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【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第13話

第13話 大きな夕日の中

 陶器のミルクポットから、コーヒーに垂らすミルク。かすかな湯気の中、ゆっくりと渦巻き模様を描く。
 陽菜は、隣に座るミショアの銀色の長いまつ毛と、香り立つ黒のキャンバスに描かれる渦巻きを、交互に見つめた。
 皆が見守る中、ミショアが口を開いた。

飛蟲姫ひちゅうきは今、陽菜さんの住むこの世界にいます」

「へえ、すごい! コーヒーとミルクで、そんなことわかるんだ!」

 思わず陽菜は驚嘆の声を上げ、それからハッとし、しまったとばかり自分の大きな口に自分の両手を当て、急いで隠した。

「ごめんなさい、今、ミショアさん集中してるのよね」

 ミショアがコーヒーとミルクを用いて行っているのは、占いではなく、水鏡を使った遠隔探査魔法の応用版なのだそうだ。
 水鏡の遠隔探査魔法と言われても陽菜にはさっぱりわからないが、九郎たちの説明によれば術者が映し出して得た情報は、占術とは違う。遠い場所のできごとを魔法の力で見ているのだ。
 ミショアは、シュガートングで角砂糖を一つ摘み、褐色の液体に入れる。

「卵――。卵が見えます」

 えっ、卵?

 ミショアの銀の瞳は、卵を映しているようだ。
 ミショアは、ガラスのシュガーポットからもう一つ、角砂糖を取り出すとふたたびコーヒーに入れる。

 わ。これおいしくなってる。
 
 つい、陽菜はコーヒーの味のほうを想像していた。陽菜も、ミルクと角砂糖二個入れたい派だった。

「飛蟲姫は――、今、卵の状態。誰かが、見守っている。一人――、いいえ――」

 ミショアは、美しい眉根を寄せ、かすかに首を振る。
 陽菜、九郎、時雨しぐれ、バーレッドは、ミショアの次の言葉を待つ。
 ミショアは、小さくため息をついた。そして、顔を上げた。

「私が掴めたのは、ここまでです。やはり、魔法のガードが強い」

 ミショアの声、整った面差に、疲労の色が濃く見えた。
 
「大丈夫か、ミショア」

 心配そうにバーレッドが声をかける。

 え。もしかして、今の魔法って、大変なことだったの……?

「強い魔法の力を要する術だ。探査を阻む相手の魔法の能力が高ければ高いほど、術者の体の負担が大きくなる」

 陽菜の疑問を察したのか、九郎が説明した。
 ミショアは微笑みを作り、皆を安心させようとしたのか、たっぷりミルクと砂糖の入ったコーヒーをかき混ぜてから、ゆっくりすすった。

「おいしい」

 ミショアの顔が、明るく輝く。初めて飲んだ異世界の飲み物に、感激しているようだ。
 ミショアの笑顔に、陽菜もホッとしていた。
 皆もそれぞれ、自分の飲み物に手を伸ばす。ミショアが一息つけるよう、質問はあとから、という雰囲気だった。
 ちなみに、九郎と時雨にはブラックコーヒーを頼んでおり、バーレッドにはアイスコーヒー、陽菜はウインナーコーヒーを頼んでいた。

「陽菜殿のその白い盛り上がり、なんであろうか」
 
 時雨が、陽菜のカップの中の生クリームを不思議そうに見つめていた。

「これ入っていると、すごくおいしいんだよ」

「ほう。とても面白い飲み物じゃな」

 きっと、パフェとか、感動するんだろうな。

 もっとじゃんじゃん追加注文し、異世界からの人々を歓待したい気分になっていた。
 この先、恐ろしい怪物と、戦わなければならない。そんな場合じゃないと思うが、

 初めましての今日。この瞬間くらい、ちょっぴり楽しい時間を作ってあげてもいいよね。

 ミショアの白い肌に明るさが戻ってくるのを横目で確認しつつ、そんなことを考えていた。

「……ミショアが途中で遠隔探査を断念する強い魔法ガード。そしてなにより飛蟲姫を利用しようとする人物――。それだけの高い魔法能力の持ち主は――」

 腕組みをしたバーレッドが、ゆるやかな沈黙を破る。

静月せいげつしかいない」

 カシャン、と音が響く。青ざめた九郎が、カップをソーサーに置いた音だった。

 静月……?

