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【創作長編小説】天風の剣 第63話

第六章 渦巻きの旋律
― 第63話 波間に見える、白い顔 ―

「あれは……!」

 キアランは、息をのむ。
 大陸にそびえ立つ、とてつもなく大きな人影。
 人影、というのは正確ではなかった。
 その背には四つの黒い巨大な羽がある。そして、上半身は立っている人間の姿のようだが、その下半身はまるで海獣のように光沢のある灰色で、そして蛇のように長く続き、尾の先端は海に浸かったままで見えない。
 キアランとシトリンのいる場所はまだ海の上で、四天王のいる陸地までには距離があった。
 しかし、キアランの脳は、それがすぐ自分の目の前にいるかのように、はっきりとその情報をとらえていた。
 オニキスを前にした、あのときのように。
 はっきりと認識できた。濡れて美しく光を反射する金の髪も、髪や四枚の翼のすき間から見える、滑らかな背中も。
 
「こっちに気付かれないように、キアランおにーちゃん込みでバリアを張ってるよ」

 シトリンが告げる。

「でも、あいつも四天王。もっと強力なバリアが欲しいなあ」

 きょろ、きょろ、とシトリンは辺りを見渡す。周りは一面の海。身を隠せるものはなにもない。

「キアランおにーちゃん。ちょっと、息止めててね」

「え」

 キアランがなんのことか、と聞き返そうとしたときには、シトリンはすでに急降下していた。

 ざばん。

 シトリンーッ!

 勢いよく海の中深く潜っていた。急すぎる行動に抗議するキアランの心の叫びは、シトリンに届いていそうもない。

 まさか、海を潜って、四天王の尾の先辺りまで接近する気じゃあ……!

 そうキアランが危惧した瞬間、シトリンは急浮上を始める。

 シトリンーッ!

 いくら特殊な血が目覚め、身体組織の機能を向上させ、超人的な力を持つようになったキアランでも、突然空から海、そしてまた海上まっしぐらという急激な変動は、対応しきれるものではない。

 ざばあっ!

 あっという間に、また空の上に戻っていた。

「見て見てー! 泡を作ったよー!」

 泡……!

 気が付けば、シトリンとキアランは巨大な一つのシャボン玉のような泡の中にいた。しかも、キアランの体はシトリンに支えられてはいない。シトリンの手を離れ、泡の中に立っていることができた。

「すごいねー! なにかの乗り物みたいだねー!」

 自分で予想していた以上によいものが作れたのか、シトリンは、きゃっ、きゃっ、と楽しそうにはしゃいでいた。

「こ、これであの四天王から身を隠すことができるのか……?」

 恐る恐る泡の壁に手をあてながら、キアランは尋ねる。

「うん。ある程度、距離を保てばね。でも、あの四天王を意識しながら作ったから、あの四天王からは見えないだろうけれど、例えば、みどりとか蒼井とか、他のひとたちには普通に私たちが見えるよ」

「そうか……!」

「でも多分、あんまり長い時間は持たないんじゃないかな」

 シトリン自身、初めて作ったそれがどのくらいもつのか、わからないようだった。

「じゃあ、急がないと……!」

 ふたたび、四天王への接近を試みる。
 長い、金の髪がなびく。

「!」

 不意に、四天王がこちらを振り向いていた。
 
「気付かれた!?」

 端正な横顔。長いまつ毛にふちどられた、憂いを帯びたような青の瞳。遠くにいても、キアランの感覚はその投げかけられた視線の方向を、ある程度見定めることができた。
 四天王の眼差しは、キアランとシトリンを超えて、その後方を見ているようだった。

「私たちのほうを見ているのでは、ない……?」

 キアランも、思わず振り返る。

「あ!」

 近付く二つの影。いや、その先にぐんぐん近付くもう一つの影。さらには、その後ろに金色に光る輝きらしきものも見える。

みどりと蒼井たちだー! 他にも色々いるねえ! これじゃ、あの四天王じゃなくても、思わず見ちゃうよねえ!」

「なにをのんきに納得してるんだ!」

 そんな場合じゃない、キアランの本能が警鐘を鳴らす。

 四天王がそちらを見ているということは――!

 ザッ……!

 あっという間だった。四天王は、その巨体に似合わぬ敏捷な動きで陸地を這って移動する。
 そして、大きな音と盛大なしぶきを上げ、四天王はその体を海へと潜らせた。

 速い……!

 海の下に、体をくねらせながら動く黒い巨大な影を感じる。それはあっという間にキアランとシトリンの足の下も過ぎ去ろうとしていた。

 みどりと蒼井たちのところへ行く気だ……!

「シトリン! みどりと蒼井が危ない……!」

「うんっ! 引き返す……!」

 シトリンが全速力で、泡ごと移動しようとしたときだった。

 パンッ……!

 あ……!

 急激な移動がよくなかったのか。それとも、もともとごく短時間しか持たないものだったのか。
 シトリンの作った泡は、弾けて消えた。
 キアランの体は、シトリンに支えられてはいない。

「キアランおにーち……!」

 全身を切り裂くような、風。あらゆる内臓が、宙に置いていかれるような冷たく気持ちの悪い感覚。キアランは海へと向かって真っ逆さまに――。

 海面に、叩きつけられる……!

 蒼井の攻撃が直撃したときのように、なんとか衝撃に耐えられるよう変身できるだろうか。たとえ衝撃を和らげることに成功したとしても、海の中、うまく対応することができるのだろうか――、キアランの思考は、一瞬の中様々な思いを巡らす。

 気持ち……、悪い――。

 気が遠くなる。気絶しそうになっていた。

 いや……! だめだ……! 気をしっかり持たねば……! なんとしても生きて、皆を、守らなければ――!
 
