【創作長編小説】天風の剣 第130話
第九章 海の王
― 第130話 出口は、きっと自分で見つけられるはず ―
キアランさん、シトリンちゃん――。
アマリアは、自分自身のことより、キアランやシトリンのことを案じていた。
あの瞬間、キアランを抱え、シトリンは間一髪、獅子の牙から逃れたように見えた。しかし、自分の夢の中に来てくれた彼らが、無事それぞれの自分の体に戻れたかどうか、気がかりだった。
ズン……。
腹の底に響くような地響き。
巨大な黒い獅子のたくましい足が、アマリアの目の前に踏み出される。草が、花が揺れた。
「私は、あなたなんか怖くないわ」
アマリアは、獅子を見上げ、静かに告げた。
「ここは私の夢よ。出ていきなさい」
一歩も引かずアマリアは、きっ、と獅子を睨んだ。
獅子は顔をアマリアに近付けた。口が大きく裂け、鋭い牙が見える。笑っているようだった。
夢の中で食べられたら、死ぬのだろうか?
そんな恐ろしい疑問が頭に浮かぶ。しかし、アマリアは獅子を睨み続けた。
「私は負けない。だって、ここは私の世界だから」
そうだ。ここは私の夢なんだから、そうアマリアは思う。
アマリアは、自分を鼓舞するように胸元で拳を、ぎゅっと握った。
「オニキス……! あなたが四天王だからといって、決してあなたの思い通りになんかならない……!」
呪文を放つときのように、揺るがぬ心で叫ぶ。
獅子の金色の鋭い瞳が、一瞬、たじろいだように見えた。
金の光が、かすかに揺れる。
え……?
獅子は、アマリアから視線を逸らした。
バッ。
獅子は、漆黒の四枚の翼を広げる。
「待って……!」
獅子は、空へ飛び立つ。
「四天王オニキス……!」
あっという間に、見えなくなった。
アマリアは、立ち尽くす。
金の瞳に映ったのは――。
獅子の瞳の中、うつろう悲し気な色を、アマリアは思い返す。
不安……?
四天王。他の魔の者を凌駕する、圧倒的な力。魔の者の四つの頂点といわれる。
オニキスは、キアランさんのお父様を殺し、その座を手に入れたという。でも、彼は――。
白いふわふわとした綿毛が風に乗り、アマリアの目の前を横切っていく。
黒い雲は、もうどこにもない。
強い力を手に入れても、いつも不安の中にいるんだ――。
アマリアは、夢の中佇む。まだ、目覚めることは叶わない。でも、と思う。
オニキスは、私の言葉に反応した――。
あの獅子は、アマリアの夢を支配する力の象徴。オニキスそのものではない。それでも、アマリアは、顔を上げる。
手応えがないわけじゃ、ない……!
薄紅色の花をかきわけ、歩き出す。裸足だった。魔法の杖も、剣もない。
ここは、私の心の中……! 出口は、きっと自分で見つけられるはず……!
アマリアは、風に揺れる亜麻色の髪を耳にかけた。
柔らかな唇に、ふと、微笑みがこぼれる。
キアランさんも、シトリンちゃんも、危険を承知で来てくれた――。
足裏に感じるのは、冷たい土の感触ではなく、あたたかなぬくもり。
キアランの抱擁が、シトリンの笑顔が、アマリアに力を与えていた。
ずっと雪が降っていた。同じような空の暗さ、体だけでなく思考まで凍らせてしまうような寒さで、時間の感覚も麻痺していた。
「キアラン。食事をとらなければいけないんじゃないか」
シルガーが声をかける。キアランは、昼をだいぶ過ぎても食事をとっていなかったことに、そこで初めて気付く。
「アマリアさんを早く見つけたい気持ちはわかるけど、休憩も大事だよ」
花紺青が心配そうな顔つきで、キアランを見上げる。
「ごめん……。みんな……」
フェリックスのたてがみについた雪を手で払いのけてから、キアランはフェリックスの背から降りた。
「なんでキアランが謝るのー? 魔の者は、数日食べなくても、まとめ食いで大丈夫だからヘーキだよー」
シトリンが、首をかしげながら白い息を弾ませる。口を大きく開けて話すので、白い息も特大版だ。そして、あっ、と気が付いたように口元に手をあてる。
「お馬さんのフェリックスも、ごはん食べなきゃだねー」
フェリックスに駆け寄り、シトリンは微笑みかけた。それと同時に、翠と蒼井もフェリックスの前に立った。
そして、 翠と蒼井は、フェリックスの前、同時に手を伸ばす。
ん? それは……?
