【創作長編小説】天風の剣 第88話
第八章 魔導師たちの国
― 第88話 みんな、しばらくばいばーい ―
青空に、白い鳥。
白い鳥はまっすぐ空から飛んできて、魔導師オリヴィアの細い肩にとまった。
鳥の足には、小さな手紙らしきものが結ばれていた。
「塔からの返事です」
オリヴィアは、手紙を紐解く。
「塔?」
キアランは、思わずきょとんとした。
手紙に視線を走らせるオリヴィアの美しい横顔は、輝いていた。とてもよい知らせであることが、はた目にもわかった。
オリヴィアは、空に鳥をそっと放ち、キアランたちのほうを振り返る。
「ルーイ君たちは全員、無事エリアール国の『白の塔』の中で守られているとのことです。まっすぐそちらへ向かいましょう」
「皆、無事に守られているのか……!」
キアランの胸に、喜びが広がる。
「ええ、そうです……! 『白の塔』は、魔の者の脅威にさらされている四聖たちにとって、エリアール国の中でもっとも安全な場所です」
それから、と明るい表情でオリヴィアは付け足す。
「皆さん、健康状態はとても良好とのことです。馬たちも含めて、ね」
キアラン、アマリア、ライネは、待ち望んでいた朗報に、はち切れんばかりの笑顔を交わし合った。
もうすぐ、ルーイたちに会える……!
皆の元気な笑顔が目に浮かぶようだった。早く声が聞きたい、思わずフェリックスの手綱を握る手も熱くなる。
「この森を抜ければ、国境ですよ」
オリヴィアが深い葡萄色の髪を揺らし、そう微笑んだとき――。
「私たちは、ここで離れるとするか」
シルガーが、唐突に提案した。皆、驚いてシルガーの顔を見た。
シトリンが、大きな目をめいっぱい大きくし、大声で尋ねる。
「ふーん? そうなの? ここまで来たのに?」
「ここまで来たから、だ」
「なんだー。ずっと一緒かと思ったのにー。じゃあ、ばーいばい」
シトリンが、首を傾げつつ、シルガーに手を振る。
「私たちとは、お前たちもだぞ」
シルガーが呆れたように言う。
「えっ! 私たちって、私たち!?」
シトリンが思わず声を裏返しつつ、自分と翠と蒼井を、「私たちの範囲の確認」として、人員点呼のように人差し指で順番に指差した。
「カナフと花紺青も、だ」
「えっ、僕とカナフおにーさんも!?」
花紺青が目を丸くする。
「当然だ」
「なんでっ?」
シルガーは、質問した花紺青ではなく、オリヴィアに視線を置きつつ、言葉を続ける。
「ここからしばらくは人間社会の話だ。我々がいるとなにかと話が面倒になる。そうだろう? 魔導師オリヴィア」
オリヴィアは、驚いたようにシルガーの瞳を見つめた。それから、慎重にうなずいた。
「ええ――。まあ……、そう……、ですね」
言葉を濁し、少し顔を曇らせたオリヴィアの様子を見て、シルガーが問う。
「高い地位につく、まだ若き女魔導師――。お前自身、色々面倒ごとを抱えているのだろう……?」
オリヴィアの表情が、一瞬強張る。それからオリヴィアは、ふう、とため息をついた。
「……あなたは、人間社会についてもよくご存知のようですね」
「私は、好奇心旺盛でね。人間のふりをして旅をしながら、色々見聞きしてきた」
シルガーは、シトリンに視線を移す。
「それからシトリン。お前らは人間を殺し過ぎだ。人間の敵と見なされていること、忘れるな」
「え。忘れてないよー。私は、動きたいように動くだけだよ」
「キアランたちや四聖の立場が悪くなっても、自分の好きなように行動するのか?」
シトリンの表情が変わる。んー、とシトリンは腕を組んだ。そしてなにかを考え込むように押し黙る。
「シルガー! シトリン様に失礼だぞ」
シルガーの前に翠が立つ。翠の瞳は、静かな殺気に満ちていた。
「人間社会がどうこうなど、シトリン様の知ったことか……!」
蒼井の長い髪も、闘気で逆立つ。自分たちの大切な主であるシトリンの反応次第では、すぐさま戦闘に移行しかねない、ピリピリとした不穏な空気が漂う。
「人間社会が、どー、こー、なんて知らないけど……。でも、うーん」
シトリンが、呟く。
エリアール国には、シトリンに仲間を殺された僧兵たちも大勢入国している。
「四聖のみんなや、ここにいるみんなが悲しい顔をするのは、嫌だなー……」
シトリンが、うつむく。いつも元気いっぱいの声が、心なしか震えていた。
それは、シトリンの心からの言葉のようだった。
「シトリン様は、なんとお優しい……!」
翠が、感嘆の声を上げた。殺気はどこかに消えていた。
蒼井が、シルガーを指差す。
「シルガー! 言っとくが、シトリン様のおっしゃる『ここにいるみんな』、とは、お前を除く皆だぞ!」
謎の勢いで蒼井が叫んでいた。相変わらず蒼井の髪は空気をはらんで逆立つようにしていたが、それは闘気からではないようだった。
シトリンは、真顔で蒼井を見上げる。
「いや。フツーに、シルガーも混ざるよ?」
びいー。
鳥の声が、響く。
先ほど手紙を持ってきてくれた鳥だろうか、皆の頭には、ぼんやりとそんなことが浮かんでいるようだった。
蒼井の唇が、わなわなと震えた。
「シトリン様……! シルガーごとき男に、なんとお優しい……!」
蒼井が両手で頭を抱えつつ、感嘆の叫び声を上げる。
「……どうでもいい」
