【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第21話
第21話 風の魔法
どかどかと、廊下を歩く音。
誰か帰ってきたのだ、ざぶとんから陽菜が立ち上がる間もなく、
すぱーん。
勢いよく、雪見障子が開けられていた。
「陽菜さん、九郎王子!」
九郎王子……!
驚き、声の主を見上げる。
足音を響かせ、障子戸を開けた声の主は――。
「おや。他の皆さんは……?」
白髪マッチョ、伊崎賢哉の祖父だった。
九郎王子って、伊崎さんの説明では、私たちはネットトモダチってことになってたのでは――。
伊崎祖父の呼びかけに、呆然とする陽菜。
陽菜の隣、ざぶとんの上で姿勢よく座る当の九郎は、
「いかにも。私はとある世界から来た第九王子、九郎。実は伊崎殿とは初対面だ。網トモダチではない」
うなずきつつ、あっさり堂々、正体と関係性を明かしていた。
九郎……! 正直者だし、ネットイコール網って、単語変換できてるし……!
くわっ、と目を見開き振り返り、九郎を睨む陽菜。
「賢哉は? 賢哉も出かけたのか?」
伊崎祖父は、九郎の返答や陽菜の慌てぶりも気にせず、ただ孫の不在を気にかけていた。
伊崎祖父の手には、良質な風合いの紙袋。それは、布の持ち手、そして本体にブランド名らしきロゴが小さく上品に箔押しされた、いかにも高級店といった感じのものだった。
「これを、見て欲しい」
一枚板のテーブルの上に、紙袋の中身を無造作に広げる。それはたくさんの手紙だった。
そして伊崎祖父は陽菜と九郎の前に、どかっとあぐらをかいて座り、告げる。
「行ってきた。探偵やなんでも屋に依頼するまでもなかった」
え。
手紙の封筒には、切手が貼られており、郵便で届けられたものと一目でわかる。
『伊崎賢哉先生』
と筆でしたためられていた。宛名の文字は丁寧だが、全体的に少し斜めに歪んでおり、漢字のとめ、はね、はらいがやけに強調されている。癖の強い字だった。封筒すべて同じ人物の筆跡と一目でわかる。
「これは、伊崎さん宛の手紙――」
伊崎祖父は、うなずく。
「定期的に送られてきた、ファンレターだ。受け取って読んでいる賢哉の様子がどうもおかしかったから、悪いと思ったが勝手に読んだ。案の定、意味不明で気味の悪いものだった。だからそれ以降、常に郵便受けを先に開けるようにし、こいつからの手紙は抜き取って、賢哉に渡さないようにしていたんだ」
この大量の手紙は、賢哉は見ていない、俺が隠し持っているのだ、と伊崎祖父は腕組みした。
封筒の裏側、差出人の部分には、しっかりと住所と氏名が記されていた。
「住所もその名前の人物も実在していた」
封筒を見ていた陽菜だったが、伊崎祖父を見上げる。
「え。行ってきたって、まさか、この差出人の家へ――」
「そうだ。タクシーで一時間少々かかった」
伊崎祖父が説明するには、住所通りの場所に行くためというより、念のため、足がつかないようにということで愛車ハーレーではなく、タクシーで赴いたのだという。一応変装までしたとのことだった。
「我ながら、見事な変装だった。女子高生に見えたかもしれない」
いや。女子高生は無理でしょ。
もうすでに着替え済みなので真実はわからないが、わからないとはいえ、ものには限度がある。
「万が一、相手が探る様子の人影に気付いたとしても、タクシーなら手掛かりになりにくいだろう」
女子高生に扮してまで、差出人のもとへ行ったおじーさん……。
不気味な筆文字。この大量の手紙と、まさかの「九郎王子」呼び。
私たちと、どう関係があるのだろう……?
陽菜はテーブルに散らばった奇妙な筆文字を見つめる――。
「ミショアさん。この本を、見て欲しい」
公園のベンチ、伊崎賢哉は一冊の本をミショアに手渡した。
「これは――」
伊崎賢哉著の小説、「蟲」だった。
「僕の書いた小説だ。夢の内容からヒントを得た、フィクションだ。ただ――」
伊崎賢哉は、声のトーンを落とした。
「書いた当時の僕は、すべてただの奇妙な夢、完全なフィクションと思っていた。でも――、夢の回数が増えるごとに、次第に予知夢なのではと思うようになっていった。最近では、冒険心と同時にもしかしたら、という思いで河原をパトロールしていた。でも――、昨夜実際に怪物を目撃し君たちと出会ってからは、どこまでが僕の空想か、線引きが正直わからない」
ミショアの細く長い指が、ぱらぱらとページをめくる。銀の瞳が、文字を追う。指を文字にはわせることも、艶やかな唇がなにかを呟くような瞬間もあった。
伊崎賢哉は、こちらの文字がミショアに通じるかどうかわからないが、信じていた。
ミショアさんなら、読めなくても感じることができる。内容とそれの及ぼす影響について、わかるはず。
伊崎賢哉は、ミショアの様子を見守りながら、言葉を続ける。
「君たちを見つけた瞬間は、心が躍った。自分が真実を見ていたという嬉しい気持ちが強かった。でも……。一晩明け、不安が強くなってきたんだ。付け足した脚色や膨らませたストーリーもあるとはいえ、僕が本に書いて発表したことで、なにか現実に悪い影響を与えてしまっているんじゃないかって――」