 びゅう!

 シトリンの伸ばした手や髪がキアランの体に届くより先に、なにかが風を切り裂く。
 体に感じる衝撃。それは、想像していた衝撃と、まったく違っていた。
 キアランの瞳は――、意外だったが、見慣れたものを映していた。
 見慣れたもの――。それは、銀の髪と銀の瞳の――。

「やれやれ。相変わらず、世話が焼けるな――!」

「シルガー……!」

 海面に体を打ち付けるぎりぎりのところで、キアランはシルガーに抱えられていた。
 シルガーが叫ぶ。

「おっと。まだ気を緩められんぞ」

 大量の水しぶき。そして、その水の壁の向こうに見えたのは、巨大な牙と大きな口――。

「四天王……!」

 怪物のような四天王の口が、シルガーとキアランを飲み込もうとしていた。

 バッ……!

 四天王の口は、正確にシルガーごとキアランを丸飲みにしたはずだった。
 四天王の牙と牙の当たる音が、不気味に響く。
 シルガーは、その一瞬早く身をひるがえし、四天王の軌道から外れていた。

「思った以上に、こいつは厄介な存在になってるな……!」

 シルガーはキアランを抱えたまま、急上昇する。
 まるで爆弾のような大きな音。眼下に、盛大な水しぶき。
 四天王は、一飲みにしようとした勢いそのままに、いったん海の中へと潜っていく。

「こんなにでかいやつは、初めて見た……!」

 シルガーは、キアランを抱え上昇し続ける。

「シルガー。お前、もう大丈夫なのか……?」

 驚きつつ、シルガーの顔を見上げるキアラン。

「キアラン。そういうお前こそ大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

「さっきから、上がったり、下がったりで気持ちが悪い」

「そんなこと言ってるようじゃ、まだまだひよこだな。空は飛べんぞ」

「飛べるか。私は人間だ」

 ふたたび、四天王が急浮上する。白い顔が、キアランとシルガーの前に現れる。

「こいつは、どこまで跳べるんだ……!」

 シルガーが右腕を振り下ろすと、閃光が走る。それは、四天王の顔目がけて――。

 ドーン……!

 シルガーの攻撃が当たると同時に、爆発音が起きる。

「私の攻撃も、味わってね!」

 シトリンも四天王目がけ、叫び声と共に強烈な攻撃をかけていた。
 続けざまに、閃光が走る。

「シトリン様……! 人間どもに、四聖よんせいと武器を渡してきました!」

 シトリンの攻撃のあとに続いた閃光は、みどりと蒼井の攻撃だった。

 ザザーン……!

 シルガー、シトリン、みどり、蒼井の攻撃を受け、四天王は海へと落ちていった。

「やったのか……?」

 激しい波が広がる海を見下ろしつつ、キアランが、尋ねる。
 ふう、とシルガーがため息をつく。
 
「まったく……。何回言わせる。何年、魔の者と戦っているんだ」

「急所……! 急所を狙わない限り、死なないって、わかってる……! そんなこと……!」

 顔を赤くし、キアランはさもわかっていて呟いた体を装う。正直、忘れていてうっかり口に出してしまっただけだったのだが。

「今度は顔が赤い。本当に忙しいな。お前という男は」

「うっ、うるさいな! あいかわらずお前というやつは、いちいち……!」

「ところで、気持ち悪いのは治ったのか」

「気持ち、いいよ!」

 つい心にもない真逆の嘘をつく。キアランは、とっさに放ってしまった変な嘘に頭を抱えた。

「変なやつだな」

 ますます赤面する。自分でも、変なやつだと思う。
 自分の反応が恥ずかしくなり顔が、熱い。
 熱いという感覚。気持ち悪いという感覚。そして、恥ずかしいという感情。それらはすべて、自分が生きているという証拠だった。
 眼下に広がる海。自分も、あの四天王のように海中に沈んでしまうところだった――。

 私は、無事生きている……!

 キアランは深く息を吸い込んだ。そして、銀の涼やかな瞳を見つめる。

「……ありがとう」

「どのタイミングで、どこに礼を言ってるんだ」

「助けてくれて、ありがとう! そう言ってるんだ!」

「なんでまた喧嘩腰なんだ」

 みどり、蒼井に引き続いての謎の喧嘩腰。シルガーは首をかしげる。

「……ごめん。ありがとう……」

 シルガーは、少し笑い、そしてうなずく。

「……ところで、なぜ気持ちいいんだ?」

「忘れろ!」

 キアランは、また真っ赤になっていた。
 青いはずの海に、ゆっくりと近付く白い色。

 ぷかり。

 海面に、白い顔と体が浮かぶ。長い尾は、沈んだままだ。

「ふ、ふ、ふふふふふ……」

 白い顔は、笑っていた。

「僕の名は、パール」

 きらきらとした海面に広がる、金の長い髪。
 シルガー、シトリン、みどりと蒼井の攻撃を受けたが、その美しい相貌はまったく変化がないようだった。

「いろんな、エネルギーがあるんだね」

 澄んだ、穏やかな声だった。

「僕は、今日一日で色々知ったんだ」

 パールは、微笑みを浮かべていた。顔いっぱいに浮かぶ、笑み。それは、海に漂うパールの髪のように、どこか生気がなく、ぞっとするように恐ろしく――。しかしこの世のものとは思えない、鮮烈な美しさをたたえていた――。

「いろんな、エネルギー。生き物……。同じ生き物であっても、口に入れてみると、その味わいは、ひとつひとつまったく違う……」

 パールは、眩しそうにキアランたちを見上げ続ける。

「大丈夫……。みんな、僕が食べてあげるからね……?」

 そう笑う赤い唇の間から、鋭く尖った牙が見えた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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