【創作長編小説】天風の剣 第50話
第五章 最後の四聖
― 第50話 また、お会いしましょう ―
「んもう! まったく、どこへ行くつもり!?」
漆黒の四枚の翼で風を切りつつ、シトリンが叫んだ。
同じ四天王であるアンバーを、追い続けるシトリン。シトリンとアンバーの距離は縮まらない。
雲が、星が、流れていく。
小さな腕と波打つ長い髪の毛を使って、キアランを抱えたシトリンは、闇の中を滑空する。
アンバーは攻撃をしかけてこない。ただただ、ルーイとフレヤを抱え、直線的に飛行する。
アンバーは、高次の存在が嗅ぎ付けて来るのを警戒しているようだ。
体を打ち付ける風に、変化が現れつつあった。
これは……!
気が付けばキアランの眼下に、黒い景色が広がっている。
海、か……!?
あっという間に、海岸を離れ、キアランたちは海の上を飛んでいた。
「……んー。あのおじさん、私の攻撃を左手で食べてたみたいだったなあ」
シトリンは飛び続けながらそう呟き、そしてなにか思いついたようで、急に声を弾ませた。
「前を向いて飛んでる今なら、私の攻撃でも、ばっちり効いちゃうかも!」
「やめてくれ!」
すかさずキアランが叫んだ。
「え? どうして?」
「お前の出す強すぎる攻撃のエネルギーは、きっとルーイとフレヤさんまで巻き込んでしまう……!」
両腕にルーイとフレヤを抱え、空を移動するアンバー。確かにシトリンが今攻撃をぶつけたら、アンバーの左手の力で衝撃を吸収するのは難しいように思えた。しかし、それではルーイとフレヤに深刻な被害が及ぶのは目に見えていた。
「シトリン……! なんとか、もっとスピードを上げられないか……?」
「むー……」
シトリンは、両頬をぷくっと膨らませた。
「ご、ごめん。精一杯飛んでくれてるのか。無理を言ってすまな……」
ギュン……!
キアランが慌てて言葉を撤回しようとしたときには、もうすでに速度が格段に上がっていた。今までも充分速かったが、キアランが息苦しくなるような速度の上昇。シトリンは、さらに頑張ってみたらしい。
「すごいな! シトリン……!」
全身を叩きつけるような風の中、キアランが大声で叫ぶ。
「でしょ! 私、やればできる子なの!」
シトリンはキアランに褒められ、ご機嫌な様子で叫び返した。
眼下の黒い景色は広がり続けている。見渡す限りの海――。
海……。海を進むということは――。
キアランは、かつて見た地図を思い出した。
他国へ向かっている……!
あきらかに目指すエリアール国の方角ではなかった。シトリンが加速する前、瞳に映した星の位置、飛んでいる体の感覚から、キアランは自分たちが向かっている方角を導き出す。
この先は、おそらくサントアル公国……!
キアランにとっては、地図でしか見たことのない、海の向こうの遠い国。地続きのエリアール国の人々とは同一の言語を使用しているためなんの苦もなく会話をしているが、サントアル公国については、まったく言葉がわからない。
キアランは、そこまで考え、ふと気付く。
魔の者や高次の存在たちは、どうして人間と話ができるんだ……?
そんなことを考え始めたとき、アンバーの大きな翼がもう目と鼻の先に迫っていた。
「ルーイおにいちゃんと、フレヤおねえちゃんを返しなさい!」
ついにシトリンは、アンバーの前に回り込んでいた。
シトリンに進路を妨害されたアンバーは、空中に停止した。
「……しつこいですねえ。どうしても、私と勝負したいのですか」
アンバーは少し首をかしげ、唇に不敵な笑みを浮かべていた。
「別にあんたなんかと勝負したくないわ! 私が勝つに決まってるし!」
ふうん、とアンバーは鼻で笑う。
「その自信の割には、余計なものを連れてますねえ」
アンバーは、キアランを一瞥する。余計なもの、とは言うまでもなくキアランを指している。
「そーゆーあんたこそ、おにいちゃんとおねえちゃんをしっかり掴んで離さない、それってつまり、勝つ自信がない、そーゆーことでしょ!?」
「お前らいったい、何語で話してるんだ!?」
シトリンとアンバーの言葉の応酬に割って入り、思わずキアランは思った疑問をそのままぶつけてしまっていた。
しまった……! そんなどうでもいい疑問をぶつけている場合では……!
「おや」
「あれ」
シトリンとアンバーは、ほぼ同時になにかに気付いたような、短い声を上げる。
今の、聞かなかったことにしろ! そんな質問は、どうでもいい!
キアランは心の中で叫ぶ。そして、炎の剣を一度体の中にしまいこんだ。
キアランのあまりにも場違いすぎる質問に、アンバーとシトリンは呆気に取られているのかと思った。
しかし、アンバーとシトリンの顔は、同じ方角を向いていた。
どうやらアンバーもシトリンも、同時に遠くのなにかを発見したようだ――。
よかった! 私の愚問は関係ないらしい!
キアランはちょっとだけ安堵した後、急いで気を取り直す。
同じ手はもう通用しないかもしれない……! でも、なにかに気を取られている今なら……!
キアランは、いちかばちかの賭けに出た。
一筋の光。炎の剣は、キアランの体を飛び出し、輝きをまといながら闇を切り裂いていく。
炎の剣……! どうかお前の力でルーイとフレヤさんを助けてくれ……!