最後のほうまで指が到達すると、ミショアは本を閉じた。
「ミショアさん。僕の軽率な行為が、世界になにか恐ろしい――」
ミショアは、首を振った。花のような微笑みを、たたえながら。
「いいえ。伊崎さん。大丈夫です。確かに物語から感じるのは、飛蟲姫をモチーフにしたような怪物、我々のように異世界から来た人物たち、そして明照のような特別な武器、それから陽菜さんのような選ばれた主人公。ですが――、きっと、大丈夫です」
「ミショアさん――」
「大丈夫ですよ」
ミショアはもう一度、優しい声で告げた。
ほっとするように、ため息。伊崎賢哉は揃えた二本の指で、丸眼鏡の真ん中を上げた。
「伊崎さんは、この本自体に呪いのような恐ろしい力がこもってしまったのではないか、そう心配されていたのでしょう? 悪の力に加担しているのではないか、そう思われたのでしょう?」
ミショアは両手で丁寧に本を包むようにして、伊崎賢哉に渡す。その生み出された一冊が、作家にとって大切なものであることをミショアはわかっていた。
「伊崎さんが案じていらっしゃるようなことはないと思いました。とても興味深い物語だと感じます。伊崎さんが夢で感じ取ったことはおそらく、おおむね私たちの世界の現実を映していたのだと思います。でも、これは紛れもなく伊崎さんの綴った物語です。読んだ人が驚き、楽しみ、心に自由を与えるためにと、真剣に創作された芸術です」
「ありがとう。ミショアさん――」
ミショアはうなずき、なにかを小さく口ずさむ。それは歌のような、呪文のような。
風が吹く。ちょっと不思議な動きの、つむじ風。
背後から、歓声が起きる。幼い女の子の声と、母親らしき女性の声。
振り返る、伊崎。
女の子の、先ほどまでからっぽだった手には、赤い風船。
ふふっ、とミショアは笑った。
「あらあ、不思議、不思議ねー!」
「うんっ! ふちぎだねえー。ふうせん、ちゃんとかえってきたあー」
親子の弾ける笑い声。
「ナイショですよ」
人差し指を自分の唇に当て、微笑むミショア。
「風の、魔法ですね」
親子のもとへ帰ってきた赤い風船を目に留めながら、伊崎も笑った。
「バーレッド君が、話してくれたんだ。君たちのほんとうを」
伊崎祖父が打ち明けた。
バーレッドと話し込んでたって言ってたけど、バーレッド、話しちゃってたんかーい!
陽菜は驚くと同時に、なんだか納得していた。気が合いそう、ちょっと話しただけでも、すぐ打ち解けちゃいそうだよなあ、と。
陽菜の様子を見てなにか思ったのか、伊崎祖父は説明を付け足す。
「ああ、陽菜さん。心配しないで。俺も賢哉同様、ちょっと不思議な力があってね」
え。
「賢哉は知らないだろうけど、実は、俺のほうが不思議な力は強い」
オカルト方面の研究や執筆をしているという伊崎。あえて、伊崎祖父は自分のことを語らないのだという。
「本当のところ、賢哉にはそういったほうに深く足を踏み入れて欲しくないから」
ただ、危険なほうに進まないよう、時々目は光らせている、そっと守りを送っている、と伊崎祖父は不思議なことを述べる。
「朝、バーレッド君たちを見て、彼らが普通の人間ではない、すぐに気付いたんだ。最初宇宙人の団体かと思ったよ」
宇宙人に初めて会ったのかと思った、まさか異世界人とは、と伊崎祖父は笑う。
「そして、一番話しやすそうなバーレッド君から、こっそり大まかな話を聞き出した。実は前々から――、ちょっと賢哉について気になることがあったのだが……。君たちとどこか、繋がるものを感じたんだ」
それが、この手紙だ、と伊崎祖父は話す。
「陽菜さん。特にこの一番最近届いた一通。読んで欲しい」
伊崎祖父と九郎の見守る中、陽菜は、手紙を開く。少し、指が震えた。
きっちりと神経質に折りたたまれた紙を広げた瞬間、今まで嗅いだことのない、薬草のような得体のしれない匂いがした。
蠢く生き物のようにびっしりと綴られた筆文字。
『親愛なる伊崎先生
先生のすべてを、僕は愛しています。
先生の悪夢が誕生するのは、もうすぐです。
待っていてください。
待っていてください』
待っていてください、がそのあと何行も繰り返されていた。繰り返すごとに、文字は荒々しく乱れ、墨汁の黒いしぶきが点々とはねていた。
『先生の夢は、僕の夢です。
これまでも、これからも。
蟲は、世界に死と繁栄をもたらします。
異なる世界から来た彼は、約束してくれました。
選ばれた僕と先生と未来に、輝く栄光を。
愚かな民衆に、滅びを。
ああ。先生の笑顔が浮かぶようだ。
僕は、僕の使命を知ったのです。
お手紙を差し上げている通り、昔から先生のお屋敷は、存じ上げております。
しかし、僕は自分を律しています。
先生に逢える資格を手にするその日まではと、そう戒めてまいりました。
明日から遠くないいつか、逢いに行きます。
必ず』
ぞっとする文字。鬼気迫るものを感じ、知らず知らずのうちに手紙を持つ手が震える。
最後に――、差出人と同じ名前が記されていた。
『津路 亜希螺』
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