【創作長編小説】天風の剣 第80話
第七章 襲撃
― 第80話 双子の従者 ―
「四天王の従者――」
キアランは目の前の少年と少女――花紺青と常盤――を、驚きを持って見つめた。
「お前たちの……、目的は……?」
天風の剣を持ったキアランだが、花紺青は悲しそうな笑顔を見せるだけで、ふたたび天風の剣に手を出す気配はない。常盤も、ただ微笑みを浮かべるだけだ。
もしかして、とキアランは思う。キアランは、心に浮かんだ自分の考えをそのままぶつけてみることにした。
「天風の剣を奪った理由は、私をここへ連れてくるためだったのか……?」
花紺青と常盤は、黙ってうなずいた。
「どうして――」
「キアランさん」
常盤がまっすぐキアランの瞳を見つめた。澄んだ、深い緑の瞳だった。
常盤の小さな肩を抱えるようにして隣に立つ花紺青が、口を開く。
「僕たちは――」
花紺青の瞳は、清らかな青の光をたたえている。
「僕たちは、ゴールデンベリル様の従者なんだ」
なんだって……!?
「父の……、従者……?」
思わず声が、かすれる。思いがけない花紺青の告白――。
「人間と歳の取りかたが違うから、キアランよりずいぶん年下の子どもに見えるだろうけど、僕らはキアランよりだいぶ年上だよ」
花紺青が首を少し傾け、ふふっ、と笑った。
「お前たちは、私の父の、従者だったのか――」
花紺青と常盤は、キアランを見上げ目を細める。まるで、年上の者が年下の者を優しく慈しむように。しかし、その視線にはキアランに対する敬意も込められているようだった。
花紺青と常盤は、キアランに向かってひざまずいた。
「ゴールデンベリル様の大切なご子息でいらっしゃるあなたに、大変失礼をいたしました」
揃ってふたりは、深々と頭を下げた。
キアランの目には、ふたりが嘘偽りを言っているとは思えなかった。油断させてふたたび天風の剣を襲うつもりなのではないかなどと、そんな疑いは微塵もわいてこなかった。
「どうして……? なぜこの屋敷に私を……? そしてなぜ、試すようなことを――」
自分でそう口にして、キアランはハッと気付く。
「すべては、私の力を試すためだったのか……?」
常盤が立ち上がり、キアランの前に歩み出る。どこか具合が悪いのか、動作のたびに常盤の息は少し乱れた。
「キアランさん。失礼します」
常盤の小さくはかなげな手が、キアランの両手を取った。
常盤は、なにかに集中するように目を伏せる。キアランは、戸惑いながらも常盤の長いまつ毛をただ眺めていた。
あ……!
不思議な感覚だった。常盤の力が、自分の中に流れ込んでくるように感じた。それは決して不快なものでも、自分が侵食されてしまうような恐ろしい感じでもなかった。たとえていうなら、穏やかな春の小川に手を差し入れ、そのきらめく流れを感じる、そんな心地よい感覚だった。
リズムがあった。リズムがキアランの全身を駆け巡る――。
この感覚は……? 今度は、まるで朝日を浴びているようだ……!
