【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第20話
第20話 豆の話、未来の話
豆。
小鉢の中の煮豆を、小鬼のレイは一粒ずつたいらげる。
うーん。おいしいなあ。
人間の食べ物はどれもおいしい。その中でも、つまみにくいし掬いにくい、と苦戦していた豆料理が、レイの大好物となっていた。
「レイは豆が好きか」
朝日差し込む宿屋の食堂。
レイの斜め前に座る剣士アルーンが、尋ねる。アルーンの大きな口は、早々に朝食をぺろりと平らげてしまい、いち早くお茶をすする段になっていた。ちなみに、二番目に早く食べ終えそうなのはレイの正面、魔法使いレイオルだ。
「うん! 大好き! 色々種類があるけど、どの豆も、どの豆料理もおいしいよねえ!」
レイは元気よく答えた。隣に座る元精霊のルミも、レイと同意見のようで、にっこりとうなずく。
「へえ。そうなんだ。俺の住んでた地方では」
とアルーンは言い、それから声のトーンを落とし手のひらを口元に添えるようにして、自分たちのテーブル内にだけ話が聞き取れるような調子で、
「豆で鬼を退治する伝承があったぞ」
と爆弾発言を投下した。
ひえっ。
レイは笑顔のまま固まってしまった。
豆……! おそるべし……! おいしい振りをして、俺を……!
わなわなと、たちまち顔色が青くなるレイ。青鬼だ。
でも、レイはしっかりと木匙を掴んだままだった。皿に目を落とし震えつつも、食べるのを止める気はないらしい。
「ははは、伝説だよ、伝説! それにレイは小鬼だ、退治されるような鬼じゃ……」
とそこまで言いかけ、急いでアルーンは口をつぐんだ。さっきのひそひそ声が無意味となるような「レイの正体が小鬼」大暴露である。
「慌てなくても大丈夫だ、アルーン。誰も気に留めてもいない」
レイオルが至極冷静に言い放つ。
帽子をかぶり、かわいらしい少年の姿のレイ。周りの宿泊客たちの誰も、ちまちまと豆を口に運ぶ少年が本当は恐ろしい鬼だなどと、思うはずがなかった。さらに言えば、興味深い夜の時間や退屈な昼の時間ならいざ知らず、これから自分たちの一日の活動が始まる新しい朝、他のテーブルの客たちの会話なんて、ほとんど関心がないだろう。
「レイ。気にせずたくさんお食べ」
レイオルはテーブルに両肘を付け手を組んだ上に顎を乗せ、微笑む。豆推進派だった。
「豆は神聖な食べ物のひとつ。他の食べ物を摂取するより、小鬼力が格段に増す」
「小鬼力?」
疑問に思ったアルーンが聞き返す。
「ああ。レイは人から恐れられる鬼とは違う。神聖な豆を食べることで、特殊な力をより蓄えられるのだ」
レイオルは、お茶を一口口に含む。
「といっても、私も今気付いたのだが」
今気付いたんかーい!