キアランの強い祈りを乗せた炎の剣。
月の光を、黒い雲が遮る。
希望の光のような炎の剣の鋭い輝きにも、影が――。
ぎろり。
アンバーの真紅の瞳が、炎の剣をとらえていた。
しまった……!
キアランが、思わず息をのんだ、そのとき――、
「えいっ!」
シトリンが、元気よく右腕を振り上げた。
「むっ……!」
アンバーから放たれた魔の力で、炎の剣の速度が落ちる。しかし、シトリンが腕を振り上げたことにより、ふたたび炎の剣は――。
ドッ……!
「うっ……!」
すべてが一瞬のできごとだった。
うめき声を上げるアンバー。炎の剣は、抱えられたルーイとフレヤの間、見事にアンバーの胸の中央辺りに深く突き刺さっていた。
「シトリン……! あなた、その剣にあなたの力を加えましたね……?」
アンバーが激しく顔を歪め、苦しそうに息を荒げながら叫ぶ。
「当たり前よ! これでどう? さすがのあなたも、かなり効いたんじゃない?」
アンバーの腕は、小刻みに震えていた。血が、したたり落ちる。
「あっ……!」
アンバーの重心が大きく揺らいだ。そしてそのとき、アンバーの両腕から、ルーイとフレヤが滑るように落ちて――。
「ルーイ! フレヤ……!」
キアランは、絶叫した。夜の海めがけ、二人が落下していく――。
黒い海に叩きつけられる、二つの小さな命。それを想像し、キアランは必死に手を伸ばす。
「ルーイッ! フレヤッ!」
かけがえのない命も、半狂乱となったキアランの絶叫も、暗い海は静かに飲み込もうとしていた。
黒い影が現れた。四つの、黒い影。
そのうちの二つは、アンバーを支えた。そして、もう二つ――。残りの二つの影が、ルーイ、フレヤ、それぞれの落下を止めていた。
「蒼井……! 翠……!」
アンバーを支えているのは、白髭の従者と女の従者。ルーイを抱きとめたのは蒼井、フレヤを抱えて助けたのは翠だった。
白髭の従者も、女の従者も、体中あちこち深い傷を負っているようで、肩で息をしていた。
パチパチパチ。
アンバーが拍手をしていた。
「エクセレント……! おふたりのお力の融合、見事です……!」
アンバーは、顔を歪めて笑った。見開いた両目は完全に白目をむき、白い歯を見せ大きな口で豪快に笑うその様は、悪夢の中の怪物のようだった。
アンバーの胸元から、大量の黒い血が噴き出す。アンバーは、震える腕で背まで貫通した炎の剣を、自ら抜き取っていたのだ。
「これは、お返ししましょう。まあ、私が返すまでもなくあなたの力でも回収できるでしょうけれど」
アンバーは、炎の剣をキアランに投げ返す。アンバーの血と自身の光で不気味な軌跡を描きながら、炎の剣はキアランの手に収まる。
「その代わり、と言ってはなんですが、改めて、私にあなたのお名前をお聞かせいただけますか……?」
ルーイが叫んでいたので、アンバーはキアランの名を知っていた。しかし、キアラン自身の口から、その名を明かしてほしい、そうアンバーは考えているようだった。
「キアランだ」
迷うことなく自分の名を口にするキアランに、アンバーは満足げにうなずく。
「キアラン。覚えておきましょう。あなたに出会えたこと、光栄に存じます」
アンバーは、血を流し続ける胸元に手を添え、一礼した。
「また、お会いしましょう。キアラン。もちろん、我が同胞シトリン、そして我が白銀と黒羽と、互角以上の戦いをしたシトリンの従者お二人にも、最大の敬意を表します」
白髭の従者は白銀、女の従者は黒羽という名のようだった。
「会いたくはないけど。また会うんでしょうね」
シトリンが、ふうっとため息をつきながら言う。
「……アンバー。あなたにも教えておいてあげる」
アンバーは、少し首を傾ける。
「さて。なんでしょう」
シトリンは、指で指し示しながら告げた。
「こっちが蒼井で、こっちが翠よ」
シトリンはアンバーに蒼井と翠を紹介する。多少ぶっきらぼうな感じではあったが。
アンバーは、微笑みを浮かべる。
「とてもよい戦士たちですね」
「あなたも。白銀さんと黒羽さんもね」
シトリンの顔にも、笑みが浮かぶ。片頬で笑うそれは、どう見ても幼い女の子の笑いかたではなかった。
改めて一同を見渡し、アンバーは深く頭を下げた。
「実によいひとときを過ごしました。では、ごきげんよう――」
暗闇に溶け込むように、アンバー、白銀、黒羽の姿は消えていった。
雲が流れていく。月が姿を現す。
ザーン、ザザーン……。
気が付けば、波の音。
「ルーイ……! フレヤ……! よかった……!」
緊張の糸が切れたように、キアランは安堵のため息をつく。
「シトリン様――」
無事を確認し合い、喜び合うキアランとルーイとフレヤの横で、翠がシトリンに話しかけていた。翠も蒼井も、ひどく疲弊し、傷も負っているようだったが、白銀と黒羽ほどではなかった。
「……翠も、気付いた?」
「はい」
「あちらに、感じますね」
蒼井も呟く。
「うん。そうみたい。あっちのほうにいるみたい」
シトリンが、海の向こうを指差す。
「もう一人の、四聖」
シトリンの言葉に、キアランとルーイ、フレヤは顔を上げた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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