唐突に、あたたかさを覚える。明るい光を感じる。体中の血が巡り、正しく力強いリズムを刻み、なにか――、なにかが目覚めたような――。
「常盤……?」
ドッ……。
柔らかな手がキアランから離れたその瞬間、常盤が倒れた。
「常盤! どうした……!?」
急いでキアランは常盤を抱き起こす。
常盤は肩で息をしていた。
「もう……、もう……、大丈夫ですよ……。キアランさん……」
「常盤!?」
「これで、人間でいらっしゃるお母様から授かったエネルギー、そしてゴールデンベリル様、お父様からのエネルギーが、正しくよどみなく流れるようになったはず……! バランスが取れ、自在に力が反映されるはず……!」
常盤の唇は震えていた。あえぐような息の中、必死に言葉を生み出そうとしていた。
「キアランさん、私は――」
花紺青は、黙っていた。倒れた常盤の様子に驚きもせず、小さな体から振り絞るように話を続けようとする常盤を、止めようともしなかった。
常盤は、無理に笑顔を作り、キアランを見上げる。
「この屋敷での戦いを、この部屋からずっと拝見させていただいておりました……。すべては、あなたのエネルギーの流れのくせや、障害となるものを見極めるため――」
常盤の息が整うことはなかった。細い肩が、苦しげに揺れ続ける。美しい深い緑の瞳は潤み、焦点がおぼつかない――。
「常盤……! お前、もしかして無理をして私のために力を……!」
常盤は微笑む。魔の者であり、なおかつその姿かたちは可憐な人間の少女のようであったが、そのときキアランは育ての母の最期の笑顔を思い出していた。
「常盤……! もういい……! なにも……、なにも……! しゃべるな――!」
キアランは叫んでいた。命の灯が、消えかかっていることを悟ったのだ。
「旅立つ前に、キアランさん、あなたに会えてよかった――」
「常盤……!」
「私の力……。エネルギーを操ることのできるこの能力を、役立てることができて、本当によかった……!」
花紺青がそっと常盤の傍により、常盤の前髪、丸みのあるおでこを優しく撫でた。
「よかったな……。常盤。長くさすらい、待ってたかいがあったな……!」
常盤は、輝くような笑顔を見せた。
「うん……! 私、頑張ったよ……! 天風の剣にも会えたし、頑張ったかいがあった……!」
常盤はキアランに抱き起こされていたが、花紺青は覆いかぶさるように常盤を抱きしめた。
「うん……! 常盤、お前は頑張ったよ! 本当に頑張った……!」
「ありがとう、花紺青――」
「常盤……!」
常盤は、大輪の花のように美しい微笑みを浮かべた。
しんとした部屋の中、ぱたり、と音がした。まるで真夜中に椿の花が、地面に落ちたときのように。
力の抜けた常盤の右手が、床に当たったときの音だった。
「常盤……!」
魔の者も、泣くことがあるという。ほとんどの者がそれをせずに一生を終えるという。
花紺青は、肩を震わせ涙を落とし続けた。
その涙は、人のそれと少しも変わらなかった。
「……僕たちは、待ってたんだ」
暗い部屋の中、ぽつり、と花紺青が呟く。
「ずっと、ここで私が来るのを待っていたのか……?」
キアランが尋ねる。
キアランは常盤をそっとベッドに横たわらせたあと、そのすぐ脇で花紺青とふたり並んで座っていた。
「うん。でも最初は、常盤と旅をしてたんだ。キアランを探すためにね」
「私を、探すために、旅を……?」
花紺青はうなずき、そして語り出した。
「僕たちは、エリアール国を目指してたんだ。人間たちがエリアール国と呼んでるところは、四聖や空の窓について詳しいし一番熱心に研究してるってわかってたからね。だから、きっとキアランはそこに行くと思ってた。でも、どんどん常盤の具合が悪くなって――。この屋敷に着いたころには、もう常盤は動けなくなってたんだ――」
「常盤はなぜ……。病気、だったのか……?」
「魔の者に、病気はないよ」
「じゃあ――」
「急所に攻撃を受けたんだ。オニキスってやつの襲撃のときに」
「! オニキス……!」
オニキスの襲撃――。その言葉を聞き、キアランは、ぐっと拳を握りしめた。
そのとき、父と母が……!