豆自体には、さして注目していなかったレイオルだった。
豆、一躍脚光を浴びる。
宿屋を出ると、レイとルミの買い物の続きとなった。
「今度こそ、自分たちの好きなものを買いなさい」
レイオルとアルーンにプレゼントをしただけで、レイとルミ自身のための買い物はまだだった。
レイオルは、その点を気にかけていた。
「いいの? 出発しなくて」
レイが、レイオルを見上げ尋ねる。
「ああ。もちろんだとも。次に大きな町に着くのは、いつになるかわからないからな」
レイオルが笑顔で答える。その間、アルーンは地図を広げていた。
「うん。ここからしばらくは、森や山が続くな。その先の集落も、小さな村だ」
買い物をするには、多くの店が立ち並ぶ、この町がうってつけだった。
ライリイは――、出発したな。
レイオルは、自身の内なるアンテナを伸ばす。ライリイの気配はもう掴めなかった。
角笛のことはわかったし、取り立てて話す必要もない。きっと、ふたたび会ったところでライリイと特別な会話が交わされることはないだろう。
それでも――。
また、会おう。お互い生きて、元気な姿で。
レイオルは、広がる青空に言葉を送った。
互いに大地の上存在している、それだけで充分だった。
「いたーっ!」
不意に、指差され、叫ばれる。
おっと、油断した。
すっかり頭から抜け落ちていた。豆の話、次の行動、そして強く意図しないと掴みにくいライリイに意識を集中させていて、警戒すること、探索することを忘れていた。
長く豊かな黒髪を揺らしつつ近づいてくるのは、この町の魔法使い、ケイト。彼女に見つかっていた。
「まだなにか用か」
レイオルは、わかっているくせに、わざとしらばっくれてみせた。
「朝から私を探していたのか」
「あなたの言ってた魔法使い、私には探せなかった。私にはわからないけど、星聴祭も終わったし、たぶん、もう町を出てる。あなたたちも、今日にでもこの町を発つつもりなのでしょう? だから――」
やはり、ケイトにはライリイを見つけられなかったようだ。まあそうだろうな、とは思っていたが、レイオルとしてはライリイに面倒な説明と説得を一任したかったので、ちょっと残念と天を仰いだ。
「お願い……! 教えて欲しいの……! どうか、見えない未来について……! 星からの話が、どうしたらふたたび聞けるようになるかについて――!」
ケイトは、レイオルに向かって深々と頭を下げた。
「魔法使い、ケイト――」
声をかけられ、顔を上げるケイト。ケイトの顔を見て、ハッとする。ケイトの目は、涙で潤んでいた。
「レイオル……」
アルーンがレイオルに向かい、かすかに首を振った。
『彼女の話を、訊いてやったらどうだ』
アルーンの瞳は、そう訴えていた。
「俺、レイとルミの買い物に付き添うから。レイオルは――」
アルーンの提案。魔法使い同士、話をするよう促していた。
わかっていた。ケイトのまっすぐな眼差し。もう、誤魔化せないと。
レイオルは深いため息をつき、それからアルーンにうなずく。
「頼んだぞ。ゆっくり買い物をするといい」
どこまで話すか。話すことで、係わりが生まれてしまうのか。
アルーンにレイとルミを任せたが、どこまでケイトに打ち明けるか、まだレイオルには迷いがあった。
「昨日の夜、夢を見たの。私」
唐突に、ケイトが呟く。
「え」
「一本角の、馬。体の半分が魚で、翼がついているの。不思議な生き物」
ケイトの、赤い唇から語られる夢の話。
それは――。
「美しい生き物。とても」
神獣――。
たてがみが、翼が、レイオルの心に映し出される。昨夜、レイオルも見た、あの神々しい姿。
「その黒い瞳が、訴えるの――。未来を創れ、って――」
『選ぶのさ』
声が聞こえた気がした。笑っている。仕方ないさ、と。それはたぶん、ライリイの声。
ああ。そうか。もう、見えないところで係わりはできていたのだな。
もう一度、天を仰ぐ。雲の向こう、白い翼が見える気がした。
昨夜、星聴きが行われた広場だった。今は出店のテントも祭りのステージも撤去され、広々としている。
レイオルとケイトは、木陰のベンチに並んで腰を掛けた。
ケイトは、傍にあった落ち葉を一枚拾った。細くしなやかな指に拾い上げられた緑は、まるで星のような形をしていた。
「星聴き様と、話したわ」
「ほう」
「星からの声が途絶え、わからなくなってしまった未来。でも、時が満ち、魔法の唱和、大鏡と条件の揃う祭りのときには、もしかしたらなにかがわかるかと思った。でも、やはりなにも聞こえてこなかった、星聴き様はそうおっしゃっていた――」
そうだろうな、とレイオルは思う。今のところ未来は、「崩壊」ということで落ち着いている。
「変えることができるなら、これからだ」
「え」
ケイトは黒い瞳を大きくさせ、レイオルを見上げた。
「私が見た未来を、話そう。星の代わりに」
揺れる葉影。強い風が吹く。
レイオルは語る。過去を。未来を。知りうるすべてを。
星形の葉が一枚、飛んで行く。
ケイトは風に乱れる黒髪をそのままに、レイオルの話に聞き入っていた。
◆小説家になろう様掲載作品◆
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