【創作長編小説】天風の剣 第101話
第九章 海の王
― 第101話 優しい雪 ―
冷たい雨が降り続いていた。やがて、雪になるかもしれないとのことだった。
守護軍の隊列は、北上をやめていた。
四聖のフレヤが、高熱を出したのだ。
皆も疲れが出始めるころだろうとのことで、二、三日はこの場に滞在することとなった。ちょうど、その地は魔の者をあまり寄せ付けない、清浄な森ということもあった。
「ダン……!」
フレヤの馬車のいる隊列には、ソフィアとダンがいた。
治癒の魔法をかけているダンに、ソフィアが声をかける。
「もうだいぶ、熱は下がっている」
守護軍の中には医師もいる。医師の薬やダンたちの治癒の魔法で、フレヤの容体は確実に快方へ向かっていた。
「本当に、ごめんなさい」
少し苦しそうな息で、フレヤがダンとソフィアに謝っていた。
「謝ることなんてないのよ! フレヤ。きっと、今までの疲れが出ちゃったのよ。無理もないわ」
ソフィアがフレヤの手を握る。
「……子どものころを思い出すわ」
フレヤは、姉のソフィアを見上げる。
「私が熱を出したとき、いつもこうして手を握ってくれた――」
ソフィアはうなずき、微笑みを返す。そして、正常なぬくもりに戻りつつあるフレヤの手を、そっと毛布の中に戻してあげた。
「安心して眠って。私はずっとそばにいるし、みんなもすぐ近くにいるんだから」
こくん、とうなずきフレヤは目を閉じた。ソフィアはフレヤの額や頬にはりついた髪を指で優しく払いのけ、そしてフレヤの頬を手のひらで愛おしむように包んだ。
フレヤが寝息を立て始めると、ソフィアとダンは共に安堵し、微笑みを交わし合った。
「ソフィアさん。あなたもずっとつきっきりで疲れただろう。少し、休んだらどうだ」
「いいえ。ダン。疲れてなんていないわ。妹のそばにいさせて。そうしたいの」
「でも――」
「フレヤを、もう一人にさせたくないの」
「ソフィアさん。しかし――」
そうダンが言いかけたときだった。
「そんなら、ダン、ソフィア、二人でちょっと外の空気を吸いに行ったらどうだ。雨だけどよ」
急に、背後から声がした。
「わっ。ライネ! あんた、いつの間に……」
振り返り、思わず叫ぶソフィア。ううーん、とフレヤは寝返りを打つ。
いつの間にかライネが、テントの中に入ってきていた。
「あんたじゃ心配で、フレヤを任せられないわ!」
「失礼だなー。俺は自己流だけど、簡単な見立てならできるんだぜ。それに……」
ライネは、テントの入り口に顔を向ける。
「オリヴィアさんも様子を見に来てくれた」
「オリヴィアさん……!」
フレヤが目を覚まさないよう、オリヴィアは笑顔で軽く会釈をしながら、そうっとテントに入ってきた。
「だから、お二人さん。安心して行った、行った!」
ライネは、ダンとソフィアの背中を強引に押す。
「ライ……!」
しーっ、とライネは自分の口に人差し指を当てた。
「こうでもしねーと、あんたら自分の飯も食わねえ勢いだからなあ。病人の看病も大事だけど、自分たちが倒れちゃったら話になんねーぞ!」
「ライネ……」
あっという間にテントの外へ出されてしまったダンとソフィア。
雨は、みぞれに変わりつつあった。
「まったく! あの男、強引なんだから!」
ソフィアがライネのいるテントに向け、あっかんべーをしていた。
「ライネらしい優しさなんだよ。そういえば、私たちは昼ごはん、まだだったな」
ダンに言われてソフィアは気付く。フレヤが心配で、自分の食事すら頭になかった。
「たぶん、ライネがオリヴィアさんに来てもらうようお願いしたんだろう。女性のフレヤさんを気遣って、我々のことも気遣って。ライネは気遣いのできる優しい男だからな」
「優しい……!? 気遣い……!? あのガサツで無神経な男が……!?」