 そういえば、あのときバーレッドが叫んでいた。「九郎の腹心、静月の術」と――。


 大きな夕日の中を、黒い鳥が飛んで行く。
 時計の針は、十年以上遡る。
 ここは、魔族の襲来におびえる、九郎たちの住む異世界。
 防御の魔法が、城を中心とした可能な限り広い範囲に張り巡らされていた。
 黄金色の草の波、少年二人が笑い声を上げる。

「九郎ーっ! こっち、こっち!」

 木の枝を高く掲げた赤い髪の少年が、土手を駆け上がる。

「バーレッド。足が、速いな。お前は、ほんとに」

 九郎も、土手を登る。
 城を抜け出した九郎が、バーレッドと遊んでいた。

「九郎様! こんなところにいた!」

 腰に手を当て、九郎を叱る――、同じく少年の、時雨だった。

「いいじゃん、時雨。お前も一緒に遊ぼうぜ!」

 ニッと笑うバーレッド。三人は、歳が近かった。
 九郎は、九番目の王子だった。九番目、ということでのびのびと育っていた。
 時雨は、代々王子の教育係を担う家柄の子で、本人は九郎を守るという高い意識を持っているつもりだったが、なんだかんだ指導をしているようで、実質遊び相手だった。
 バーレッドは、

「俺は、王様の信頼が厚いからな。遊びじゃない、九郎を修行させてやってるんだ」

 偉そうに、胸を張る。
 バーレッドの父は以前、バーレッドの故郷の町の近くを通った王や側近たちを、襲い来る魔族から救っていた。その褒賞として、バーレッド一家は城の近郊に、上級兵士の称号を得て暮らすこととなった。
 時雨が、声を張り上げる。

「なにが修行じゃ! おぬしの力など、わしの足元にも及ばん!」

「なにを、このーっ!」

 バーレッドが木の枝を放り投げ、時雨に掴みかかる。
 時雨とバーレッドの取っ組み合いが始まった。ケンカというより、じゃれ合いに過ぎない。

「私も、私もっ! えーい、時雨、バーレッド! とうっ!」

 九郎が華麗な飛び蹴りで、負けじと参加する。きゃあきゃあと、叫ぶ。
 もう、めちゃくちゃだった。おかしな技の掛け合いをして、土まみれになり――、そして、寝転がったまま、三人は盛大に笑った。

「なにをやっているのです!」

 ぴしゃり、と高い声。見上げれば、九郎たち同様、まだ声変わりしていない、少年。

「王子とあろうおかたが、こんなところにいては、危ないではないですか」

 とび色の髪と瞳の、美しい少年。きちんとした身なり、高位の、魔法を使う者の服装をしていた。

「誰?」

 指を差す、バーレッド。

「初めて見る――、誰じゃ?」

 時雨も、知らなかった。

「あなたは――、何者なのだ?」

 九郎が尋ねる。

「私の名は、静月と申します。本日より、父の補佐役として、王子の皆さまをお守りするお役目の一端を賜ることとなりました」

 静月は、深く頭を下げた。
 静月は切れ長の瞳で、バーレッド、時雨を見据える。

「九郎様は、住む次元の違うおかた。民の遊びに誘うなど、もってのほか。今後はお考えを改めてくださいますよう――」

「とう!」

 九郎の飛び蹴りが、静月に炸裂していた。当てるわけではなく、わざと外しつつ。

「なにを――、なさるので――」

「うりゃー!」

 今度は、バーレッドが静月に飛びかかる。

「これも、鍛錬ぞ!」

 時雨も参戦した。
 わあわあと、もみくちゃになる。静月だけを標的にするのではなく、それぞれがそれぞれを、わちゃわちゃに押し合いへし合いした。

「このような乱暴――」

 静月が抗議の声を上げたが、それぞれ暴れ回る。

「私は、私は――」

 静月がなにか言おうとするが、誰かの手が当たる。
 めげずに、私は、という声もたちまちかき消される。

「とうっ!」

 やけくそになったのか――、静月が飛び蹴りを見舞っていた。たぶん、九郎めがけ。
 叫び、笑い、転がり、飛ぶ。意味不明に盛り上がる、土手の上。
 夕日の隣に星が見え始めた。

「はあー、面白かった!」

 誰とはなしに、呟く。いつの間にか静月も、皆と一緒にはしゃいでしまっていた。
 寝転がり、皆で見上げる空のオレンジと薄紫。

「やっぱ、人数多いほうがおもしれーな」

 と、バーレッド。

「あー、笑った、笑った」

 と、時雨。

「なんで……、なんで私が……」

 呆然と呟く静月。

「と、いうわけで、よろしく頼む、静月」

 九郎が、静月に笑いかけた。

「なにが『というわけで』、ですか、もうーっ!」

 静月の叫びが響き――、それから皆の笑い声が続いた。
 他愛もない落日。一番星のきらめき。残る草いきれ。
 それは、まだ平和が残っていたころ――。


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