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【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 最終話

最終話 どんな風も

 すべての魔族が消えた。
 陽菜たちの世界の魔族も、九郎たちの世界の魔族も。そして、そのほかの世界の魔族も。
 元凶の飛蟲姫ひちゅうきが死んだことで、すべて一瞬にして消失した。
 飛蟲姫を含め、生きていたものも、死んだものも、すべて跡形もなく――。

静月せいげつ……!」

 陽菜は振り返る。九郎が、静月を抱え叫んでいた。
 
「く……、九郎さ、ま……」

 静月の声。細く、今にも消えてしまいそうだった。

「今更――。今更です。私は、ひとでも魔族でもなかった――。この体、消えることも、できない。魂は、もう、ここから飛び立とうとしていますが――」

「静月……、お前は――」

「私はすべてを裏切り、王家を、たくさんの人々を……、滅亡へと導いた。でも――」

 陽菜は、呆然と見つめる。エネルギーをほとんど吸い取られてしまった静月の、最期のときを。

「みんなと……。過ごした時間……。あれは、噓ではありません。私は、忘れることなど――」

 風が、吹き抜ける。

「あの日々は、偽りでできた私の……、ただひとつの確かな記憶――」

 静月は、深いため息をつく。遠い瞳は、九郎を見つめているのだろうか。それとも、懐かしい夕日を見つめているのだろうか。
 九郎はきっと、静月の続く言葉を待っている。おそらく、時雨しぐれも。そして、バーレッドも。
 しかし――、いつまで待っても、静月の美しい唇から、その先が語られることはなかった。

「静月……!」

 九郎の叫び声。
 静月は、消えなかった。
 操られ、嘘の一生を歩まされた静月。
 静月は、紛れもなく「ひと」だった。


 草むらに、光るもの。それは、血まみれの眼鏡のレンズだった。

「この眼鏡は――!」

 伊崎賢哉は、眼鏡を拾い上げた。

「僕が――、かけていたものと同じ……」

 少し前に壊れてしまい、今は新しい相棒の眼鏡を探す気になれず、間に合わせに買った量販店の丸い眼鏡をかけているが、以前はずっとアメリカのブランドの眼鏡――クラシカルタイプのデザイン、銀のフレーム、まったく同型だった――を愛用していた。それは、小説「蟲」のカバーの折り返し写真のときと、同じ眼鏡――。

津路亜希螺つじあきら……! 君は……! 君は、僕の小説を読まなければ、君は……!」

 伊崎賢哉は草むらに膝をつき、涙を流す。眼鏡を、胸に抱いて。崩れ落ちるように、号泣した。

「伊崎さん」

 肩に、触れる手の感触。ミショアのあたたかな手が、伊崎賢哉の震える肩に、そっと添えられていた。

「違います。小説と彼の死は、関係ありません」

「でも……! 僕の小説を読んだから、彼はこのような行動を……!」

 ミショアは、首をゆっくりと左右に振った。

「ご自分を、作品を責めないでください。世界のできごとは、響き合いどこかで繋がっているもの。関係する要素を求めれば、際限がないのです。関係があるといえばあるし、ないといえばない。自分や大切なものを守るために、そして、起きてしまったできごとを見誤らないためにも、どこかできちんと切り離さなければなりません」

「ミショア、さん――」

「ただ――、彼のために流した伊崎さんの涙。それは間違いなく、彼への癒し、救いになります」

 伊崎賢哉は、泣いた。
 伊崎祖父は、黙ってそんな孫の髪を撫でた。
 ミショアの魔法、伊崎祖父の不思議な力。あたたかな二つの力が、伊崎賢哉を包み込んでいた。
 やがて、陽菜や九郎、時雨やバーレッドが来るまで。


 静月の亡骸は、九郎たちのいる世界に埋葬するとのことだった。
 
「陽菜。賢哉殿。そして伊崎祖父殿。本当に、ありがとう」

 九郎が、深く頭を下げた。時雨、バーレッド、ミショアも続けて頭を下げる。

 みんな異世界に、帰っちゃうんだ――。

 陽菜は、明照めいしょうを九郎に渡す。

「もう、こっちの世界には来ないの……?」

 明照を手渡すとき――、九郎の指が触れた。指先からぬくもりが、伝わる。

「ああ。きっと、忙しくなる。たぶんいつかは、改めてお礼に参ろうと思うが――」

 九郎は、目を合わさなかった。触れた指は、すぐに離れた。

 九郎……。九郎は、やがて王になるひと……、だもん、ね……。

 陽菜は思わず視線を落とす。それはそうだ、と思う。大地。人にはそれぞれの立つ場所が、暮らすべき場所がある。

「近いうち、来てくれるの……?」

「ところで、陽菜。やはり言っておこうと思う」

 陽菜の問いに、かぶせるように九郎の声。
 九郎は、昨日言いかけてやめていたことについてだ、と前置きし、それから一気に話し出した。

「陽菜の働いている場所の、前田さん、と言ったな。魔族が彼の姿を借りたのは、彼が陽菜に対し、大変強い思いを発していたからだろうと思われる。そこを、狙われたのだ。強い思い、つまり、彼は陽菜に特別な感情を持っている」

 え……。

 九郎は、笑顔を浮かべた。それは、優しい笑顔のようだったが、九郎の笑顔ではないように見えた。

「仕事に戻ったら、ぜひ彼に声をかけてみるとよい。陽菜には――、よき未来が待っている」

 九郎……!