ソフィアは唇を尖らせた。ライネの優しさはわかるが、それを認めるのはどうにもしゃくに障る、そういった口調で。
みぞれは、雪に変わっていた。みぞれから雪へ、あっという間の変化だった。寒さがいっそう増していた。
「ライネは、私にとってよき友だ。年下だが、頼りにしている」
「あたしは――」
「ソフィアさんは、ライネが嫌いなのか?」
少し困ったふうな顔つきで、ダンは尋ねた。
ダンは、じっとソフィアの目を見た。
ソフィアは首を振る。
「もしかして……。ずっと気になっていたんだが――」
ダンは視線を足元に落とし、口ごもる。
「ライネは――、あなたにとって、特別な人なのだろうか……?」
「へ!?」
思わず、ソフィアの口から変な声が出ていた。ハスキーな声が、途中から裏返る。
「あ、いや……。その……。喧嘩ばかりしているのは、仲がいい証拠なのかと……」
ダンは無造作に自分の頭をかいた。目線が泳いでいる。
「嫌いなのか、好きなのか。極端だが、どちらなのだろうか、と思って――」
ダンはそこでハッとし、顔を上げた。
「い、いやっ、答える必要はないっ。す、すまない、踏み込んだことを訊いてしまって――」
ソフィアも、自分の髪に手をあてていた。くるくると、髪を自分の指に巻き付けるようにしながら、唇を尖らせている。
「……友だちよ」
ぼそっと、白状した。
「認めたくないけど。あんまり。だって、むかつくし。でも、まあ、いいやつだと、あたしも認めるわ」
ソフィアは、友だち認定をしてしまったことにため息をつく。同時に、ダンもため息をついていた。
「あれ。なんでダンもため息?」
「えっ。いやっ。それは、その――」
ダンの頬は赤くなっていた。
雪が、降り続けている。もしかしたら、積もるのかもしれない。
ダンは、急になにかを決したかのように顔を上げ、まっすぐソフィアを見た。
ダンに改めて見つめられ、ソフィアはちょっとどきまぎする。
ダンはソフィアのほうへ手を伸ばし――、ソフィアの頭に少しかかった雪を、優しく払ってあげた。
ダンは、ソフィアに背を向ける。ソフィアの反応や、表情を見ることなく。
「……少し遅れたが、私のテントで、一緒に食事をするのはどうだろう……?」
ダンは、ソフィアに背を向けたまま、ぼそぼそと呟いた。
そしてダンは、そのまま自分のテントのほうへ足を踏み出す。
黙って歩き出す。ソフィアの様子を、探ろうともせずに。返事を待とうともせずに。
どんっ。
ダンの背に、思いがけない衝撃が伝わっていた。
うっ。
思わず、ダンは息が止まったようになる。
「うんっ……! ダン! ありがとう……!」
ソフィアが嬉しそうにそう叫んでいた。
ダンの背には、ぬくもり。
ソフィアが、ダンの背に後ろから抱きついていた。背から回される、しなやかな手。
ダンは、言葉も出ない。
少し背伸びして垣間見えるダンの頬は赤く、ソフィアも真っ赤になっていた。
下草や、地面に純白の輝きが重なっていく。
雪のせいにできる、そうソフィアは思った。寒いせいにしてしまおう、そうソフィアは思う。
二人の顔が真っ赤なのも、こうして抱きついているのも。
ソフィアは、ゆっくりと言葉を、想いを紡いでいく。白い息と共に。
「あたしが好きなのは――」
天使の羽のように、雪が舞い降りていた。
「睡眠と栄養をとれば、もう安心だな」
眠り続けるフレヤの様子を見て、ライネはほっとしたように呟く。
フレヤを起こさぬようオリヴィアは、フレヤから離れたところに腰をおろした。ライネは、あたたかい飲み物を二人分つくり、オリヴィアの隣に座る。
「はい。オリヴィアさん。どうぞ」
ライネは、オリヴィアに飲み物を手渡した。
「いい香りのお茶ね」
カップを手に取ると、甘い香りがふわりと広がる。
