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【創作長編小説】天風の剣 第131話

第九章 海の王
― 第131話 ささやかな望み ―

「ダン。申し訳なかった――。アマリアさんを、探せなかった――」

 ノースストルム峡谷には、すでにオリヴィアやダンたちも無事戻っていた。キアランは、ダンに詫び、アマリアが無事であること、しかし所在はわからない旨を告げた。
 ダンは、首を振り、キアランの肩に手を置く。

「キアラン。私のほうこそ、謝らなければ――。妹のために辛い思い、大変な思いをさせてしまって申し訳ない」

 ダンは憔悴しきった顔をしていたが、しっかりした口調でキアランに声をかけ続けた。

「そもそも、私たち一族は、すべての危険を承知の上だ。それぞれ単独行動で旅をし続けていたのも、覚悟あってのこと。囚われているアマリアも、ただ囚われているだけではない。常に活路を見つけ出そうとしているはずだ」

 激しい吹雪が続いていた。ほとんど変わらない風景の中、事態も動く気配もなく、時間だけが過ぎていく。
 傷を負った兵士や魔法使いたちは皆、快方に向かっていた。人々が健康を取り戻しつつあること、四聖よんせいをはじめとする皆が、不安と恐怖に戦いつつも表面上は安全に過ごせていること、それがキアランにとっても救いとなっていた。
 
 四天王パールも、活動を始めただろうか。

 降り積もる雪を踏みしめ、キアランは一人外に出てみた。
 どこかで、きっとたくさんの命が失われているのだろう。あまたの犠牲の上、パールは力をつけ続ける。
 キアランは、すらり、と天風の剣を抜く。
 アマリアのこと、名も知らない、しかし確かに暮らしを営み続けてきたであろう、遠くのたくさんの命のこと。それらを思うと、胸が張り裂けそうだった。歯がゆさに、天風の剣を持つ腕が震えた。

 私の守れることなど、戦えることなど、ほんのわずかだ――。

 どうしたら、救えるのだろう。なにが、自分にできるのか。どうするのが最善の道か。キアランは思いを巡らす。
 一刻も早く、空の窓を封じてこの世界を変えたい思いと、少しでも長くアステールと共にいたい思い。矛盾した二つの思いがキアランを苛める。

 アステール。お前は、本当はどうしたい……?

 ずっとこの世界にいたい、そうアステールが答えたら、思っているとしたら――。自分は、果たして天風の剣を空に掲げることができるのだろうか、キアランは自問する。

 空の窓を封じても封じなくても、どちらにせよ結局、世界は大きく変わることはないのかもしれない。
 
 魔の者が消滅するわけでもなく、アマリアが助かるという保証もない。そして、きっと、人々の心や暮らしが劇的に変わるわけでもない。魔の者に支配される可能性がなくなるとしても、その脅威に怯え続ける毎日は変わらないだろう。
 青白く光る天風の剣は、なにも答えない。実際は、答えているのかもしれないが、キアランにはわからない。雪は、キアランの頬を、全身を、冷たく叩き続ける。
 キアランは、ため息をつく。白い息も、凍ってしまいそうだった。

「大丈夫? キアラン」

 後ろから、声がした。花紺青はなこんじょうだった。

 いつの間にか、風が穏やかになっていた。雪も珍しく小降りになっている。
 キアランと花紺青はなこんじょうは、岩陰に並んで腰をおろしていた。

「アステールは、お願いしますって言ってるよ」

 花紺青はなこんじょうはキアランを見上げ、アステールの言葉を届ける。

「え」

「使命を果たしてほしい、それがアステールの変わらぬ願いなんだ」

 薄い灰色の雲間から、一筋の光が降りた。天風の剣が、かすかにきらめきを宿す。
 キアランは、花紺青はなこんじょうから視線を逸らす。涙が、あふれそうになったのだ。
 
「……アステールは、なにか、してほしいこと、自分自身への望みはないのだろうか――」

 アステールの望みを、叶えてやりたいと思った。剣であるアステールが、望むことなどないのかもしれない。それでも、聞きたい、キアランは切に思う。

「研げというならとことん研ぎたい。血が欲しいというならとことん斬りたい」

「怖いこと言わないで」

 聖地であるノースストルム峡谷に居心地の悪さを常に感じている花紺青はなこんじょう、キアランの言葉というより慣れない環境から気張った怖い目つきをしつつ、キアランに言葉を返す。

「なにか、伝えたいことはないのだろうか」

「伝えたいことは、すでに全部伝えてるって言ってるよ」

「そうか」

「あ」

「なんだ?」

「改めて、ありがとうって、キアランに言ってる。それは何度伝えても足りないって」

 逆だ、そうキアランは思う。

「ありがとうと言いたいのは、私のほうだ――」

 キアランの瞳から、光るものが落ちる。

「すまない。アステール。本当に――」

 花紺青はなこんじょうは、うつむくキアランの背に手を当てる。

「……もう一度、アステールに望みを聞いてみるね」

 花紺青はなこんじょうは、アステールに静かに語りかけた。冷たく澄んだ空気が辺りを包む。

「……希望、あったよ」

「えっ」

「すごく遠慮してたけど、なんとか訊き出した」

「アステールのしてほしいことって、なんだ?」

「花が見たいんだって」

「花――」

 雪と氷に覆われた、ノースストルム峡谷。最後にもう一度だけ、花の景色を見てみたい、アステールはささやかな望みをためらいながらも伝えてくれた。

「行ってみよう。花の咲いているところへ」

 キアランは、立ち上がる。そしてその足で早速、皆や上層部の魔導師たちのところへ赴き、少し外出することを伝える。
 キアラン自身、じっとしていられないというのもあった。もしかしたら、シトリンたちやシルガーと接触できて、アマリアの新しい情報を手に入れられるかもしれない、そんな思いもあった。ノースストルム峡谷の近くにいるらしい、白銀しろがね黒羽くろはとも会えるかもしれない、そんなことも考えた。
 空の窓が開くまで、あと三日となっていた。



「キアラン」

「カナフさん――!」

 近くの町を目指してフェリックスを走らせていたが、途中でカナフに出会った。

「カナフさん……! 無事だったのですね……!」

 カナフは微笑みうなずく。ただ、その笑顔には、深い憂いが透けて見えた。

「四天王パールの破壊活動が始まったようです。他の高次の存在たちは、そちらに集まっているようです」

 キアランの恐れていた言葉だった。やはり、パールは活動を始めていた――。
 カナフは、気持ちを切り替えるように、口調をほんの少し明るくした。

「花、ですね。それなら、とてもいいところがあります」

 カナフに導かれ、キアランと花紺青はなこんじょうは、カナフが上空から目にしたという場所に向かう。

「雪が降っているのに、こんなに美しい花々が――」

 冬に咲く花に彩られた小道だった。赤い花の木と、白い花の木が立ち並ぶ。
 キアランの顔にも、笑みがこぼれた。

「アステール。見えるか?」

 つやつやとした厚みのある濃い緑の葉に、黄色の花芯の、大輪の赤い花と白い花。雪の中でも凛と咲き誇る。

「アステール。笑ってるよ」

 花紺青はなこんじょうが伝える。

「アステール。お前と共に眺めたこの景色、私も忘れない――」

 雪を運ぶ風が通る。
 水色の髪を風にそよがせ、はにかむように笑っているアステールの姿が見えたような気がした。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆


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