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【創作長編小説】ルシルのおつかい 第四話

第四話 おおむね勇者

 人々にとって世界は、おおむね平和だった。
 人々は知らない。この「おおむね平和」が、かつて、「おおむね勇者」のおかげで守られたことに。
 なにごとも起こらなかったら、なにもなかったことになるから。
 ルシルも、剣士ヒューも知らない。
 しかし、昨日の夕暮れまで羊皮紙で単なる「お買い物リスト」に過ぎなかったリスト、彼は知っていた。
 ルシルの魔女母が、知っていたから。



 緑の天井の隙間、高い空で雲が流れる。

「ルシル、ヒューさん。あぶり文字って、知ってる?」

 ルシルにとってはお買い物リストの品目の一つ、ヒューにとっては両親や村人たちの仇である、赤ドラゴンを目指して、彼らが一つ目の山を登り始めたとき、リストがそのように尋ねた。
 
「あぶりチーズじゃなくて?」

 ルシルが聞き返す。昨晩食べた濃厚な味わいを思い出しつつ。

「うん。火であぶって出てくる文字」

「紙にみかんの絞り汁とかで書くんだよなあ。透明で見えないけど、火で熱を加えると書かれた文字が出てくるってやつだろ?」

 ヒューは、子どものころあぶり文字を教わり、遊んだことがあるという。

「僕に書かれたあぶり文字は、みかん汁じゃないです。特殊な鉱物と味噌汁を混ぜ合わせ、魔法によって記されました」

 みかん汁じゃなくて、味噌汁――!

 ルシルは、語呂のよさに食いついてしまっていた。似て非なる、汁。

 味噌汁は、鉱物、じゃなくて好物だけど――!

「え。で、なんで今急にあぶり文字の話を?」

 ルシルが、頭に「み」という言葉のついた二つの汁に気を取られているとき、ヒューは冷静にリストの質問の意図を尋ねていた。

「というか、魔法って――。そもそも、不思議なリストちゃんの存在って――」

 ヒューが疑問を口にした。

「ルシルの母君は、魔女です」

 リストはあっさりルシルの母について、ヒューに打ち明けてしまった。

 リストーッ! あんたって紙は――! 昨日から、ぺらぺらと、紙のようにぺらぺらと、いや紙だからかぺらぺらと、勝手に私の素性を――!

 先ほど、ヒューの悲しい過去について打ち明けられていた。だから、ルシルも自分の家について、それなりの機会があったら話すつもりではいた。
 ただし、話せる雰囲気、心の準備、ヒューとの距離感、それらの繊細な要素が満たされた、そのときに。

「そして、ルシルの父君は、勇者です」

「リストーッ! そこまで話す……」

 と、ルシルが叫んだところで、はた、と気付く。

 あれ。リスト。五歳児なのに、基本お買い物リストなのに、なぜそこまで知ってる……?

 守る、と言っていたリスト。お買い物以上のことを知っているリスト。母のことは、リストの制作者だしリストが知っているのもなんとなく理解できるが、父のことまで、なぜ知っているのか不思議だった。

 もしかしてリスト、ハイスペック……?

「あぶり文字にしたためられていました。昨晩たき火にあぶられて、僕もそのとき知りました」

 あぶられてたのかーっ!

 チーズと一緒に、ついでにリストもあぶられてた事実。ルシルとヒューの驚く顔をものともせず、淡々とリストは話を続けた。

「ルシルが知らない情報も、したためられていたと思います。長文乙、と思いました。いつ打ち明けようかと思っていましたが、ただ歩いている時間は暇かな、と思って話してみました」

 長文乙、とは長文お疲れさまでしたの意味らしい。侮蔑や皮肉といったものではなく、単純に驚くほど長文だったらしい。

 歩いている時間は、暇……!?