「俺の家の庭の薬草なんですよ。おいしくて元気が出るやつです」
ライネの説明によれば、おいしいだけじゃなく、心が落ち着き、前向きになれる、そして体の免疫機能も穏やかに向上させる、そんな効能がある薬草なのだという。
「えっ。ライネの庭……?」
「はい。俺、拝み屋やってまして――。薬草とか魔法に使う石とか、お手の物です」
「まあ」
ライネの「お手の物」という表現に、オリヴィアは笑い声を立てた。
オリヴィアの明るく笑う姿を見て、ちょっとライネは照れくさそうに頭をかく。
「ライネは、拝み屋さんだったのですね」
「はい。今、家の庭が荒れてないか、ちょっと気がかりなんですけど」
ライネは、そこでお茶を一口すする。それから、フレヤのほうを見た。フレヤの寝息は穏やかに安定しているようだった。
フレヤの様子を確認して安心し、それからライネはしみじみと呟いた。
「それにしても、本当にオリヴィアさんが来てくれるとは思わなかったなあ。お願いしてみて、よかったです」
「いえ。私も気になっていて、早くフレヤさんのご様子を伺いたくて、実は気をもんでいたんです」
守護軍全体の隊長であるオリヴィア、フレヤの高熱の報告を受けたが、なかなかすぐには駆け付けられなかったとのことだった。
「ここは、様々な優秀な魔法使いや魔導師、お医者様もいらっしゃいます。そういった面では安心なのですが、これから、ますます厳しい環境に向かいます。皆さんの体調がどうか、心配は尽きませんね――」
オリヴィアは、深いため息をついた。オリヴィア自身疲れている様子が、見て取れた。
ライネは、じっとオリヴィアの横顔を見ていた。
「……俺は、オリヴィアさんが心配だなあ」
ライネはオリヴィアから視線を外す。そして独り言のようにそう呟いた。
「え」
「色々、にんげんかんけーとかも、心配の種があるんでしょう?」
「……ふふ。大勢いらっしゃいますからね」
「俺が、話聞きますよ!」
「え」
「いつでも、元気の出るお茶を差し上げますっ。だから――」
今度はオリヴィアがライネの横顔を見た。
ライネの言葉は、そこで止まっていた。
あたたかい湯気が、二人を包んでいた。
だから。
その言葉の続きは、いつまで待っても出てこなかった。
オリヴィアとライネは、カップを持ったまま動かない。
「……ライネ」
「はい」
「また、お茶をくださる……?」
「はいっ。ただいまっ……」
急いでライネは立ち上がる。オリヴィアがおかわりを欲しがっていると思ったのだ。
「……違うの。今じゃなくて。その……。この先……。いつか」
オリヴィアは、消え入りそうな声でそう言って、両手でカップを包み込み、こくり、とお茶を飲んだ。
ライネは驚いた顔でオリヴィアを見つめた。それからみるみる、ライネの顔に笑顔が広がる。
「はい……! もちろん……! いつでも! お湯のある限り……!」
お湯のある限り、そう言い放つライネに、思わずオリヴィアとライネは目を丸くし、顔を見合わす。言った本人も、そんなヘンテコな言い回しが出るとは思っていなかったのだ。
そして、笑い合う。
ライネも、お茶を飲む。喉を潤すように。思った言葉が、思ったように声に出せるように。
「……オリヴィアさん」
いつものライネの声と、少し違っていた。必死に隠そうとしている緊張が、意図に反して響きに出てしまった、そんな感じだった。
「はい」
「……年下って、アリですか……?」
雪が、静かに降り積もる。
すべてを、優しく包むように。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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