花紺青はうつむく。
「……僕たちだって、必死にゴールデンベリル様を守ろうとしたんだ。でも、常盤は命を落としかけ、そしてゴールデンベリル様は他の従者を使ってまでして、僕らを無理やりその場から引き離し、オニキスから遠く逃して助けてくれたんだ」
「そのときの深手のせいで、常盤は――」
「うん……。常盤は、自分や他者のエネルギーを操れる。急所をやられたとき、とっさに急所付近のエネルギーを操作して、即死は免れた。でも、少しずつ、少しずつ年が変わるごとに弱ってきて――」
花紺青は、膝を抱えた。小さな体が、より小さく見えた。
「でも、僕たちは決めていた」
花紺青は、まっすぐ前を見据えた。青の瞳は力強く、少しの揺らぎもなかった。
「ゴールデンベリル様亡きあとは、そのご子息にお仕えしようと――」
「そんな……! 私は四天王でも魔の者でもない! 私のためになど……!」
花紺青は、隣に座るキアランのほうを向き、正面からキアランの目を見据えた。
「もちろん、あなたがただの人間だったら、仕えるつもりはなかった。常盤はともかく、僕の考えではね」
花紺青は、キアランの腰にある天風の剣に目を落とす。
「……アステールって、名付けたんだってね」
「お前は、アステールと話せるのか……!」
「うん。僕は常盤と違って、物体を動かすのが得意。物の記憶や意識、感情とかも読み取るし話もできる。そして、思うまま操ることもできる。アステールは、ちゃんと魂があるから普通の魔の者や人間のように話せるよ」
花紺青は、親しそうに天風の剣に笑いかけた。
「アステールには、協力してもらった。操るんじゃなくてね」
「! そうだったのか……!」
アマリアが感じたアステールの反応とは、アステールが花紺青と会話し、花紺青に協力しようとしている姿だったのだ。
「アステールは、友だちさ。今も、昔もね」
花紺青は、嬉しそうに笑う。それから、真剣な表情に変わった。
「常盤に、キアランの力について教えるため、アステールに協力してもらってたけど、アステールは、あなたに対して手加減はしてなかったみたいだね」
「え……」
「アステールは信頼してる。あなたの力を。深く」
花紺青は、キアランを見つめ続ける。心の奥の、深いところまでを、その瞳に映そうとするかのように。
「……それを見て改めて僕も、あなたを信頼することに決めたんだ」
「私を……、信頼……?」
「常盤が最後の命の光をあなたに捧げたように、僕もあなたに仕えることに決めた」
「花紺青……!」
「ゴールデンベリル様を守れなかったあのころより、僕はきっと成長してる……! 今度こそ、僕は僕の主人を守る……!」
花紺青の青の瞳が輝く。心の涙は乾くことはないかもしれない。しかし、頬を伝った涙は、とうに乾いていた。
「運命の主じゃなく、今度は自分の決めた主に僕は仕える……!」
「花紺青……! でも、お前はもう従者としてではなく、自由に自分の生きる道を――」
びしっ。
花紺青は、キアランの口を左手のひらでふさいでいた。
花紺青!?
花紺青の思いもよらない行動に、キアランは仰天する。
「あなたに拒否権はないよ。僕と常盤が決めてたことなんだから!」
花紺青が、きっぱりと宣言した。
花紺青、目がすわってる……!
もごもご、花紺青の手のひらの下で、キアランはなにかを訴える。
「よろしくね! キアラン……!」
元気よく叫び、にっこり笑う花紺青。
花紺青の手のひらが外されても、キアランはぽかんとしていた。
主従関係って、こんな感じだったか……?
キアランは絶句し、ため息をついていた。
白い花の咲く大きな木があった。その木の下に、常盤を埋葬した。
いつの間にか、朝日が昇っていた。
「……私は、行くぞ」
キアランが花紺青に声をかける。
「僕も」
「……大丈夫か?」
「ずっと、一緒だったから。たくさんの時間を過ごせたから。だから、もう大丈夫」
花紺青は、そう告げるときゅっと唇を結び、歩き出した。
白い花が遠ざかる。花紺青は一度だけ振り返ると、もう二度と振り返ることはなかった。
キアランたちは、屋敷の門を出る。
「あ……!」
門の外には、アマリアとフェリックスが待っていた。
「アマリアさん……!」
アマリアは、キアラン、天風の剣、そしてキアランの隣を穏やかな表情で歩く花紺青の様子を見て、花紺青が敵ではないことを悟ったようだった。
「……あなたは、『キアランさん一人で来い』と言ってたけど、門の外まで来るな、とは言ってなかったですよね……?」
深い安堵のため息のあと、アマリアはいたずらっぽく笑った。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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