 そんな大雑把な理由で、個人的なことを勝手に色々話し出そうとするなんて、とルシルは憤慨したが、リストの言う「ルシルが知らない情報」なるものがとても気になるのも事実だった。

「俺はそういう話、聞かないほうがいいんじゃないかな?」

 ルシルの少々取り乱しているような様子を見て、ヒューがさりげなくリストの言葉を制した。

「あとで、ふたりでゆっくり話すといい。ルシルのお母さんが書いたことがらについて。あぶり文字は、秘密にしたいことなのだろうから」

 そう言葉をかけ、ヒューは、ルシル、それからリストにも優しい笑みを向けた。

「はい! わかりました! それじゃ、そうします!」

 リストが素直に返事をし、ルシルは内心ほっとしていた。
 ほっとした、だけではなかった。
 ヒューはそれ以上なにも言わず、魔女母と勇者父というこのうえなく奇妙な夫婦についても触れず、前を向いて歩き続けている。大人ですらりとした身長のヒュー、たぶんもっと速く歩を進められると思うのだけれど、さりげなくルシルの歩くペースに合わせてくれているようだった。ちなみにリストはというと、ヒューとルシルの先を行ったりずいぶん後になったり、自由気ままに歩いている。

 ヒューさん……。ありがとう。

 ルシルは、彫りの深いヒューの横顔を見上げ、はにかみながら微笑みを送る。

 お父さんともお兄ちゃんとも、なんだか違う……、気がする……?

 深い緑と小鳥のさえずりの中、見上げた横顔の一瞬が、ふと足を止めて見つめた一枚の絵画のように、ルシルの心深く刻まれていた。
 ルシル本人、そうとは気付かずに。



 

「そろそろ休憩にしようか」

 太陽は高く昇っており、昼の食事にちょうどいい時間だった。

「俺、ちょっと食べられるものがないか、ちょっとこの辺を探してみる。ルシルちゃんとリストちゃんは、はぐれないようここで待ってて」

 ヒューはそう言って、山道から離れ藪の中に分け入っていく。
 先ほどのリストの話の続きを、ルシルが訊けるように、というヒューの配慮かもしれない。

「リスト――。さっきの話なんだけど――」

 ヒューの意図をくみ取ったルシルは、ヒューが戻ってくる前に聞いてしまおうと、リストに切り出した。

「今、話してもいいんだね? 長文だよ」

 リストは語り出した。羊皮紙にあぶり文字で描かれた秘密の内容を。

 


 この世界は、二つに分かれていた。
 二つに分かれる、といっても二分ではなく、面積も数も大きな差があった。
 二つとは、人間の世界と異なる種の世界。
 一つは、広大な三つの大陸と大小さまざまな島に、人間が住む世界。そしてもう一つは、海によって遠く隔たれた、人間と異なる種の住む世界だった。
 人間と異なる種。それは、額に一本の角がある「一角人いっかくじん」と呼ばれる存在だった。
「一角人」、彼らは人間とは違い、特殊な力を持っていた。「魔法」である。
 また、一角人には生まれつき格段に強い魔法力を持つ存在が、時折生まれた。
 その特別な力を持つ子どもは、生まれる前から予言され、「王」または「女王」として大切に守られた。
「王」、「女王」の存在がいない時代もある。不在の時代のほうが、むしろ長いといえる。
「王」、「女王」が存在する時代は、平穏が約束された時代だった。安定した天候、作物も豊かに実り、魚も大漁、一角人たちとって愛と恵みに満ちた時間となる。
 人間と一角人は、遠く離れた大陸に住んでいるため、あまり交流はない。さらに一角人は平和と安定を好み、海を越えることはほとんどなかった。交流があるとすれば、人間のほうから船で一角人の大陸を目指す、もしくは目指さなくとも難破船が漂流して辿り着く、そんなできごとからだった。
 人間は一角人の外見と力を恐れ、一角人は平和と自分たちの領土を愛しているため、二つの世界で争いは起こらなかった。一部の人間側による侵略を試みた歴史もあることはあったが、一角人たちの魔法力により、退けられた。
 人間からの恐れの気持ちがあるとはいえ、人間と一角人、長い歴史の間に愛が育まれることもあった。その家族は、人間の住む世界にも一角人の世界にも、どちらの世界にも存在した。
 二つの種の間の子は、一角人の血が色濃く影響し生まれつき「魔法」が使えるもの、人間の血が色濃くまったく人間と変わらないもの、または本人の努力があれば「魔法」を修得できるもの、など様々だった。
 あるとき――、一人の人間、ある旅人が、一角人の大陸に漂着した。
 難破船の唯一の生き残り、強運の持ち主だった。

「この赤子を……! どうかお願いします……!」

「は!?」

 一角人の屋敷で介抱され、意識を取り戻した旅人が聞いた第一声は、耳を疑うものだった――。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門
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