまっているかららしい。
上手く説明はできないけど、だからといってキリスト教やイスラム教のように唯一神を自身の中に見出せというわけではないらしい。
このあたりはうまく言語化できない。
とにかく瞑想の声はそのように私に囁いた。

全ては相対性に基づいている


これも説明が難しのだけど、この世は相対性に基づいているので
絶対的な価値基準というものはないらしい。
また、それがゆえに先ほどの偽の神で補足したように唯一神的な考え方については違っているようなのだ。
上手く説明できない。けど瞑想中はしっくりきた。

その人にはその人の学び方がある


これは私が好きなパウロ・コエーリョの名作アルケミストにも書かれていた通り、真理の探究や夢の実現については、人それぞれに違うルートや学び方、歩き方が存在するということ。
私が瞑想で得たこれらの叡智ですら、他の人は瞑想で得る必要はなく
その人その人にあった方法で獲得していけばいい。
自分のやり方を他人に強制することなかれ。

本当に自分に満足し、自信を得てしまった時、芸術は終わる


これはすべての人に当てはまるものではないかもしれない。
ただ、満足は芸術のもととなる抗いがたいい表現への欲求や飢えを
渇きを満たしてしまい、本心から創ろうとしているものでないものを
作ってしまうのだとか。




と、
とりあえず今思い出せる限りの声を書き記した。
今後また加筆修正するかもしれない。
ではでは。

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