低く呟く当のシルガーの顔からは、一切の表情が消えていた。
魔の者たちの奇妙なやり取りに、キアランたちはただの傍観者となり果てていた。ただ、カナフだけは、翠とシルガーと蒼井のやり取りに、おろおろと一人慌てていたが。
今度は今まで黙っていた花紺青が、シルガーに抗議する。
「僕は、キアランの従者だ! それにこの通り、僕は魔の気配をしっかりと抑えられてる……! 僕は、キアランと同行する!」
「魔導師オリヴィア」
シルガーは、花紺青ではなくオリヴィアのほうを向く。
「お前は、あの子どもが人間に見えるか?」
子どもって改めて言うな、花紺青は抗議し続けていたが、シルガーはそれも無視し、オリヴィアの返答を待つ。
「……いえ。巧妙に魔力を隠してはいますが、非常に高い能力の魔の者、しかも従者と見受けられます」
「えっ! わかっちゃうの!?」
驚く花紺青の声には、オリヴィアに「非常に高い能力の」と評されたことへの喜びが、不覚にもにじみ出ていた。
「ほら。人間でも、けた外れに優れた能力の持ち主にはわかるようだ」
「えー……。常盤にやってもらった魔力の置き場のエネルギー調整、完璧のはずなんだけどなー……」
口を尖らせ、ぶつぶつと、花紺青が呟く。
シルガーは、カナフのほうを振り返る。
「お前の存在も、人間社会に誤解と混乱を招くだろう。基本的には、行動を別としたほうがいい」
「はい――。私もそう思います」
カナフは、素直にうなずいた。
「そんなわけで、キアラン。我々はしばらく行動を別とする」
シルガーは、そうキアランに告げ、それから少し首を傾げた。
「と、いうか――。なぜそんな宣言をわざわざ私がしなければならないのか、他の連中を説得する必要があるのか、はなはだ疑問ではあるのだがな」
「シルガー……」
ふうー、とシルガーは大きくため息をつく。
「暇を持て余しているとはいえ、私はいったい、なにをしようとしてるのだろうな……?」
シルガーは、自分でもわからん、といった様子で、呆れたように首を左右に振った。
「シルガー……?」
シルガーは顔を上げ、キアランを見た。
まっすぐな、瞳だった。
「なぜか、黙って見ていられんのだよ」
シルガーは、眉根を寄せつつ――、かすかに笑っていた。
シルガー……!
キアランは、シルガーに微笑みを返す。ごく自然なタイミングで――´。
シルガーは私たちのことを考え、これからも私たちと行動を共にしようとしてくれている――。
交わす視線の間に、確かな時間が流れていた。
「またすぐ、会えるんだろう……?」
キアランが尋ねる。疑問形の形をとってはいたが、それは今までとは違い、答えを確信した問いだった。
ふっ、と、シルガーの口から笑い声が漏れる。
「まったく、お前らは、世話が焼ける……!」
やれやれ、といったように呟くシルガーは、心なしか嬉しそうに見えた。
それから、シルガーは、視線を蒼井に移し、蒼井を指差した。
「お前らとは、蒼井、お前も含めてだからな!」
突然名指しされ、蒼井は、面食らう。
シルガーの周りに、風が集まり始めた。
「余計なお世話だ!」
蒼井が叫び返したときには、シルガーの姿はすっかり消えていた。
「さて」
シトリンが、足元の小石をぽん、と蹴った。
「私たちも、行こっかー」
シトリンが、小首を傾げながら蒼井と翠に声をかける。
「みんな、しばらくばいばーい! みんなより先にルーイおにーちゃんたちのとこ行ってるかもしんないけどねー」
シトリンが笑顔で手を振る。蒼井と翠は、シトリンを守るようにシトリンの両脇に立ち、黙って頭を下げた。
たちまち、シトリンと蒼井と翠の姿も、かき消すように見えなくなった。
「離れて皆さんのこと、見守っていますね」
カナフが、笑顔でそう告げる。
「カナフさん……!」
白い翼を羽ばたかせ、エリアール国上空へと、カナフは飛び立っていった。
「僕は……、うーん」
花紺青は、腕組みをして考え込む。どうしようか、どうするのがベストか、悩んでいるようだった。
「花紺青君」
オリヴィアが、そっと声をかけた。花紺青が顔を上げる。花紺青の顔は、不安と寂しさでいっぱいのようだった。
「あなたはたぶん、大丈夫。注意しなければいけない人物もいるけど、魔導師でも大抵の人は、あなたが魔の者であるって、気付かない」
オリヴィアは、包み込むような笑みを浮かべる。
「あなたは私たちと一緒に、来ますか……?」
「オリヴィアさん!」
たちまち、花紺青の顔が明るく輝いた。
「話がわかるねっ」
花紺青は、勢いよくジャンプして、オリヴィアの胸に飛び込み、抱きついた。よほど嬉しかったらしい。
キアラン、アマリア、ライネは、そんな花紺青の様子を見て、顔を見合わせ吹き出していた。
緑の向こうに、国境を守る建物が見えていた。
「ヴィーリヤミか」
僧衣の男が、廊下で足を止め、振り返る。
明るい窓から日の光を受けた暖色系の絨毯の延長に、ふと冷たい空気の流れを感じたのだ。
いつの間にか、ヴィーリヤミが立っていた。
「私の読み取った手紙のすべて、お伝えいたします――」
まるで、ぽっかりと空に浮かんだ三日月を横たわらせたように、ヴィーリヤミの口だけが笑っていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?