翠と蒼井の伸ばした手には、それぞれ同じものが握られていた。
それは、どう見ても――、人参。
人参――!?
目の前に二つも人参を差し出されたフェリックスは、鼻をならして喜ぶ。
意外過ぎるアイテムだった。翠と蒼井の手に、まったく似つかわしくない、お馬さん大好物の、逸品。
「翠、蒼井! それ、いつの間に、どうして――」
キアランが目を丸くし、尋ねる。
「さっき、キアランとシトリン様が眠っている間、町で」
翠と蒼井は、声を揃える。
盗んだのか――!
キアランの顔から、さっ、と、血の気が引く。きっと、野菜を売っている店先から、盗んだのだ、キアランがそう愕然とした次の瞬間、キアランの耳に届けられた次の言葉は――。
「ちょっとした動きをしたら、喜ばれ、もらった」
動きで喜ばれ……? なにか人間の手伝いをしたのか――!?
人間の仕事を手伝ってきたのかと、キアランは思った。
「人々が集まり、我らの動きを眺めていた。拍手ももらった」
芸をしたのか――!
キアランの目が、カッと見開く。
翠と蒼井は、町中でただ「ちょっとした動き」をしていたのだという。たちまち人が集まってきたそうだ。「ちょっとした動き」とはなんなのか、謎ではあるが、正当な報酬だった。
「人間と少し違う怖い風貌も、奇術的なものとして受け入れられたみたい」
そう説明を付け足した花紺青が、いったい今までどうやってしまっていたのか、胸元から大きなパンやチーズを取り出す。
えっ。
キアランは、ふたたび目を大きく見開かざるを得なかった。
「花紺青! それは――」
盗んだのか――!?
キアランは、花紺青の瞳を見つめた。花紺青も魔の者だから、人から盗んだとしてもなんら不思議ではない。しかし、そんなことを思いたくはなかった。
花紺青の瞳は澄んでいて、まさか、盗みを働くなど――。
「僕も、ちょっとした動き、つまり踊ったんだ。まあ、僕のほうが翠や蒼井より上手だったから、こんなにたくさんもらったんだよ」
またしても、正当な報酬だった。それはまあ大変よしとして――。
踊ったのか――! 翠と、蒼井も……!
キアランの驚きは、留まることを知らない。驚き、青天井である。
花紺青はともかく、翠と蒼井も踊るんだという衝撃の事実に、キアランはめまいがしそうだった。
「キアラン。そんなわけで、そろそろ食事はどうだ」
そう提案するシルガーの手には、しっかりと、干し肉や、ソーセージや、目移りしそうな様々な種類の総菜パン。
豪華じゃないか――!
「踊った」
シルガーの、勝ち誇ったような満面の笑み。
キアランは、ついに粉雪を舞い上がらせつつ、卒倒した。
倒れる寸前、人参をもらっておいしそうに口を左右に動かしているフェリックスの姿が、キアランの目に映っていた。
腹が満たされると、ある程度、心も安定するものである。
雪も小降りになっていた。雲間から夕日が顔を出す。
「キアラン」
キアランは顔を上げ、シルガーのほうを見る。
「四聖たちのところへ、戻ったらどうだ」
銀色の髪が夕日を受け、かすかにオレンジ色に染まっていた。
「でも――」
「やみくもに動き回るのではなく、力を蓄え、備えたほうがいい」
もうすぐ、空の窓が開く。そのことは、キアランもよくわかっていた。
アマリアの気配は、変わらず掴めない。
「オニキスは、絶対に現れる。アマリアを連れて。そして――」
アマリアを連れて、と聞き、びくっとキアランの肩が揺れる。
「アマリアさんは――!」
「大事な人質だ。それまでは無事だ」
それまでは、その言葉が尖った氷のようにキアランの胸を貫く。
シルガーは、動揺するキアランに構わず言葉を続ける。
「脅威はオニキスだけではない」
日が傾いていく。
「四天王パールも」
降り積もった雪が、氷へと変わる。
キアランは、立ち上がった。
「ごめん。皆。ありがとう――」
キアランはフェリックスの背に飛び乗り、花紺青も板に乗る。
シルガー、それからシトリンと翠と蒼井は、とりあえずそれぞれ気に入った場所で体を休めるようだ。
「戻るぞ。ノースストルム峡谷へ――」
凍った大地に映る月明かりに導かれるように、キアランを乗せたフェリックス、花紺青はノースストルム峡谷へ向かった。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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