「二日間。非常に短い時間ではあったが、陽菜には心底大変な時間だったと思う。早く忘れて、陽菜にとっての当たり前の日常に戻れるよう、私は祈っている」

 人には人の立っている場所があり、送るべき日常がある。

 わかっている。

 陽菜の耳には、どこか、九郎の声が遠く聞こえていた。

 わかってるよ、そんなこと。いや、でも知らない……! 前田さんはただの会社の人。九郎だって前田さんを知らない。なんで、そんなこと言うの……?

 陽菜は目頭が、熱くなるのを感じていた。

 なんで、今、言うの……?

 九郎の姿が、にじんで見える。今、陽菜の瞳には、九郎しか映っていなかった。時雨も、バーレッドも、ミショアも、伊崎祖父と孫も。

 私の気持ちは――、聞いてさえ、くれないの……?

 九郎の手の中、明照が光っていた。
 その瞬間――、不思議な声が聞こえてきた。

『私は陽菜を、選んできた。選んだから、来た。私でさえ、そう。人には足がある。自分の足で、望むほうへ行くことができる』

 明照……!

 明照の声だと思った。
 それから、そうだ、と気付く。陽菜は、大切なことを忘れていた。

 そうだ、私は――!

 顔を上げる。
 そして、飛び込んだ。九郎の、胸へ。
 陽菜は叫ぶ。想いに突き動かされるようにして。

「私は、運命の姫なんだから! 九郎たちは異世界を超えて来た! 今更、住む世界が違うとか身分が違うとか、言わせないんだからっ!」

「ひ、陽菜……!」

 顔が、熱い。胸が熱い。頭がいっぱいで、胸もいっぱいで、とても正常な思考が保てなかった。九郎の顔も、皆の顔も、見られない。

 てゆーか、見たくないっ。皆の反応っ。九郎も含めてっ。

「勝手にやってきて、勝手にいなくなっちゃう、そんなの許さないんだからっ!」

 これからがどうなるなんて、わからない。想像もつかない。ただ、今の自分の気持ちは、逃げずに正面からぶつけようと思った。

 だって、後でお礼って言ってたけど、きっと九郎は来ない。だって――、今関係ない前田さんのことをわざわざ言ってきたのは、教えなくてもいいことを、わざわざ言ったのは、私と二度と会わないようにするため――。

 うぬぼれかもしれない。でも、九郎も自分に気持ちが傾いているのだと感じていた。言う必用のない、そのうえ、はっきりとした確証もないことを言ったのは、自分を避けるためなのだと感じていた。

「私は、九郎が好き……! 会えないなんて、言わせない……!」
 
 陽菜は、九郎の胸に顔をうずめながら叫び続けた。

「異世界だって、王様だって、関係ない……! 九郎とお別れなんて、嫌だ……!」

 ますます、顔、上げられない――。

 抱きついているのもどうかと思われるが、視線を合わせるのも、怖かった。

 どうしよう。九郎、引いちゃった……?

「陽菜――」

 陽菜の頭に、手が置かれる。九郎の大きな手のひら。

「陽菜は――、本当に勇ましい運命の姫、だな」

 見上げると――、ちょっと呆れたような、でも、包み込むようにあたたかい、九郎の笑顔があった。


 穏やかに日々が過ぎていく。
 季節が変わる前、約束通り、バーレッドは伊崎祖父のハーレーに乗せてもらいに来た。伊崎邸へ。

「こんちはー! お久しぶりー!」

 バーレッドの隣には、ミショアもいる。ミショアは、はにかんで微笑み、ぴょこん、とお辞儀をした。
 二人とも、あのとき陽菜に買ってもらった服を着ていた。

「ミショアさん、バーレッドさん……!」

 伊崎賢哉が、笑顔で出迎える。

「今日はお世話になりますっ。ハーレーに賢哉氏も乗るよね、トーゼン!」

 そう言ってバーレッドは、ニッと笑う。

「じーちゃんのハーレー、サイドカー付きで定員四名だから、行けないことはないけど……」

 ちょっと、今、仕事が、と賢哉は述べた。

 だって、お邪魔だろうしね。

 賢哉は、ミショアとバーレッドをお似合いの二人と思っていた。

「楽しんできて。じーちゃんと。三人で」

 がしっ、いきなり、バーレッドは賢哉の肩に手を回した。そして、ヘッドロック状態にしつつ、ミショアから離れるように引っ張った。ミショアは、小首をかしげ、そんな二人を仲良さそうで楽しそう、といった面持ちで見ている。
 賢哉は、突然のバーレッドのヘッドロックにどぎまぎした。

「バ、バーレッドさん……?」

「主役の一人が、来なくてどーするっ」

 賢哉の耳元でバーレッドが叫ぶ。

 主役? なんのこと?

 いったい、なんの話だろうと疑問に思う。

「だ、だって、お邪魔じゃ……、いやその、仕事が……」

 賢哉は一瞬本音を言いそうになり、慌てて『仕事』というワードを持ち出す。

「なにが邪魔だあ! ほんとは俺自体が、邪魔なんだよ」

「え」

 ぽかん、とバーレッドを見上げる。バーレッドはまだ、賢哉に絡めた腕を外そうとしない。というより、さらに賢哉を引き寄せ、顔を近付けさせた。

「ミショアが、お前に会いたがってたんだ。あいつは俺になんも言わないけど、俺にはわかる。だから、俺のハーレーに乗せてもらいたいという思いに絡めて、一緒に乗せてもらいに行こうぜって、俺のほうから誘ってやったんだ!」

 え!?

「ミショアは、ずっとあんたのこと忘れられないんだよ!」

 えええーっ!?

 バーレッドは、ウインクした。

「俺は、伊崎祖父の後ろに乗せてもらう。あんたとミショアが、サイドカー。ねっ。仕事なんて、あとあと!」

 えええええーっ!?

 外はどこまでも青い空。

「賢哉! バーレッド君、ミショアさん! 準備はいいかな? では、しゅっぱーつ!」

「はーい!」

 元気に手を上げてから、伊崎祖父の後ろに乗るバーレッド。
 賢哉とミショアは、一瞬顔を見合わせた。
 微笑むミショアの頬が、赤い。
 
 僕のほうが、きっと真っ赤だ。

 慌てて視線を外し、すぐに前を見る。
 風が、熱くなった頬に心地いい。

 また、会えるなんて――。

 賢哉は考える。なにを話そう、なにを訊こう。

 この世界のこと、僕のこと、まずはどこから話せばいい……?

 流れる景色のように、次々と言葉や思いがあふれていく。

「ひゃっほー! 気持ちいいーっ!」

 バーレッドは、ご機嫌だ。
 四人を乗せ、ハーレーは走る。潮風香る、輝く海へと――。


 それは、遠い未来のこと。
 緑あふれる季節だった。

「はーい。みなさーん。今日は大切な、この国の歴史について学びまーす」

 緑色の髪の女性教師が、黒板の前に立つ。
 きらきらと、瞳を輝かせて耳を傾ける子どもたち。

「この国は、一度、大変な危機に陥りました。王様やその家族、家来たちが、皆殺されてしまったんです」

 えええー、と子どもたち。そんなことがあったんだ、こわい、と教室がざわめいた。

「そこに、勇気ある一人の姫君が現れました。刀に選ばれた異界の姫。その姫君が、この世界、そして姫君の世界、ひいては他の様々な世界を救ったのです」

 皆、すごーい、と声を上げ顔を輝かせ、先生の言葉に聞き入った。

「その姫君の名は――」

 教師は語る。姫君と王子、それから従者と仲間たちの冒険を。

「姫君と王子、手を取り合い世界を救った二人のその先は――」

 その先は、子どもたちは、机に身を乗り出すようにして話の続きを待つ。
 教師は、にっこりと微笑んだ。
 


「九郎っ! ちょっと、イヌクマの速度速すぎっ!」

 陽菜が、叫ぶ。

「ああ。すまん。つい、風が気持ちよくて」

 イヌクマに、陽菜と九郎が乗って空を駆ける。

「九郎様! 陽菜殿を乗せて楽しいのはわかりまするが、少々悪ノリが過ぎますぞっ!」

 イヌクマと並走するように空を飛ぶ、三色丸さんしょくまる。その背に、時雨が乗っている。
 雲が後ろに流れる。
 会社のこと、家族のこと、今までの自分、これからの自分。
 建て直さなければならない、九郎の国――。
 どうすれば一番なのか、どんな未来を選べばいいのか、まだ陽菜にはわからない。

 でも。九郎、そして時雨。それから、皆の棲むこの不思議な世界――。

 とんでもない巨大芋虫が森を闊歩し、獣たちは空を飛び回る。

 私は、大好きなんだ……! ここが、みんなが――!

 明照に選ばれた運命の姫は、まだ知らない。運命を、大きく豊かに切り拓いていくことを。
 陽菜はただ、まっすぐ前を見つめていた。
 どんな風も受け止めたい、そう強く思って。


「今日の歴史の授業は、これでおしまいです」

 授業の終わる鐘の音が、青空高く、遠くまで響いていた。


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